群馬・伊勢崎【銘仙で繁栄した街】 2010.02.28
両毛線の旅シリーズも2年前の骨折以来中止になっていた。雨で遠出をしたくない日曜は【近場の街並み
散策】にかぎる。そしてこの伊勢崎は忌まわしいあの日・・・足利で骨折した私が病院をたらい回しにされなが
らもたどり着いた最終地でもある。伊勢崎消防の救急車には感謝しても仕切れない恩義がある。
そういえば忌まわしい記憶が甦る・・・やっとたどり着いた伊勢崎医師会病院の対応は『当直の医師は整形
外科ではなく、対応は不可能だ』というもの・・・ここまでは我慢も出来た・・・そして次の言葉は『もし救急車を
呼ぶのなら敷地から出て電話してください』でした。骨折して歩くのもままならない私に・・・どうしても理解でき
ません。私なら『ここに座ってお待ちください、救急車を呼んであげます』と、どうしても言ってしまいます。
伊勢崎はもともと織物産業で明治維新以降繁栄を見た町で、かなりの史跡なども残されていた。しかし残念
なことに太平洋戦争の戦火で40パーセントの街並みが焼失してしまった。現存する大正以前の建築物は多
くない。
大谷石の蔵 これも大谷石、有効活用 旧時報鐘楼 大正4年築
いせさき明治館 明治42年築【今井医院】 町田佳聲(まちだかしょう)生家
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