趣意文・の話

    私は東北の山奥で生まれ小さい時から山の中で生活をしてきました。つまり山とかかわ

  りあいながら生きて来て、生い立ち自体が山や森をなくしては語れません。

  子供の頃の私は冬を前にすると焚き付け用に杉の葉を拾い、父が切り倒したコナラなど

  を森から運び出して鉞でマキにしていました。割ったマキを整然と積み上げると充実感が

  湧いてきて、そのこと自体が楽しみでも有りました。今思い出すとまるで万里の長城のよう

  にマキが積み重ねられていました。子供ながらに自分の仕事・役割を持ち、その責任を果

  たすと言う事は家族の一員としての証であり、母や祖母が楽をする事が出来ると思うと少

  しも苦痛では有りませんでした。この作業は私が大学を卒業するまで続けられました。

  昭和30年代の我が家の一冬の燃料は、この森の恵みが全てだったのです。


    私の母方の祖父は現在の岩手県奥州市、日本最初のロックヒルダムである石渕ダムの

  昭和29年の完成と共に湖底に沈んだ集落【寒嵐江・・・おろせ】で、マタギとして生計を立

  てていました。寒嵐江は戦後の殺伐とした社会から隔絶されたような本当に穏やかで恵

  み豊かな山里でした。山桜やレンゲが咲き誇り、秋には豊かに実った栗を目当てに熊が

  里にやってきました。動物と人間が十分共存できるほど森の恵みは豊かで、母の家族を

  育んでくれ続けました。子供だった母たちの歓声が谷に響き渡り、平和を実感する日々が

  ゆっくりと過ぎていく谷でした。森は15歳でこの郷を去るまでの母の平穏な生活を支えて

  くれたのです。


   横須賀から戻って父に嫁いだ母は私たち兄弟をもうけました。母のたまの里帰りについ

  て行く私は、実家の栗の木によじ登って栗をむさぼる熊の鳴き声と、ザワザワと揺れる木

  の音が怖くていつも身体を硬くしていました。また母の実家には昼でも真っ暗な隧道をくぐ

  り、更に安定しないつり橋を渡り4キロの山道を歩かなければなりませんでした。結局私は

  母の実家から遠ざかるようになっていきました。今考えれば山里の暮らしをもっと知ってお

  くべきだったと残念でなりません。

   前川と呼ばれていた胆沢川やその支流を漁場にしていた祖父は、100本ほどの焼き干

  した尺岩魚とマイタケによく似たホウキ茸と呼ばれるキノコ、時には20a角の熊肉などを

  カーキ色のリュックで背負い1日がかりの道のりを歩いてやってきました。祖父の行為は

  毎年毎年欠かすことなく繰り返されました。ただただ嫁いだ娘(私の母)の婚家での立場

  を良くしたいと言う一心だったはずです。祖父が得ていた恵みはブナやミズナラの原生林

  からの贈り物です。祖父も例外ではなく森の恵みに生かされてきたのです。

   祖父は高名な森林学者でもなく、また森林学を修めた方の指導を受けたわけでも有りま

  せん。ただ先祖から伝承された方法で森とかかわったに過ぎないのです。たったこれだけ

  のことで普通に森の生態系は維持され、人間を豊かにしつづけてくれたのです。岩魚が沢

  から消えることも無く、キノコや山菜はありあまるほどに・・・。

   全く話はそれてしまいますが1990年頃、私はたった1俵だけ我が家に残っていた祖父

  の焼いた炭を手に入れ埼玉に持ち帰りました。そして何も考えずにバーベキューに使って

  しまったのです。何とおろかな事をしてしまったのでしょうか。唯一この炭が繋いでいた祖

  父との絆が途切れてしまったようで残念でなりません。
 
   今、森の荒廃が取りだたされ、ボランティアで森作りに従事する方などを多く見かけます。

  日本の林業が立ち行かなくなり建築資材としての森は放置されているのだそうです。間

  伐材を利用したり作業の手伝いは
林業再生にとって重要な事と評価は出来ますが、しか

  し日本の森の将来に対しては根本的な対策にはなっていないと思います。単に林業の再

  生が目的であれば輸入される外材を規制したり、国産材に付加価値をつける努力、杉や

  檜の利用価値を広げたりする事を考えるべきで、むしろ政治の主導・責任でなされるべき

  ものだと思うのです。林業に夢が戻れば必然的に林業は活性化するでしょう。

   無論森の手入れをする必要性は建築資材としての側面だけでは有りません。特に昆虫

  などあらゆる生物が生きていける森でなければ、食物連鎖は形成されず豊かな森とはな

  りえません。そのためには針葉樹が広葉樹に変わって行ける手助けも、時として必要か

  もしれません。また針葉樹の森では下枝を落とさないと根張りが浅く、土壌の流失を起こ

  してしまうのだそうです。

   ともすれば森の話と林業の話を一緒にして議論がなされるケースが見受けられます。逆

  に関連付けて議論が必要な時もあるはずです。ケースごとに正しい理解が必要なのです

  が、こうしたことはマスコミでさえ正しく理解しないまま報道しています。ますます問題点が

  ボケてしまっています。誤解を恐れずあえて話をさせてもらいますが、何よりスタート時点

  で間違いが生じていると思います。日本人はある時期に道を間違えました。山は本来自

  然に恵みをもたらしていたはずなのに、違った恵み(富)を求めた人間(日本人など先進

  国)が偽モノの木を植えて、偽の森を作り偽の山を作ってしまいました。これは人間の大

  きな驕りであり大罪です。日本を例にとると国策として実施されたものであって個々の林

  業者の責任では無いと十分理解はしていますが、このままだと結果として偽モノを作り続

  けるような事になってしまうのではないでしょうか。今、我々が考えなくてはいけないのは


  林業の再生
ではなく、森の再生のような気がしてならないのです。

   いまだに林業従事者、特に農水省(営林署)で働く方の仕事を確保するため、ブナやミ

  ズナラが切り倒され荒廃の元凶である針葉樹が無計画に植え続けられています。偽モノを

  作るのは・・・もうやめませんか。

   誤解されては困りますが私はブナが尊くて杉が卑しいと言っているのでは有りません。

  本来そこに存在する生態系を保全すべきだ・・・と言っているのです。甲武信ヶ岳から武信

  白岩岳への縦走路には、シラビソかオオシラビソの息吹きでむせ返るような素晴らしい森

  が展開します。朽ちた大木から実生の苗が育ち立派に世代更新が繰り返されている事を

  知った私は、大変な感動を覚えた事があります。森に対する思いを一気に転換させられた

  一瞬でも有りました。それは広葉樹であれ針葉樹であれ本物だったからだと思っています。

   本物の森に回帰していく為には何をすればいいのでしょうか。今一番悪影響を及ぼして

  いるのは間違いなく人間の欲とそのことから波及した温暖化でしょう。文明国家の活動が

  森林の体系・植生を変え、さらには大気を汚し酸性雨などをもたらします。集中豪雨はあ

  らゆる生命体を健康的に育む、大切な土壌を押し流します。この状態が破壊の元凶です

  からこのリズムを変える事が大事ではないでしょうか。そのために私たちは何が出来るの

  でしょうか・・・いいえ!! 何をしなければならないのでしょうか?

   せいぜいできることは限られていますが・・・私自身日々のことから
不便に生きる努力を

  してみようと思います。すこしでも文明から遠ざかる努力をしましょう。そしてそうした活動を

  大切だと思ってくれる人が一人でも増えるような、そんな努力をしたいと思います。

   それだけでも小さな変化は現れ、やがて大きなうねりとなり・・・森が蘇えっていくような気

  がします。本物の森は人間の手など少しも必要としない事を万古斧鉞の森自信が証明し

  ているではないですか。

 

   全てが富の対象になってゆく人間社会、ブラジルでは日本人が消費するイモを栽培する

  畑を作るために、ジャングルがどんどん減っているそうです。酸素がなくなるまでおろかな

  人間達は気づかないのでしょうか。
 

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