【7年という時間】・・・・・中山道踏破を振り返って

 スタートしたのはとてつもなく寒い冬の日でした。あの日から既に七年が経過しているなんて・・・とても信じられません。

長かったのに短いようで・・・終わってしまったのにまだまだ終わってほしくない・・・何とも言い表せない気持ちです。

 
 2013年11月2日、ゴールの前夜に私たち夫婦はあれこれずいぶん迷いました。まだまだゴールしたくは無い・・・しかし

今回を逃せば僅かな区間のために、わざわざ京都まで来なければならなくなります。

 三条大橋で出迎えることを標榜してくれた方もいらっしたのに、その好意を無にしてゴールしてしまうのがどうにも申し訳

ない・・・。

 京都まで来るための時間は簡単には捻出できず、時間ができるのは2014年の3月までは無理でした。そんなことから

何時までも引き延ばすわけにもいかず、とりあえず区切りを着けるためにゴールすることにしたのです。

 誰に話したわけではなく私たち二人で勝手に歩き始めた中山道、二人で静かにゴールするのも私たちにふさわしいでし

ょう。

 2013年11月3日は妻の膝が痛み、ポツリポツリと雨が落ち始める天候。簡単にはゴールさせてはくれませんでした。

 そしてゴールした妻が晴れがましい顔をすることもなく、注目されることも好きではない私たち二人に、派手なリアクシ

ョンはありませんでした。

 ご声援を頂いたみなさん、ありがとうございました。ご声援を励みに踏破ができたと思っています。



今、7年間・・・諦めずに歩けた自分たちを、自分たちで誉めています。あまりこんな事を話題にしない妻も、流石に今回は

友達に『中山道を歩き終えた』と報告していました。心の中に・・・こんな報告をする事は無いだろう・・・との想いがあったの

だと思います。40数年一緒に人生を歩んで、誇らしげに話す妻の姿を初めて見た気がします。このことが二人で中山道を

歩いた・・・すべて・・・なのです。

それにしてもいろんな障害の連続、波乱に満ちた7年間でした。振り返ると・・・・・


 2007年  スタートして2か月ほど経過したとき、街歩きをしていて私が右足を骨折。この年はこれ以降は歩くのが怖く

        なって、自然に中山道から遠のいていた。

 2008年  2月に父が鬼籍に入る。父の後始末などで岩手の往復が数度にわたり、なかなか時間が取れず。

        しかも骨折後の歩く事への不安・・・。

 2009年  現役最後の年、春夏は百名山を意識して登山に時間を費やし、中山道からは少し遠のく結果に。

        木曽路・野尻宿まで進む。本当はこの年でゴールできるはずだったのに・・・半分も進んでいない。

 2010年  退職。いつでも時間が取れそうになった途端、妻が坐骨神経痛で全く動けなくなる。

        息子レオが体調不良で、連れて歩くこともできず、当然置いて行くこともできず、中山道から離れる。

        妻の母が脳血管障害で手術入院。結局中山道は一度だけの歩きとなる。

 2011年  新年の1月に息子が旅立つ。皮肉にも時間が取れるようになり、初の外国旅行。加納宿(岐阜市)まで進む。

        秋には新しい息子ココちゃんが増える。しかし病弱で介護に時間を費やす。

 2012年  兄が鬼籍に入る。私が坐骨神経痛で苦しむ。妻が転倒してろっ骨を骨折する。

        中山道は近江路・番場宿まで進む。

 2013年   坐骨神経痛を抱えながら、山に中山道に積極的に挑む。妻の母が肺炎で入院して介護に追われる。

        中山道を踏破、ゴールする!!

 
 いま私たちは次の目標について話し合っています。二人で挑めること・・・が重要なファクターですから、多分【街

道歩き】になると思います。ゴール近くなって・・・遠くまで出かけるのは今回の【中山道】で苦労しましたから、次回

は【日光街道】などの近いところを選択すると思います。

 夫婦で挑む街道歩き・・・7年は本当に充実した大切な時間でした。歩いたのは中山道ですが、人生と言う道を一

緒に歩いていた気がします。これからも二人で何かに挑みながら、人生ロードを一緒に歩んでいくことになります。

                中山道いろいろ旅