美濃路Ⅱ(大湫宿~太田宿)
11. 5. 2(月)  
【大湫宿~細久手宿】6キロ

 昨日は朝からの雨で歩く気力が湧かなかった。時間をどのように潰すか相談した結果、【ささゆりの湯】で過ごす事

にする。どうせ・・・外は雨、珍しく一日をまったり過ごした。帰りはまたまた・・・明智駅近くのバローで買い物をする。


 大湫に車を置くと今日の目的地御嶽宿を目指して進む。今日の予定は自転車が大活躍だ。細久手まで進むと自転

車で車を取りに戻り、そして細久手に車を置くと今度は御嶽をめざし、到着後再び自転車で車を回収に戻る。

 大湫の街並みはしっかりと保存されている感じがする。うだつのあるお宅、むしこ窓のお宅・・・十分に楽した。

 高札場を過ぎると宿の街並みは途切れる。


大湫宿の街並み               大湫高札場

 左手に大湫病院を見て進むと、ほどなく琵琶峠の登り口にでる。琵琶峠は美濃路の最高所で、また石畳は現存す

る日本最長だ。車の入れない峠を自転車を押して登る。帰りのアクセスのためには、欠かせない努力なのだ。



琵琶峠                     石畳を登る

 峠頂上には和宮の句碑がある。住み慣れた都に愛する人を残して、東に行く事の辛さを詠っている。中山道には

和宮関連の史跡が多く点在する。

 八瀬沢一里塚は江戸へ九十一里、京へ四十三里で、これを過ぎるとすぐに八瀬沢の集落が見える。


峠頂上の和宮の句碑              八瀬沢の一里塚

 一旦通りを横切って進むので、私の頭の中では帰りの自転車で通る道順を懸命に考えていた。横切った通りが方

向的にどうにも理解できなかったので。結局この道は帰りに通る道ではなく、自転車では琵琶峠を大きく迂回して進

む道を通るのだった。

 細い道で当時の幅員である事は想像できるが、残念な事に折角の趣を台無しにして舗装の道だけが細久手に続い

ていく。

 弁天沼を見るとコースの半分を超える。


琵琶峠の下りを行く               弁財天の池

 峠もそうだがこの舗装された道の脇には、沢山のショウジョウバカマが咲いた。この花は高山では雪解け時期の

花だが、この低い標高で見られるとは思ってもいなかった。

 奥之田一里塚はほとんど跡かたはなく、新しく設置された石碑があるのみだ。

 街並みに入って行くも家並は途切れ途切れで、しかも本当に古い建物は数棟だけで少し見劣りがする。

 公民館でトイレを使わせていただき、予定通り自転車で大湫に戻る。琵琶峠を大きく迂回するので登りとしては

それほど辛くない道だった。


ショウジョウバカマが多く咲く峠道       奥之田の一里塚    細久手本陣


【細久手宿~御嶽宿】13キロ

 車を公民館に停めさせていただくと、御嶽を目指す。その前にコーヒーでリフレッシュ・・・、そして再びトイレを借

りる。このトイレは集落で管理しているので、寸志が必要なのでご協力をお願いします。

 くじ場を過ぎると小さな峠を下る。そして平岩橋から登り秋葉坂へ続くと、東海自然歩道を進む事になる。


くじ場跡

 秋葉坂に入っていく。この区間は往時の面影を残す尾根筋の山道で、ひっそりと落ち着いた雰囲気が楽しめる。

旅人が安全な道中を祈って手を合わせた【秋葉坂三尊】が、私たちを見下ろしていた。


秋葉坂の登りへ                  秋葉坂の三尊

 素晴らしい・・・街道歩きを満喫できるこの通りは、実はゴルフ場が隣接している。打球が当たって怪我をしない

ようにネットが張られている個所もあった。

 鴨之巣一里塚は珍しい現存する一里塚だが、この後しばらく現存する一里塚はないそうだ。


ゴルフ場が隣接する中山道            鴨之巣の一里塚

 くじあげ坂・藤あげ坂・・・津橋の集落が望むと道は下っていく。野良仕事をしているお年寄りがたくさん見られる。

大きな道を横断する箇所に公衆トイレがあり、再び峠に入る前に用を足した。

 ここは御嶽から自転車で戻る際の重要ポイントで、道をしっかり頭の中に叩き込む。自転車ではナビも無くこれが

実は重要な作業なのだ。


津橋の集落                   津橋にあるトイレ

 御殿場への道標を目印にして、再び登りにかかる。先ほどからスズメバチがブンブン威嚇してくるので注意して周

りを見回すと、ほとんどのお宅の軒先に大きな巣があった。

 坂道の杉林が一旦途切れると牧場のような農家があり、そこでカモが遊んでいた。おそらく田んぼで仕事をするカ

モ君だろう。


御殿場へ                   農家のカモ

 【
御殿場】跡に到着する。ちょうどお昼時間だったが、トイレが使用禁止になっていたのでここでの食事を止めた。

せっかくの眺望を楽しむ事ができなかった。

 少し進むと何とこんな山の中にスイーツのお店があり、多くの車が止まっていた。きっと行列のできるお店なのだ

ろう。先を急いでいたので味見はしなかった。

 ここから先は多くの湧水池が連続する。


御殿場から少し先のスイーツ店         唄清水を初め多くの清水

 十本木茶屋から左に折れて街道を進む。ここで見た新道の坂はあまりの急こう配で、帰路に自転車で登ろうとは

思えなかった。何とか勾配の緩い道を帰りたいものだ。


十本木茶屋を過ぎ左折して復元の【うとう坂】へ

 少し下ると【うとう坂】になるが、その手前に復元された【うとう坂一里塚】がある。また広重の六十九次の【御嶽】

のモデルになったのが、下の木賃宿らしい。


広重の題材になったと言われている付近    その解説板

 うとう坂の石畳は整備復元されたものだが、しっかりと往時の雰囲気が保存されている。途中に隠れキリシタンの

史跡と思われる【マリア像】があり、見学できるようになっていたが脚力的にギリギリの状態で、回り道する余裕はな

く見学できず。

 うとう坂とは旅人があまりに苦しい登りに【歌を唄って気を紛らわした】ところから【歌唄う坂(うた うたう坂)】、そし

て【うとう坂】になったそうだ。

 再び新道に出会うと右手に【耳神社】に出会う。耳の神社は全国的にも珍しく、全国からの参拝者があるとか。奉

納するのは何と【錐(キリ)】なのだそうだ。


うとう坂の石畳                全国的にも珍しい【耳神社】

 坂を下りきるとのどかな田園地帯を進んでいく。ここで地元の方に細久手に戻る道を聞きいた。『あまりに登りがき

ついので・・・』と話すと、比較的登りの緩やかな道を教えてもらう事が出来た。地図を見ながらの親切に・・・感謝の

気持ちでいっぱいだった。ちょうど和泉式部の廟所前だったので、『ぜひ見て行け』と勧めてくれた。

 R21を進んで行くとバイパスに分かれて、右手の旧道に入る。右手の小高い場所に神社が見えて来たところで、

左に折れ街並みに入っていった。駅前まで進むと少し手前に街の施設で休憩所がある。ここではお茶を無料で出し

ていただけた。トイレを借り食事もしたいと考えたのだが、喫茶店のようなシステムだったからさすがに食事は遠慮

した。駅で食事をしようと思って名鉄の御嶽駅に行ったところ、椅子は一つもなく仕方なく裏の公園に向かう。

 ちょうど役場の方がいて、親切にいろいろ教えてくれた。この公園では足湯ができるようになっているが、お湯では

なく暖かい石の上に足を乗せるようになっていた。

 昼食のおにぎりを食べて私は細久手に自転車で向かったが、妻はここで足を楽しんだ後に先ほどの休憩所でコー

ヒーとお菓子のセットを注文して私を待っていたそうだ。


和泉式部廟                    御嶽宿の街並み

【御嶽宿~伏見宿】4キロ

 細久手までは1時間ほどかかる。教えていただいた道は比較的緩やかな勾配で、自転車を下りて押すことなく

『津橋』まで進めた。しかしそこからはとても下りずに走行する事は無理で、お尻が痛くて・・・泣きたくなるほど今

日は自転車のペダルを踏んでいる。後で妻に確認してもらうと、お尻は大きい青アザになっていた。



 細久手の公民館から回送した車を御嶽駅の駐車場に置き、再び伏見宿目指して二人は歩き始めた。

 R21に出て進むと、すぐに鬼首塚だ。道は時折R21と分かれて旧街道に入る。こちらのほうが歩きとしてはR

21より数段楽しめる。


鬼首塚                     R21を行く  時折脇道へ

前方には赤い橋が見えてくると【比衣一里塚】だが、ここから三度R21と分かれて進む。


再び前方右手の道へ               比衣一里塚跡

 東海環状自動車道
の下をくぐって進む。多くの看板が目につくが、よく見ると【イノシシ注意】となっている。

 枚数が多く掲示されている個所が気になって注意してみると、しっかりと【けもの道】が出来上がっていた。


高速道をくぐる                 電柱の個所から左に進む

 四度R21に出会うと、もう目の前が伏見宿本陣跡だ。現在は公民館になっている。

 今日の予定は達成したので名鉄明智駅に向かい、電車で御嶽駅に戻った。途中車窓から見たスーパーバロー

で買い物をし、【道の駅可児って】で泊る。到着は19時を回っていたので、すでに5・6台の車があった。今夜はさ

びしくない夜になりそうで安心する。


本陣跡・・・現在は公民館           道の駅【可児って(かにって)】


11. 5. 3(火)
【伏見宿~太田宿】8キロ

 朝7時には可児ってを出発し、10分ほどで昨日の伏見本陣跡の公民館に到着。今日はここに車を置かせていた

だき、7時半に出発した。同じ考えの方がいたようで、浜松ナンバーの車がすでに停まっていた。R21に出会うま

では一本道で、R21には大型の電化製品量販店などがあり目印になる。

 このあたりで私はどうもお腹の調子が悪くなり、かなり不安な状態で歩いていた。ただ差し迫った状態にはかなり

間があった。妻が心配して喫茶店などを覗きながら進んでくれたが、時間が早くて開いている店はなかなか無い。

 後でわかったのだが【モーニングセット】をやっている店が多く、トイレを借りた喫茶店も早朝なのに客がいっぱい

だった。国道脇の喫茶店を私たちが覗いたのは8時10分だったが、お店のオープンが8時半なのに駐車場には多

くの車がオープンを待っている状態だった。


伏見宿の街並み                これより30㍍先に一里塚があった・・・碑

 JR太田線を越えるまでは道に案内が少なく、不安な気持ちで歩いていた。さらにはお腹の調子も心配。

 トイレが我慢できない状態になったところで、ちょうど喫茶店があった。トイレが助かった事もありますが、何より

モーニングの値段が安くてびっくり。コーヒーとトースト、卵とハムなどがワンプレートで300円。だから自宅で朝食

をとらずにここで食べているような方が大勢いて、喫茶店の文化・モーニングの文化があるんだなー・・・と感じた。

私たちが寄ったお店には、2回分も得なモーニング回数券もあった。12枚つづりで10回分の値段のようだ。安い

うえにさらに得なチケットなので、見ているとほとんどの方が回数券だ。


JR太多線を越える               浅間神社付近

 浅間神社を過ぎるともうすぐ【今渡の渡し跡】。現在は歩道が付いた太田橋で越えることができるが、当時は中山

道の三大難所の一つだった。碓氷峠・木曾のかけはし・今渡の渡しがなければよいと言われていたようだ。私は十

三峠も加えたい気がしている。

 ちょうど橋の下を客を乗せた川下りの船が通っていった。


今渡の渡し跡碑                  特徴ある【太田橋


営業中の川下りの船

 本当のコースは橋を越えてすぐのところを川に沿って行くのが中山道だが、私たちは間違えて大きな通りを進んで

しまった。警察署で聞いて間違いに気が付いたが、厳密に歩く必要もない気軽な旅なのでこれで良い事にする。

 灯篭のあるところで大きな通りに分かれ旧道に入る。すぐに公園のトイレがあり、念のためまた使った。

 さらに街並みを進んで行くと、ちょうど中間に資料館兼お休みどころがある。お座敷で休憩ができるのでここに妻

を待たせた私は、今日も自転車を駆使して伏見の公民館に戻ったのだ。

 もう尾骶骨とサドルに痛めつけられたお尻の肉は、充血してアザになっている事だろう。次回までにサドルを研究

しないと、自転車で車を回収する方法も辛いものがある。

 次回のために駐車できるか所を探したが、市役所に置けそうだ。また美濃太田駅も確認して帰路に着いた。


太田宿の街に入っていく                公園とトイレ


太田宿の街並み


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