美濃路V(太田宿〜河渡宿)

2011.4(土)

【太田宿〜鵜沼宿】8キロ

3日の夜10時に家を出て2時間ほど高速を走って【築北PA】で眠った。翌朝6時に起きて再び高速を走り続ける。

美濃加茂インターでは9時を過ぎていた。市役所に車を止めさせていただき出発する。


駐車場を借りた美濃加茂市役所

前回の終了地点【旧小松屋】から歩き始めた。すぐに【脇本陣林家住宅】がある。奥行きが50メートルもあるという看板

を見て、妻が見学していこうと言うので中へ入った。するとボランティアの方がいらっしゃって中を案内してくれた。

隣には【中山道会館】もあるがそちらは見学しなかった。

太田の街並みも比較的しっかり保存されている方である。うだつや虫籠窓が残っているお宅も多い。

     
太田宿の街並み                         うだつが残る

三和土や大黒柱の説明など20分ほど案内していただいたが、今日は先が長いので早々に失礼した。

R41を横断する際にその手前を右左折しなければならないが、少し間違えたようだ。


資料館を見学

道は一旦木曽川の堤防を進む。本当はこのまま進んだ方が気持ちが良いが、R21に戻らなければならない。この国道に

沿って歩く区間が何とも風情がない。大型トラックの排気ガスを吸って延々と進む。

読みにくい町名として町名を町興しに利用している【坂祝町・・・さかほぎ】に入る。城跡の展望台を過ぎ岩屋観音に到着。

国道からはすぐ近く、折角なので参拝した。眼下を木曽川が流れる素晴らしい眺めである。

   
堤防を歩く                  城跡の展望台     岩屋観音 観音堂

そろそろ【うとう峠】の入り口であるが、あろう事かこれを見落としてしまった。廃業したレストランの駐車場の隅から階段を

下りて、国道の下を地下道でくぐるのだがこれが判らなかった。この先のガソリンスタンドで聞くと通り過ぎてきた事が判っ

たが、実際にはこの時でもまだ戻った方が近かった。戻らずに進んだために味気ない国道脇の歩道を延々と歩く事になっ

た。うとう峠は人によっては中山道一の景勝地とも言われ、これを見ずに京都を目指す事は残念の極みである。

再度このコースは歩き直そうと思っている。

一旦JRの鵜沼駅まで歩き、時刻表を見ると美濃太田行きが5分ほどで来る。広場にいる妻のところへ戻る時間も無かった

ので電話で伝えそのまま電車に飛び乗った。車の鍵を念のため持ったまま向かったのが正解だった。

     
鵜沼宿の中心部へ                    鵜沼の街並み


【鵜沼宿〜加納宿】17キロ

鵜沼駅で妻と自転車を回収する。駐車場を探すが見当たらない。タクシーの運転手さんに聞くと宿場の街並みが切れるあ

たりに『スーパーがある』と教えていただき向かった。

今度は新加納(各務ヶ原)までの区間である。しかしこの区間も全く国道に沿って進む心情的に最も辛い区間となる。

鵜沼宿から消防署のところでR21と合流するが、それから新加納までの区間は見るべきモノもあまりない。

     
 道を聞いた足の速い男性              高山線を越える陸橋

おもしろかったのはある工場の敷地に小型のジェット機が展示されていたことだ。

名鉄三柿野駅のベンチで初めて休憩を入れた。暑い日なのに妻はトイレの心配があってあまり水分を取らないこともあり、

ダメージは相当にきつい。二人とも500tのペットボトルを立て続けに2本ずつ飲んだ。お茶やコーラ、オレンジジュースなど

どこへ入ったのか信じられないほど一気に飲み干した。水分が干からびていた細胞の隅々まで行き渡った気がした。


 飛行機が展示されている工場

六軒の一里塚を過ぎるともう新加納は直ぐで、本日は市役所で終わることにした。だいぶへたばった。早く休みたいが明日の

調査もある。市役所などを確認するも駐車場は開放されていそうにない。とりあえず鵜沼まで戻り残してあった宿場の街並み

の中をスーパーまで向かった。このスーパーで夕食を調達する。するとやかんを忘れてきたことに気がついた。途中のニトリで

やかんを買い各務原のどこか野営できそうな場所を探す事にする。

     
六軒一里塚跡             六軒付近は国道を進む

市民公園の交番で確認するとこのあたりには道の駅が無く、柳津まで行くことになった。変な公園で泊まるより少々遠くても

道の駅の方が安心である。柳津までは1時間ほどかかり到着したのは7時を回っていた。すでに条件の良い駐車スペースは

占拠されており、トイレの前あたりしか残っていなかった。
2011.6.5(日)

間の宿 新加納〜加納宿

道の駅や高速のPAなどは隣に騒がしい車が停まると最悪だが、この日の場合がそうで22時頃に一旦移動した。

確り眠り翌朝目覚めると昨夜は2割ほど空いていた駐車スペースがほぼ満車であった。こうした旅をする人口の多さを再確認。

      
道の駅柳津                     朝6時の段階で数台しか空きスペースがない

各務ヶ原に戻って市民公園駅の駐車場に車を停めた。ここは有料時間貸しである。公園に沿って中山道まで歩き、いよいよス

タート。今日は加納宿(現岐阜市)に至る10キロを歩く。

新加納の街並みが途切れるあたりに【新加納一里塚】がある。ここで数十メートルほど道を間違えた。住宅地を通るようだ。

     
新加納の町並み                         一里塚

街並みを抜けると右手には名鉄各務ヶ原線とJR高山線が並行して走る。田んぼの中の道で【東海北陸道】と交差した。

切通付近の家並、さらに手力付近の家並を抜け進む。このあたりには一部古い感じのものが残されている。

     
東海北陸自動車道をくぐる                   切通陣屋跡付近の街並み

R22を超えると本日の予定の3分の2は終了する。ここ細畑には一里塚が残っており、街並みもまた見るべきものがある。

  
R22を横断する               細畑の街並み             細畑一里塚

伊勢道の分岐を過ぎると長屋門がある。市の文化財になっているようだが、見学はできそうにない感じだった。実際に個人の

方の住まいのようだ。

    
伊勢道への分岐                      長屋門跡

目の前に高架のJR東海道線が現れる。この付近にも古い家並が若干残されている。高架をくぐると右手の少し奥まった所に

喫茶店がある。今日はここでコーヒータイムにした。店先にモーニングの看板があり、それの内容を確認すると合格だったので

入ることに・・・。

美濃路に入ってからは喫茶店が目につき、ほとんどのお店が早朝からオープンしていてお年寄りなどの社交場になっている。

あるいはこうしたお店で朝食にする文化が定着しているようだ。どのお店のモーニングセットもリーズナブルでボリューム満点、

しかもおいしい。お店間の競争がこうした文化を定着させているのだ。その証拠に私達がこれまで寄ったどの店も満席に近い。

    
JR東海道本線と名鉄名古屋本線が横断する    来人喜人(きときと)のモーニングセット

喫茶店【来人喜人】をでてすぐに名鉄名古屋本線、【茶所】という駅の脇で踏切を超える。もう加納宿の街並みである

看板・表示も多く迷うことはない。さらには道の色も他の道と区別されていて分かりやすい。

     
道標                綺麗な説明版

当時の史跡などが点在する街並みを進むと加納城の大手門跡になり、ここから右に折れて進む

  
加納城大手門跡の碑

さらに脇本陣跡や和宮関連の史跡などを見ながら進み、岐阜駅からの交差点で本日の終了とした。

    
松波本陣跡の和宮歌碑                 脇本陣跡

自転車を押しながら岐阜駅のコンコースを抜け、駅の反対側に出ると名鉄岐阜駅が右手に見える。歩道橋で結ばれているが、

あえて下を通って名鉄に向かう。歩道橋よりは遠回りかもしれない。

駅へのアプローチがなかなか分かりにくくて少しまごついたが、エスカレータを見つけて券売機にたどり着いた。

自転車代も確りお支払したが目的地の市民公園駅は無人なのでひょっとしたら無料で乗れたかもしれない。

電車は30分ほどかかって到着した。次回は岐阜がスタートとなるので駐車場を探したが無料のものはありそうになく、スーパー

などを利用する事になりそうだ。でもそのお店で必ず夕食や翌朝の食事を調達するので・・・いつも勘弁していただいている。


2012.10.29(月)

【加納宿〜河渡宿】6キロ


何と・・・前回から1年以上もの時が経過してしまった。春は義母の手術が、そして夏は兄の他界と遊んでいる場合ではなかった。

岐阜からのスタート。スタート地点に到着するだけでも1日を要するほど、埼玉は遠くにある。土曜の夜に出発し途中の阿智Pで

眠り、朝食事を摂ってゆっくりスタート。途中関SAで再び大休憩。地元の名産などでお昼とした。当然、岐阜到着は昼過ぎ。

この日はもう歩く意識は無くなっていた。前回も泊まった道の駅【柳津】に向かう。道の駅で出汁やうどんを手に入れて、この日は

うどんを堪能。

翌日、9時前には道の駅を出て、岐阜駅近くのアピタに向かう。今日の駐車場はアピタ、そしてココちゃんは留守番だ。広い駐車場

には開店前でも既に数台が駐車してあり、不法駐車が目立たず少し安心する。『3時間ほどお願いします』と、お店の方向に敬礼を。



アピタから一旦駅前通りまで戻って、中山道の看板からスタート。このあたりは新しい街並みになっていて、ほとんど趣は感じられ

ない。しかし街道に沿って史跡は僅かながら保存されている。ところどころ写真を写すポイントがある。

西番所跡を過ぎると旧宿場は終わるが、現在の街並みは続く。美濃16宿中最大の宿場、しかも珍しい城下町の要素も備え往事を

十分に堪能でき、信長や斉藤道三・・・歴史好きには堪えられない街並みでもあるはずが・・・新しい街づくりのうねりとの戦いが感

じられる。やがて新しい時代に飲み込まれていくのだろう。大きい街ほど保存は難しいようだ。

 
JR岐阜駅への通りと交差する                   西番所跡

JRの高架に沿って進み、そしてくぐる。新しい通りからほんの少し旧街道を辿り・・・こんな事を繰り返しながら河渡を目指す。

新しくなった通りには新しい建物が建ち、旧街道には古さを感じさせるものが残り・・・街が変遷を重ねてきた様子が顕著に表現され

ている。中山道の進路を教えてくれる案内板も、複雑さを表している。これが無かったらとても旧街道を優先して通る事は不可能だ。

案内板を見落とさないように進む一方で、車を回収する際に自転車で戻るための道を確りインプットしながら進まなければならない。

結果としては迷わずにアピタの駐車場まで戻る事ができた。

長良川の水運時代の湊【鏡島湊】の説明板を左手に見て進む。ところがこの道は川を越すための橋には直接上がることができない。

 
旧街道は町の中を縫うように続く               長良川水運の湊

橋の下をくぐってから岐阜方面に一旦左折、信号まで戻ってから坂道を橋に向かって進んだ。歩行者だけはそのまま橋に上がる事

が出来ると思っていたが、行きつ戻りつしてやっと橋にたどり着く。

橋の上から長良川を見下ろすと、鵜飼の漁師さんたちが鵜の調教をしているのか。はたまた網をかけているようにも見えて・・・。今

投げ込もうとしている方もいて【投網】なのか。望遠で撮ったため肉眼では確認できなかったが、家に戻って写真を拡大して確認する

と刺さり網漁だった。

橋を渡りきると再び道が分かりづらくなる。橋が進む道よりはるかに先まで続いているためだ。橋を降り切ったら一旦戻って、堤防に

沿って進むがやはり分かりづらい。ラッキーな事にここの公民館に数人のご婦人がいて、聞く事ができ間違えずに進めた。

中山道を京都まで歩く途中・・・と話すと、『たまたま今週【中山道】のイベントが有るので、次の土曜も来て』と誘われた。

無理・・・。

妻は公民館のトイレを使わせてもらって、私は次の駐車場の場所を教えてもらう。次週のイベントで使う駐車場を使えと勧められる。

 
長良川では【刺さり網?】での落ちアユ漁        堤防の上にお社?

街並みは古いものが残された確りした宿場の趣があり、十分イベントとして活用できる街並みだと感じた。しかし第二次大戦で焼失し

ていて、実際には当時のものはほとんど残っていない。一里塚跡を右手に見て進む。

 
河渡宿にも古い街並みが残る              かつての一里塚跡 江戸から55番目の宿

街並みが切れると橋の向こうにご婦人に教えていただいたイベント用の駐車場が見えて来た。既にイベント用の幟旗も見えている。

ここで一旦車を取りに戻ることにした。暖かな日なので特段の施設が無くても、1時間程度なら待っている妻の苦痛にはならない。

この駐車場はもともと運動場のもので、しっかりとしたトイレもあるので安心だ。欲を言えば座って休めるスペースがあれば・・・、

残念だが街並みの中に休憩所は無かった。ここから岐阜駅近くのアピタまで、自転車で30分ほどを要した。

ココを散歩させてから自動車で河渡の駐車場に戻る。

途中のコンビニでお昼を仕入れて、例の駐車場でゆっくりコーヒーを飲みながらの昼食とした。


橋を越えると運送屋さんの向こうに駐車場


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