奈良の寺院巡り 【金峯山寺】
さて表題の金峯山寺。道の駅大宇陀宇陀路からは道に迷わなければ30分程度で行けます。
少し道に迷いながらも途中で教えていただいて、吉野山への狭い道を登って行きました。
そして黒門を過ぎて二王門の脇をすり抜けて進みましたが、車が停られそうな所はありません。
昔のままの門前町が続いていますから、すれ違いさえ困難な場所があるのです。
二王門の脇が広くなっているので「そこに停めろ」と言ってくれる地元の人も居ましたが、さすがに自分勝手な事は
はばかられ
一旦また下って1㌔ほど離れた無料駐車場に止めました。
そこから二人で歩いて向かいました。まあゆっくり歩いて20分から30分程度。
車の心配をするよりは、歩いて向かって正解でした。
駐車場から歩いて向かう 狭い道 この辺りはすれ違いが可能な場所
黒門は金峯山寺大峰山系の総門
金峯山寺とは金峰山修験本宗の本山で、修験者のメッカと言えます。
御本尊は蔵王権現で、開基は役小角。
吉野山と言えば桜の名所で、豊臣秀吉が花見の宴を催したと歴史にあります。
その1.000本桜で有名な吉野山から二十数キロ続き、大峯山系に位置する山上が岳などを含めた山岳霊場の
総称が「金峯山」なのです。
その山岳霊場は熊野本宮大社まで80㌔にもおよび、「熊野奥駈」という峰入修業が行われていて、一般の方も
申込みで参加できます。 一般の登山者のコースとしては7泊から要する長大なコースです。
がっ、この荒行・・・最近はつとに人気が高くて、抽選で当らないといけません。狭き門なのです。
世界遺産の熊野古道を巡るのですから霊験あらたかで、腹の黒い人もまっとうな人間になれるのでしょう。
私も若いころ・・・と言っても20年ほど前ですが申し込んだことがあります。この修行の出発地が金峯山寺です。
熊野古道とそれに関連する金峯山寺を含めた宗教文化が世界遺産なのです。
2004年に一体の宗教施設・遺産がユネスコの世界文化遺産に登録されました。
そもそも修験道とか修験本宗とはどういうものなのでしょうか?
吉野や大峯は古代から山岳信仰の聖地で、霊地として多くの修行者を集めました。
時代劇などで白装束で金剛杖を持った修行者を見たことがあると思います。ああした方たちの霊場だったのです。
当時は神仏習合が当たり前の時代で神道・仏教・道教などが融合した、日本独特の宗教文化を形成して発展して
きたのが修験道です。
開祖と言われているのは役小角です。
金峯山寺のご本尊は蔵王権現と言われる仏教の仏様とも神道の神様ともつかない独特の尊格ですから、どちらの
性格が強い宗教なのかを見極めるのは非常に難しいのです。
明治になって政府から神仏習合が禁止され、廃仏毀釈から修験道は神道化に舵を切らざるを得なくなりました。
そして数年後には修験道が明治政府によって廃止されたのです。修験道にとっては非常に厳しい時代でした。
平安時代に修験道は本山派と当山派の二つに分かれていました。本山派は天台宗系で、当山派は真言宗系。
のちに徳川家康の命により天台宗の僧、天海が金峯山寺の学頭になり、金峯山は天台宗の傘下に置かれました。
明治に話を戻しますが、政府から禁止された修験道ですが、明治19年に天台宗修験派として再興をを果たします。
そして戦後の昭和23年に天台宗から分派独立して大峯修験宗が成立。そして昭和27年に改称して現在の金峯山
修験本宗となり、金峯山寺が同宗の総本山になっています。
歴史的に見て修験道の権勢が巨大であったことが、事実として残っています。
金峯山や修験道が抱える僧兵の軍事力を背景に、後醍醐天皇が吉野に移って南朝を起こしたのも無関係では
ない見られているのです。
駐車場から歩いて行くと途中にケーブルカーの駅があり、アクセスは車より楽かもしれません。
最初の黒門をくぐりますがこの門は金峯山寺の門と言うよりは、吉野山一帯の総門という方が適切と思います。
そして金峯山寺の二王門・・・改修中で足場やネットに覆われてましたが、仁王様は見る事ができました。
これ国宝です。
そして同じく国宝の蔵王堂(本堂)。国宝としては東大寺の大仏殿に次ぐ大きさです。
権現様の真言がわかりませんでしたから、係の方に聞いたら目の前に書いてありました。
仁王門 蔵王堂(本堂)
この一帯の宗教文化の神髄に触れるためには、実際に熊野古道を歩くなどしないと無理だと思います。
世界遺産として登録されるほどの壮大な文化のスケールは、ただ金峯山寺にお参りしただけでは理解できない
のです。
まだ歩ける年齢の内に一度奥駈道を旅してみたいですね!
奈良までの往復と7泊から8泊のコースですから、半月は時間が必要です。
家族の理解と協力が無いと達成はできませんね。
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