【経緯】 歩き始めた理由
20年ほど前になりますが妻が友達と紅葉狩りに行き、素晴らしい秋を堪能して帰って来ました。その翌年
『もう一度あんな紅葉を見てみたい』と言うので二人で出かけました。しかし何度も出かけたのですが、妻が
満足する紅葉にめぐり合えませんでした。妻の欲求不満は募る一方で、その影響はもろに私を直撃しました。
何とか早くガス抜きをする必要がありました。そこで荒船山の艫岩から内山峠の紅葉を俯瞰させる事にしま
した。当日はやはり満足な紅葉ではありませんでしたが、妻は艫岩から望む北アルプスの白い嶺々に感嘆の
声をあげていたのです。何とかガスは抜けたようです。これが二人の最初の登山とは呼べない山歩き・・・自
然との交わりでした。大自然の素晴らしさに感動した妻は、虫にさえ大声を出していたのにまた山に来たいと
言ったのです。そして二人で《自宅から見える山の全部の頂に立つ》ことが、この日以降二人のライフワーク
となったのです。ところが実母が脳血管障害で倒れ介護の必要が出来た妻は山から遠のかざるを得なくなり
ました。あわせてストレスからか自らも病を罹患してしまったのです。
二人のライフワークを追及することは出来なくなりましたが、私はまるでマグロのような性格で常に動き回っ
ていないと呼吸不全に陥ってしまうのです。妻には疲れもあったでしょうが、私は出来るだけ外に連れ出すよ
うに心がけていました。介護の関係で大きな旅は出来ませんが、【土日だけは二人の時間を作る】ために小さ
な旅を欠かさないようにしています。
妻と二人での旅に『宿場や古い町並みを廻る』という楽しみがありました。ですから中山道の宿場もかなりの
数を訪れていました。街並みとしては北国街道の海野(うんの)宿が大好きで何度も訪れています。
ある年の正月、従兄弟から年賀状が届き『夫婦で中山道を踏破した』と書かれてありました。非常に羨ましく
思っていました。最近、従兄弟に会う機会があり話を聞いた妻は『私も歩いてみたい』と言い出しました。体力
的にとても無理だとは思ったのですが、山登りは二人の共通の楽しみではなくなりつつありますので、何か二
人で挑戦できるものが欲しかったのです。妻が歩いてみたいというのに私が反対する理由は何もありません。
碓氷峠や和田峠のように妻が体力的に辛いだろうと思われる場所は車でなるべく忠実に走行します。その後
私が二人分の思いを背負って歩きます。そんな計画で【中山道ゆっくり旅】は始まりました。
従兄弟のホームページは手引書として利用します。ヤフーで辻村好一と検索すればアクセスできます。
【経過】
とびとびですが150キロ程歩いてみると、碓氷峠などは体力的に無理だと解りました。もともと踏破する事が
目的ではなく、夫婦共通の楽しみを持つ為に始めた旅ですから、歩く事に拘る必要はありません。自転車・自
動車、何でも使う事にしました。そこで【板鼻宿、07・3・25】以降を【中山道いろいろ旅】と改題したのです。