3,000㍍峰一気に6座の大縦走・・・荒川東(悪沢)岳・赤石岳 丸山(3,032㍍)・荒川中岳(3,083㍍)・荒川前岳(3,068㍍)・小赤石岳(3,081㍍)
平田影郎
荒川東(悪沢)岳から中岳まではちょうど一時間程だ。中岳に向かう途中にやはり急こう配の岩場があるので慎重に行動する。今回これ以降は危険と感じるような場所は無かったと思う。
中岳避難小屋は千枚小屋を出てからちょうど3時間を経過していて、軽く行動食をお腹に入れた。バナナと擦りおろしリンゴのチューブ入り、そしてドライフルーツ。足にもかなりエネルギーが注入され、この後さらに頑張れそうである。
小屋の中を興味本位で覗いてみると、張り紙がしてある。【トイレではないからここにするな】と言うような内容である。管理人が不在の冬季解放時などにここに排泄する登山者がいるのだろう。確かにトイレは鍵締めで男性用しか使用できない状態ではあった。
推測するに・・・・・他人の目を気にして女性が・・・と考えるのは早計だろうか。
中岳山頂はここから数分だ。しかしここでも長居は辛いのであっという間に通り過ぎ、前岳への分岐へ向かう。
前岳へも分岐からほんの数分である。これで3,000㍍峰の4座を終えた。一刻も早く尾根の反対側に回りたい・・・事実、前岳への分岐から荒川小屋に下り始めると風は嘘のように消えた。とりあえず雨具の上だけを脱いでザックに押し込む。
このあたりから『今日中に椹島まで下れるか』と言う事を強く意識し始めていた。荒川小屋が10時だったら十分可能だと信じていたから、そのタイムチェックが初めて実施できる。赤石岳から椹島までコースタイムは6時間になっているが、私は全く信じておらず『せいぜい4時間だろう』と考えていた。
とすれば【荒川小屋から赤石岳を2時間でこなせば計画は100パーセント完遂】となる。
その前提として荒川小屋に10時に着けるか?・・・そんな大切な時に携帯の電池切れブザーが無情にも鳴り響いた。妻への連絡手段は失う事ができず、仕方なく電源を落とす。これで歩行しながらの時間の確認は、できなくなってしまった。夕べの氷点下の気温が電池の放電を速めたようで・・・充電して出発したのにこれは想定外の試練だ。
こんな急いでいる時に限って鹿の食害から野草を守るためのネットが張り巡らされていて、その扉はナス環とロープで固定されている。通り抜けるためにはナス環からロープを外さなければならないが、寒さに悴んだ手指は全く自分でも怖くなるほど思い通りにならない。握力も全く無くなっていた。
そのためネットの扉を開けて通行するためには、一々グローブを取る事になる。その時間も無駄ではあるが、何より寒風に地肌をさらすのが辛い。悴んで握力のない自分の手は、冬のスキー場でも経験した事が無い。
荒川小屋には予定通り到着した。今後のためにエネルギー源を摂る事にしたが、いつもの通りとても喉を通りそうにない。メニューを見て何とか食べられそうなものとして【おでん】をお願いしたが、結局は半分を残してしまった。もちろん不味かったせいもある。
袋を破いて温めるだけのおでん・・・家では絶対食べたくない【代表】みたいな料理だ。
小屋を出ると大聖寺平まで緩やかに進む。しかし一転【小赤石岳の肩】へは、これでもか・・・と言う程の登りとなる。あまりの急登に小赤石岳に隠れて赤石本峰が見えない程だ。とても見た目では小屋から赤石岳が2時間であるはずがないが・・・とりあえず先の事は考えず一歩一歩進めるしか私にできる事はない。
小屋を出る時に再び雨具を着けたが、汗を全くかけない程に体温が奪われていく。
5㍍登っては立ち止まり、10㍍登っては背中で息をする。そんな厳しい登りの後の小赤石岳山頂は11時半頃だったと思うが・・・時間さえ確認できない山行もかなり大胆である。本来こんな無茶な事があってはいけない。
分岐にザックを置き水だけを持って赤石岳に向かった。風は増々唸りを上げて襲い掛かる。怖い程ではあるが風の強さだけなら過去に経験した範疇ではある。問題は体温を奪われる事による疲労だが、頭の中では状況をしっかり確認できていた。
それにしても冷たい・・・風にあおられ続けてそろそろ6時間を超える。
山頂には若い男女がいた。風の中で佇んでいるのが何とも理解できる範囲を超えている。この寒さではロケーションも眺望も・・・どうでもよくなりそうなものだが、まあーーこの時期に好き好んで3,000㍍の山を歩いている私が、他人の事を言えた筋合いでもない。
夏であればここから【百閒洞山の家】を目指してさらに縦走するのだが、既に小屋の営業は終了していて選択の余地はない。そそくさと赤石山頂を後にした。
これで今回目的の百名山2座と百高山3座の目標は達成した。後は安全に下山する事だけに精神を集中しなければならない。
下山に向けて分岐に戻ってエネルギーを補給した。最後の非常食は食べやすいようにと工夫したつもりのバームクーヘンだが、パサつきと甘いのとでやっぱり喉を通らずふた口ほどでビニール袋に押し込んだ。残りはドライフルーツのブドウとカントリーマームなどの菓子類である。すぐに口に運べるようポケットに何個か入れた。
この作業中も手指は全く感覚を失ったマヒ状態で、気持ちは焦ってもノロノロとしか処理できない。これの延長が疲労凍死なのだろうと思った。とりあえずエネルギー補給を終えて、今度は赤石小屋を目指す。
分岐の出発は12時45分になっていたので、椹島まで下山するための目標は【小屋到着が3時】に設定した。私は下りに特に弱く、持病の右ひざの半月板が突き方を間違えるとズキーンと痛む。一回痛みを感じたら止まって確認し、大事に大事に下った。
時々携帯の電源を入れては時間と電波状態を確認するも、アンテナは無情にも【圏外】を表示しており妻への連絡手段は奪われたまま。『時間によっては椹島まで下る』事を何としても伝えたいのだ。
立ち止まっては写真を撮り・・・ロケーションに目をやりながら・・・時間を確認、そしてアンテナと。下り始めると見えていた赤石小屋は、一旦手前側のピークで見えなくなるが、確実に近付いている事は推認できる。富士見平に到着すると小屋までは30分だ。
このあたりはアルミの橋などで歩き易くなっている。
木々の間から現れたログハウスを見た時は、大きく安堵した瞬間でもあった。富士見平付近で思い着いたのだが『カメラに時間を表示させて時間を確認する』方法を取り入れてみた。我ながら素晴らしいアイデアで得意満面だったが・・・このカメラの表示時間が25分ほど狂っていた事に椹島に到着するまで気づかなかった。
赤石小屋の写真を見ていただくと14時43分になっているのが判る。とりあえず予定の範囲ではあるが、ギリギリの時間と判断してほとんど休まずに出発した。この時点では時間に余裕があった事に気がついていなかったのだ。今思えば・・・・・少し休憩したかったなーー。
小屋の庭のテーブルには、昨日の朝の椹島へのバスで一緒だった男性がいた。声をかけて挨拶をして再び下山にかかる。遭難した時などはこの行動が生きてくると思う。私の足跡を知っている人がいる・・・事が大切だ。なるべく足跡を多く残すようにしている。
予想した通り、山地図のコースタイムで1時間50分になっているチェックポイントの【樺段】には、僅か1時間で到着した。『それ見たことか』と私は自分の予想の正しさにご満悦だった。この調子では残りの5分の3もその程度と踏んだのがいけなかった。
残りの区間は確りと1時間半も要したのである。小赤石岳への登りが最大の難関と思っていたが、実はこの下りが最悪の区間であった。今日現在筋肉痛で苦しんでいるが、すべてこの区間の産物ではないか。
椹島への鉄梯子を下る。カメラの時計では5時を回っているが、当然携帯が使えると思って電源を入れた携帯の時間は5時前。当然携帯が正しいはずで仕事前に妻に連絡できると思ったが、表示は【圏外】で結局は無駄なあがきであった。
椹島には電波が届かないのだ。
この後自宅に戻るまで携帯は電池切れで使えず、【有る】事に慣れてしまった生活を送っていると僅か一日でも【無い事】が我慢できないのが疑問だ。昔は携帯なんてなくても十分生活できたのに・・・。
ロッジに急いで衛星電話で連絡を取るとすでに妻は仕事に入っていたが、椹島まで下った事を何とか伝える事ができた。
ロッジに下ったメリットは【個室でゆっくり眠れた】【翌日のスケジュールにゆとりができた】【風呂に入れた】事。反対にデメリット・・・というか苦情としては【食事がひどいのに料金が高い・・・個室分2.000円をプラスして9,000円】
【連絡が不徹底で食事ができていなかった・・・夜も朝も私の分は用意されていなかった】etc・・・・。
前夜千枚小屋でほとんど寝ていなかった私は朝寝過ごす事が不安だったが、翌朝は社員の方が起こしてくれてありがたかった。帰りのバスの運転手さんも親切で、ガイドしてもらいながら畑薙ダムに到着。
帰りのコースは運転手さんに教えていただいた島田を目指し、R1を焼津に向かった。そして焼津から東名高速に乗った。
それにしてもハードな山行だった。この時期の縦走は今後考えを改めようと思う。10月に入ったら【ピストン】の山行にしよう。
アルプスの10月は紛れもなく冬である。
中々できなかった南アルプス南部の峰々の山行、終えてみると実に深い感慨がある。私の中ではあまりに遠い地、静岡からのコースは今回で終わりになると思う。南アルプスはまだ百名山だけでも2座を残し、そのほかにも挑みたい峰々は数限りなくあるが・・・どのように踏破するのか今はまだ頭が真っ白で考えがまとまらない。虚脱感の包まれているのか?
花の百名山であるのに花を見る事もなく・・・紅葉の時期なのに水彩画のパレットを広げたような彩を焼き付けた訳でもなく・・・寒さのあまりにただ先を急いだような山行と言えなくもない。
『とりあえず百名山81座を終了した』・・・・・確実に残った思いはそれだけだ。