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中山道いろいろ旅 信濃路1【阪本・軽井沢宿~芦田宿】

信濃路1【阪本・軽井沢宿~芦田宿】

2008/11/15(土)

【坂本宿~軽井沢】10キロ
再び横川の関所を過ぎる
坂本の街並みと刎石山

 いよいよポツンと一区間だけ残っていた碓氷峠に挑む日が来た。事前にアクセスを調べ、軽井沢からのバス便なども万全にしての挑戦。弁当とコーヒーをポットに入れて持参したので、ザックは少し重くなる。

 今日は高崎乗換えのJRで横川駅まで来たが、到着は予定通り8時半。駅のトイレを使って出発する。

 時間はたっぷりあるのでいつも寄る事が出来ずにいた横川茶屋本陣に寄ってみた。しかし人が住んでいて中を覗く事は出来なかった。関所跡は前回に寄っていたのでそのまま通り過ぎ、30分弱で坂本宿まで歩く。新しいウオーキングシューズが快調の原因だ。靴底がショックを吸収してくれているようで、膝へのダメージは全く無い。

水道タンクの手前を左、杉林に沿って右へ
再び碓氷峠旧道と出会う

 阿弥陀堂を過ぎたら左に・・・と理解していたのに、うっかり見落としそのまま旧道を登り始めた。しかしどうも変だ・・・と途中で気が付き戻る。

 ちょうどバイクで通りかかった地元の方に教えていただき、貯水タンクの所から左の細い道に入る。杉林に沿って進んでいるとやっと【中山道】の小さな看板が現れ、旧の碓氷峠に戻る事が出来た。

 休憩所で熊対策の鈴をつけたり、スパッツ、山刀と装備を整える。『峠で折り返す』という男性が一人先行していったので、これで熊は心配ない。

 途中で道に迷い15分ほどロスしたので、休憩所を9時30分にスタートするという予定はギリギリセーフだった。

刎石坂には石造のものが多い
覗から坂本宿を俯瞰

 刎石坂はそこそこ厳しさがあったがスパンが短いのであっという間にクリア。10時に覗に到着した。既に汗が噴出していたので1枚脱いでザックに入れる。

 坂本の街並みはどんよりとした空の下に広がっていて、すっきりとした空の下に広がる坂本を楽しみにしていた部分もあったので残念。ザックに仕舞っていた地図を撮り出して、ズボンの後ポケットに入れて出発。

弘法の井戸 飲める雰囲気ではない
眼鏡橋の上方を通る
楽しくない歩き

 弘法の井戸は大きな柄杓が置いてあったが、中を覗くととても飲める雰囲気はなかった。この井戸のお陰で当時の村人が助かったと書いてあったが、この状況下では勇気が湧かず味見を断念する。

 関所跡には東屋があったが休まず通り過ぎる。このあたりから路はくぼんだ溝の中を進むので、展望も無くあまり楽しくない歩きだ。11時少し前に眼鏡橋の上方に差し掛かる。あまりにも素晴らしい紅葉だったので林の中に入り込んで写真を写していると、かなり下方に赤いレンガのアーチを望む事が出来た。そのアーチ橋の上を歩いている多くの人影も見る事が出来た。

 ところどころ切れて狭まった場所も通過するが、危険を感じる事は無い。

 20人ほどの団体に追いつき少し後ろを歩いていたが、お喋りに夢中でなかなか道を譲ってくれない。少しイラつき始めた頃になってやっと気が付き、先を譲ってくれた。最後方はマナーが分かるベテランにしてもらいたいものだ。

中間と知って・・・ガッカリ

 そろそろゴールかな~・・・と思っていたら【山中茶屋】の看板が立っていた。13軒もの茶屋があり当時は25人の子供がここの小学校で学んでいて、明治天皇から25円の奨学金の下附があったそうだ。もう一枚の看板を読んで私は本当にガッカリしてしまった。何とここがちょうど中間だと言う。とするとあと3キロもある事になる。

 しかもこの先は腹が減っては登れない坂で【飯食い坂】とも呼ばれているらしく、脚力を取り戻すためザックからお菓子を取り出し食べながら歩く。

 そろそろ軽井沢発2時のバスを意識していたので、時間がもったいなく感じていたのだ。

 女性が一人追いついてきたので、無くなっている事に気が付いていた地図の事を聞いてみた。彼女は知っていて『覗の近くに落ちていた』と教えてくれた。と言う事はザックから取り出して、直ぐに落としてしまったようだ。

 飯食い坂はダラダラと長く、2時のバスを意識して飛ばしていた足には相当のダメージになる。あっという間に例の女性に置いて行かれる。

やっと碓氷峠頂上
熊野神社で御朱印を頂く

 上り終えて1キロほどでやっと峠頂上の茶屋が見えた。2時のバスには1時間程余裕があったので熊野神社に参拝。この時宮司さんが親切に『路は分かりますか?』と聞いてくれたのに、私は『大体分かります』と言って聞く事はしなかった。後悔先に起たず・・・。

展望台への道の角から下る
2度目は確り確認

 展望台へ左折する路の所から崖下に下るのが中山道だった。そして直ぐに車道にぶつかると右に進むのが正しかったのだが、私は下り方向の左を選んでしまう。15分程下ったが何も表示がない。少し前から薄々おかしいと感じていたが、ここまで表示が無いのは明らかに変だ。

 思い切って引き返したがこれが正解だった。さっき間違えた所から数十メートル右に進んだところに、再び山道への下り口があった。

何処が路か判別しないほど
下り始めると紅葉のピーク

 数百メートルほど何処が路なのか分からないような場所を、軽井沢を目指して下る。何せ迷って40分も時間をロスしたのだから、ほとんどバスの出発時間と競争になってしまっていた。

まだ昼御飯も食べていないのに・・・空腹で足元は安定せず、中々急ぐ事も出来なかった。

別荘地が現れた頃・・・紅葉が見事で・・・数十枚の写真を撮ってまたまた大切な時間を消費してしまう。

妻に『軽井沢側に降りたので安心して』と電話を入れると『焦らずに食事してから3時のバスにすれば』と返事。しかし私のスピードが落ちる事はなかった。

やっと到着の旧軽銀座
本陣跡は行在所跡に
駅に急ぐ途中で

 1時20分に旧軽銀座に到着するが、前回に本陣を見ていなかったので見なければならない。写真屋さんなら知っているだろうと、迷惑を承知で飛び込み聞いてみた。そしたら嫌な顔もせず通りに出て教えてくれ、『ご苦労様』と送ってくれた。

 珍しい絵葉書などが店いっぱいに展示されていたので、次回は時間をとって感謝の意味を込めて求めたいと思う。

 本陣は【大禅】という蕎麦屋さんの片隅にあった。この後駅に急ぐが途中の商店街に木工細工があっので、またまた足を止めて面白いフクロウ をパチリ・・・時間が無いのに。軽井沢駅のバス停には1時50分に到着。思ったよりは余裕の到着で、まだ20分も時間を残していた。バス停のベンチで弁当を広げ食べる事ができた。

2008/03/09(日) 

 今回は駐車場や戻るために利用する交通機関のダイヤの関係から逆コースを歩く。【追分宿~沓掛宿~軽井沢宿】

 妻に話したら『京都から来たと思えば・・・問題ない』というので、【鶴の一声】逆歩き決定。いろいろ旅なのでそれで良い事にする。

【追分宿~沓掛宿】4キロ
追分宿常夜燈
R18から追分宿へ
一里塚

 1年前と同じように郷土館の駐車場を借りて車を停めた。ここにはトイレもあるので使ってから9時45分に出発し、直ぐに国道18号に出会う。一里塚は18号を挟んで両側に表示がある。

 パンの浅野屋バイパス店を過ぎ、お蕎麦屋さんから借宿方向を目指し脇道に入って行く。

 歩き始めはどんよりして少し風もあったが、この頃になると空は青空に変わっていた。汗をかく前に一枚脱ぐ。

借宿付近からの浅間
雰囲気が残る
屋根瓦の家紋

 借宿の信号付近で浅間山眺望地がある。写真は素晴らしさを表現し切れていないが、実際に見たらものすごくダイナミックで感動されると思う。

 是非ご自分の目でで確認してほしい。宿内は何軒かが雰囲気のある建物で、宿場の佇まいを作っている。また面白い事に屋根瓦の家紋が飾り付けてあるお宅が数軒あった。どういう意味があるのだろうか?

遠近神社

 遠近神社という眼鏡屋さんの広告のような神社を左手に見る。この付近にも綺麗で温風付きの、冬にありがた~いトイレがあった。

 念のためもう一度使う。中山道を歩く人が増えたお陰だろうか。中山道に対して群馬・長野は真剣さが伝わる。それに比べて埼玉の手抜感は否めない。

再びR18と分かれる
沓掛を目指す妻
中軽駅前の本陣跡

 一旦18号に戻るが軽井沢バイパスとの分岐を過ぎると、ほんの少しで再び右の脇道に入ってい行く。道は中軽の少し手前で18号に戻り、家並みへと入って行った。

 駅前の信号手前のお宅の表札に『本陣』と表示があったので、おそらくここが本陣跡だろう。

 中軽駅付近には全くと言っていい程昔の面影は見当たらない。

【沓掛宿~軽井沢宿】4キロ
脇本陣『桝屋』
信濃鉄道をくぐって

 脇本陣を見つけた。ここから道は信濃鉄道の反対側に移っていく。解りづらい道なので迷ったが、庭にいた奥さんに聞くと『皆さん、あの道を行きますよ』と教えてくれる。ガードの下をくぐると三叉路になっていて、ここでも少し迷う。

 新しい橋で川を渡る。

釣り師との会話
振り返ると浅間

 橋上から覗くと釣り師が一人・・・声をかけると『一匹釣りました』と明るい声が返って来た。今日を釣れる・・・という事は間違いなく【釣果】ではない・・・あらゆる事に感謝できている人・・・と感じた。

 一匹が満足なのではなく、ここにいる事ができる自分に感謝しているのだろう。おそらくは私の感性と一緒だろうからよく、その心理が理解できた。振り返ると素晴らしい浅間がどっしりと座っている。

お菓子屋さんでR18に戻る
旧軽を目指す

 和菓子屋さんの前を通り過ぎるとお孫さんと遊んでいた奥さんが『この先は行き止まりですよ』と教えてくれる。

 『皆さんはどうされるんですか?』と聞くと、息子さんが『突き当りまで行ってみて、戻って18号を行く方が多いですよ』と教えてくれた。お礼を言って線路を越え18号を旧軽方面に進む。

 別荘地に近くなると木立が多くなり道は日陰になっていた。場所によっては氷ツルツル状態で、お互い骨折を経験した私達は慎重に進む。

雲場池での昼食
カモがおねだりに来る
池の周りは雪

 3時間半が経ち正午を廻る。ものすごくお腹が空く。それにしても今日は時間がかかり過ぎだ。股関節・くるぶし・紐を締めすぎた足の甲・・・痛くて限界だった。大きく休憩を入れようと思って雲場池に向かう。

 5分ほどの距離だったが、もう足はよじれてた。本当に限界。

 ベンチを見つけ手作り弁当を広げると、池にいたカモがおねだりにやってきた。カモは可愛げもあったが、今日の暑さのせいか蚊が大発生していて、はやけたばかりのようで生涯初めての餌である私達に襲い掛かってくる。

 たちどころに数箇所刺されてしまった。

 それにしても雪の上に蚊だなんて・・・ありえない話だ。それ程に温暖化なのだろうか?

 食事を摂ると再び気力が蘇ってくる。軽井沢本陣まであと少し。  

日陰はアイスバーン
旧軽銀座

 相変わらず道はところどころでアイスバーンになっていた。テレビでいつも放映されるイタメシ屋さんは行列が店の外に続いている。それでも看板には僅か【30分待ち】と表示。しかし私が待つ事はない。

 どんなに美味しいものでも【ありがたく待たせていただく私】には絶対なりたくない。

 バス時間を気にしながら歩いてとうとう旧軽に到着。商店街で写真を撮っている姿は何となく【お上りさん】ぽくって嫌だったが、記録をしないとホームページにならないので、人目を忍んでシャッターを押す。

 本陣は【碓氷峠越え】の時に回して、今日はこれで終わりにする。

中軽駅から信濃鉄道で

 西武高原バスの町内循環内回り、13時23分に乗る。中軽まで僅か200円で運んでくれる。そして千曲バスと信濃鉄道の時間を確認すると、信濃鉄道の方が断然早い事が解った。

 信濃追分まで一駅だが今日のコンディションでは大いに助かる。

 信濃追分駅から歩いて30分、やっとの事無事に郷土館の駐車場にたどり着いた。コーヒーを立て続けに2杯ずつ飲む。達成感・・・というよりは『ヤレヤレ』という感じで、不調でした。
      

2007/01/31

【追分~小田井宿】5キロ
追分の常夜灯
雰囲気のある骨董屋
高札場

 今日は妻の外来診療の日。病院が早く終了し軽井沢の野鳥の森まで出かけたが予想外に雪が全くなく、目的のフィールドサインを楽しむ事が出来ない。中山道を歩く事に変更する。と言っても旧軽井沢付近には車を置いておく事もできない。

 ずいぶん移動しながら探し回り、常夜灯がある追分郷土館の駐車場を見つけた。

 無断では悪いので声をかけようと思って行ってみると、今日は休館日で閉まっておりトイレも使えず。

本陣跡は民家の表札
R18に合流する

 追分本陣は一般家庭の表札程度の表示しかない。しかし僅かに残る古い建物が宿場の雰囲気を感じさせている。北国街道との分れを過ぎると再び中山道資料館の所で国道と分れ、別荘地のような住宅地を進んで行く。

 途中には確り案内標が建っていて、しかも小田井まで何キロかも記入されていて安心できる。武州路(埼玉県)とはまたしても大違いだ。

小田井の説明板
ちょうど浅間が望める
本陣跡

 途中で妻がまたまたドイツのパンを標榜しているパン屋を見つける。水曜日は休みのようだ。

 鉄道に行く手を阻まれ迂回するように入り組んだ道を進んで行くと、小田井宿の看板があった。看板前には何台かの車が停められそうで、次回はここを利用する事に。

 今日はこれ以上歩くつもりはなかったが、とりあえず町並みを確認しながら歩いてみる。蔵がいくつか残されていた。

 今日はすっきり晴れ渡った気持ちのいい日で、浅間山が真っ白に輝いていた。小田井の枡形はカーブが殆ど感じない程度で、これでは進軍のスピードが落ちないだろうと思った。
 

2007/03/25

【小田井宿~岩村田宿】5キロ
ドイツパンのお店

 前回休みだった【ドイツのパン】屋さんに寄ってみた。ところが想像した通りここで作っているわけではなく、東京から取り寄せているのだそうだ。おそらく何日か置きに持ってくるのだろうから、残ったものは不味い事だろう。とっ、思いながらゴマのパンを買ってみたが・・・まあ合格でした。

 しかし作っていないのではHPで紹介はできない。ドイツ人がドイツのレシピで作っているそうだ。

 奥さんにドイツの大会で優勝したウィンナーのお店を紹介してもらう。これはHPのグルメコーナー間違いなしと思う。

小田井本陣説明板
問屋跡?

 さて目的の中山道・・・早速前回見つけておいた駐車スペースに車を置く。妻の足はまだ不完全なので、欲張らず1区間だけと決めていた。

 枡形を過ぎて少し進むと広い通に合流する。このまま進むと大きな店舗が現れ、いつも見慣れているインターチェンジ脇を通る。2月に出発した神社を過ぎて善光寺道の標柱で終わりにした。

 車に戻り教えていただいたカタクラ肉屋さんに周って見た。しかし4月までは日曜が休みで・・・がっかり。

2007/02/11

【岩村田宿~塩名田宿】5キロ
目印とした神社
善光寺道基点

 高速道佐久ICを出ると目の前に○○のドライブインがあり、隅の方をお借りして駐車した。少し歩くと今日のスタート地点、神社が見えてきた。いかにも【宿場】を感じさせると言うか【名主の館】風。それでも個人の方の屋敷のようだ。

 善光寺道の起点があり、この路で間違いないと確認できた。

浅間に見送られての旅
塩名田に到着

 コンビニで教えてもらって先の信号を右折する。路は広々とした見晴らしの良い畑の中を進み、右手には浅間山が綺麗に映えている。

 のんびりのんびり・・・浅間を眺めながら満足の歩きが続く。途中にはしっかり中山道の標柱が建っていて全く心配がない。坂を下り始めると右手に神社を見る。更に下って塩名田宿の入り口に到着する。

ワンちゃんが守る本陣
一部に確り保存される

 宿場を感じさせる建物が結構残っていた。ちょうど屋並みの真ん中辺りに本陣跡があったが、ワンちゃんが大声で吼えるいる。騒がせては申しわけないので、庭に入るのは遠慮した。遠くからの写真で本陣の表示は判読できない。

 右側が低くなっていて路が川のほうに続いて行くようなので、とりあえず下る方向へ進んでみた。

河原の大石は?
面白い看板

 少し迂回して昔の旅籠風の中を抜けると、堤防で川に突き当たる。河原には聞いていた通り、船を繋ぐ大石が転がっていた。

【塩名田宿~八幡宿】3キロ
八幡宿本陣跡

 再度国道に戻り歩道用の橋を渡る。狭い道の割には交通量が多い路だ。それでも昔に比べたらバイパスのお陰ではるかに減ってはいるのが・・・。

 白樺湖、霧が峰、美ヶ原、さらには塩尻方面から戻る時も、何十回も・・・最低年に4~5回は通っている路ですが、【中山道】だと思いながら通るのは今回が初めてだ。

 立派なお宅の隣にいきなり八幡宿の本陣跡が現れる。門が保存されていた。そこを過ぎて歩いていくと多くのお年寄りが店先のベンチに座っていた。何をしているのか不思議だったが【日帰り温泉】から迎えに来てくれるバスを待っていたのだ。このまま温泉でも良いかな・・・と一瞬迷ってしまう。

【八幡宿~望月宿】3.5キロ
雰囲気がある家屋
今も営業している?
重要文化財

 いつもガソリンを入れるスタンドを通り過ぎる。望月に向けて坂を上り、上りきったトンネルの手前を右に折れて進む。トンネルを抜けると坂になり、曲がりくねりながら下っていく。

 橋を渡るとかつての宿場町の面影を残す町並みに入っていった。ここで道路標識では一瞬道が解らなくなるが、感で昔の雰囲気のありそうな方向に進む。運良く正解だった。ちょうどトイレの心配が出始めたところだったが、博物館の向かいにトイレがあり、ここで大休止とする。
 

【望月宿~茂田井間の宿~芦田宿】5キロ
茂田井の酒蔵は美術館
大澤邦雄作

 国道を横切り【間の宿の茂田井】を目指す。ここまで来ると自然も残っていて、想像していたような楽しい歩きができる。

 一旦上り再び下って行くと家並みが見えてくる。ここで右手に折れて屋並みに入っていくと、白壁に突き当たる。当時からの大きな造り酒屋が2軒残っていて、見事な雰囲気を醸し出していた。

 そのうちの一軒は【名主の館】として無料開放していたので、当然入ってみた。

 いつも国道を通る時【信濃山林美術館】と言う看板を目にして、気になっていたが、その美術館がここだった。

 名前からして当然山の絵などがあるのだろうと考えられたが、この酒屋の2代ほど前の当主【大澤邦雄氏】の【聖域】という絵が圧倒的に目を引いた。それもそのはず文部大臣奨励賞を受賞した作品だった。

 荷物になるがあまり深く考えずに、お酒を買ってしまった。

 間の宿の家並みが切れたところで遅い昼食にする。今日は妻が炊いた混ぜご飯にから揚げ・コーンコロッケのお弁当を持参。ポットにコーヒーも入れてきていたが、これでやっと軽くなる。

点在する行灯
本陣跡は一般の民家
お酢を販売

 芦田宿はあっという間だった。大きな通りを越えて役場に向かって行く。雰囲気作りに努力している様子が伺えて・・・行灯が何箇所かに設置されていた。

 日曜だがとりあえず誰か出勤していないかな・・・と思って役場に行ってみた。地図がほしかったのだが鍵がかかっていて出勤はしていないようだった。交番に行くとお巡りさんが丁度おられて、本陣を教えてもらう。

 今も生活されているみたいで、中に立ち入るのは遠慮した。門の外から写真だけを撮らせてもらう。

 この本陣付近は往時を感じさせるそれらしき建物が、何軒か残されていた。

 再び交番に戻り『今日は車を役場の駐車場に入れて泊まります』と話す。不審者と思われないよう事前にことわる。

 そしてバスで佐久平まで戻り、車で再び立科役場に戻った。

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