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中山道いろいろ旅 武州路1【日本橋~桶川宿】

武州路1【日本橋~桶川宿】

2007/01/27(土)

【日本橋】
日本橋
日本国道路原票
欄干にともる明かり

 真夜中に日本橋の上にいる。いよいよ開始される何年かかるかもわからない、壮大な計画のスタートに身体が小刻みに震えていた。武者震いのはずだが時間的に・・・寒いのも事実。

 まずは日本橋のちょうど中央にある道路原票を、ものすごいスピードで走り抜けるタクシーの恐怖に晒されながら写真に写した。名盤も写したのだがフラッシュの光が届かずに写っていなかった。欄干の照明はボォーツとしたほの温かい柔らな光を放っていて、雰囲気的には満点であたかも壮大な旅のスタートを演出しているようだった。ちょうど3時にスタート。先日すでに妻と車で下見をしていたので、地理の心配はない。

【日本橋~板橋宿】10キロ 《板橋までは暗い内で写真が撮れず、後日撮影したものを使用》
神田明神 銭形の親分
秋葉の電気街を万世橋から

  5時には板橋に着きたいと思っていたが、いくら先を急いでいても神田明神の前は素通りできない。家族の健康を一心不乱に念じる。隣ではタクシーの運転手さんも手を合わせていて・・・この暗い神社の境内は一人ではとても心細かったと思う。《写真は09年に撮影したもので、記録文と一致しない》

本郷薬師にお参り
母校の赤門

  取り立てて写真を写したいようなものは無く、ただひたすら歩くだけの区間。本郷薬師や、本郷の母校(?)の【赤門】などは絶好のポイント。

巣鴨駅まで1時間半もかかった
遅れついでに【刺抜き地蔵】に

  巣鴨駅ではどうしても寄りたい場所があった。【お年寄りの原宿】の《刺抜き地蔵》だ。思った通りの人出で、思わずあちこちキョロキョロしてしまう。有名になった赤い下着も店頭に山と積まれたお店もあった。

【身代わり地蔵のお札】を買い求めて出発。《09年の再挑戦時に立ち寄る》

  《写真は09年に撮影》

唯一残された都電【荒川線】

  地蔵通り商店街を抜けてすぐ、都内で唯一残された路面電車荒川線を横断する。ちょうど電車が来たので記録する。

関ヶ原の将 宇喜田秀家の供養等

  風の強い日でウオーキングにはあまりいい日とは言えず、厚着をしていたので逆に汗をかきこまめに体温の調節が必要だった。板橋までの間に三度も脱いだり着たりを繰り返す。

  本当に退屈な区間で唯一見たかったのは【近藤勇】の墓だったが、知らない間に大分通り越しており交番で教えていただいた時には手遅れだった。また何時か機会があると考えて、断念して先に進む。

  変わりに関ヶ原で大阪方に着いた【宇喜田秀家】の供養塔があるというお寺に寄って見た。若いカップルが来ていた。今ブームの【歴女】なのか。そうだとしたらかなりの《通》でしょう、彼女は。
  《09年の再挑戦時に立ち寄る》

  《写真は09年に撮影》

板橋(宿)の商店街
標柱

  板橋商店街では本当に本陣跡がこの通りなのか不安だったが、誰も歩いておらず聞く事ができない。

  少し進むとまだ人通りのない商店街の真ん中に【板橋宿】の表示があった。ほっとする。
 

【板橋宿~蕨宿】9キロ

  《写真は09年に撮影》

コンクリートの板橋

  板橋の名の起こり・・・橋を渡る。この頃には周りはほとんど明るくなっていた。環七をくぐって17号 に合流。

  《写真は09年に撮影》

志村の一里塚
振り返ると日本橋から14キロ歩いていた

  さらに退屈な・・・何も無い区間が続く。志村の一里塚を過ぎて振り返ると歩道橋に【日本橋まで14㌔】の表示があった。4時間で14㌔だと、少し遊び過ぎたようだ。

  《写真は09年に撮影》

戸田橋のトイレ
やっと埼玉へ

  さらに30分歩くと荒川にかかる戸田橋を渡る。いよいよ埼玉県に入った。ここまで来るともう馴染みのある風景だ。仕事で何度も行ったりきたり・・・もう心配はない。

  渡舟場の表示が残っているが回り道になるので行かず、そのまま17号で蕨宿を目指す。

蕨宿本陣跡
資料館の中に

  しかし蕨のこの場所が重要な史跡だとはつい最近まで興味もなかった。中山道の踏破を考えなければ来る事はなかっただろう。ほとんど休まずに5時間が経過している。ここから駅まではかなりの距離があるので、体力と時間に余裕があれば5キロ(1時間)程プラスして、浦和宿まで進んだほうがJRの駅が近くなる。
              

2007/02/03(土)

【蕨宿~浦和宿】5キロ
少し古い街並みが残る蕨宿

  旧道と17号が交叉するがそのまま旧道を直進。かつての宿場内にはまだ古い建物が残されている区間もある。また小一時間退屈な区間が続き、前方に外環道が見えてきた。

辻の一里塚跡

  外環道の手前には【辻の一里塚跡】の碑がある。外環道をくぐる。外環ができてから風景は一気に変化した。17号だったら退屈しないような何かがあるかもしれないが、この住宅地の中を歩いて行くと【ただの不審者】でしかない。

  再び17号に出会うがそのまま浦和市街にコースを取る。ここが【六辻の交差点】だ。

焼米坂 浦和はもうすぐ
調神社

  白幡の坂【焼米坂】は通勤によく使った。会社の後輩がすぐ近くに住んでいる。

  少し進むと右側に調(つきのみや)神社。会社の車の交通安全祈願をいつもお願いしていた。

  そして直ぐにJR浦和駅入り口を過ぎる。

駅前のユルキャラ
現在の中山道
粗末な看板

  駅前まで歩いてみると可愛いユルキャラに出会える。浦和はウナギが名物なので【うなこ】だ。

  オフィース街をキョロキョロしながら歩き、浦和越谷線を過ぎてすぐの路地を左に折れると浦和宿本陣跡がある。この路地は埼大付属小に通う娘の通学路だった。仲町小の子供とケンカした娘が悪口を落書きして学校から呼び出された事が、ついこの間のように思い出される。

  小さな公園に小さな看板が1枚あるだけで、浦和宿の本陣としては寂しいものがある。
       

【浦和宿~大宮宿】5キロ
有料の橋です
珍しい模型屋さん

  再び中山道に戻って大宮を目指す。通り沿いにポツンポツンと古い建物が見られる。最初に目に飛び込む変り種は線路を越すために作られた有料の橋だ。

  このあたりは歩道の整備も不完全で、キョロキョロしていると危険だ。

浦和橋から北浦和駅方向

  浦和橋でJRの線路を越すと北浦和駅は僅かだ。橋を渡って直ぐ右折すれば駒場のサッカー場方向。

  再び活力が感じられる商店街が現れる。駅には寄らずに通り過ぎた。

さつま芋紅赤という種の発祥地
見事な仁王像

  街歩きは景色が楽しめる訳でもなく、古い街並みでもなければ非常に辛い時間となる。だから一層神社や仏閣は興味をそそる。廓信寺の看板を見るとさつま芋の種【紅赤】は、この付近が発祥地だとある。

  現在は紅あづまに押されあまり作られない種のようだ。

  ここの廓信寺に素晴らしい仁王像が山門に祭られていて、狙ったアングルで写せてご機嫌。

与野駅入り口の目印

  与野駅でトイレを借りるために寄り道。駅の広場にまあまあ掃除の行き届いたトイレがあった。

  女性の方でも安心して使えそうだ。休憩を入れずに歩く。少しペースが遅れていた。

片倉のケヤキ並木

  片倉付近も全く変わってしまって思い出せない。私が浦和から離れる時にはまだ本格的な開発に着手されていなかった。今、見ると大変貌を遂げていて・・・驚くばかり。

  左手に新都心の高層ビルを見て進む。お女郎地蔵が歩道上にあって、足を止めて説明板を読んでみる。

高島屋付近を探す

  四半時ほど予定より遅れて大宮宿に到着。本陣が高島屋付近とアーケイドの中にあったという二つの可能性の両方を考慮して行って見た。高島屋の周りでは何も発見できず、諦めてアーケード街に行って見た。

今でも旅館(?) 本陣跡
僅かに看板一枚

  大宮宿本陣は事前の調べでも良く解らなかった。しかし何とか見つけた。お店の前に木の看板があり本陣の説明があった。駅への交差点から最初の路地だ。

  角に美味しそうなパン屋さんがあり、昼食に随分迷った。結局、休憩を兼ねて食事をするには食堂が・・・と思いパンを諦めた。パン好きには厳しい選択。
      
  ところがこの後、田舎モノには町中で食事できる場所が見つけられない。

【大宮宿~上尾宿】8キロ
線路をくぐる

  大栄橋を過ぎても食事が出来る場所が見つからず、線路を越えて警察署まで来てしまう。そしてやっと郵便局の近くで食堂を見つた。

何の広告? ウインドウディスプレイ

  会社のウインドーに珍しいディスプレイがあったが何の会社か解かる? 

  列車の車輪の部分は製材所などで使われる【回転ノコギリの歯】。面白いアイデアで特別賞をあげたいぐらい。

  何もない区間が続くが新幹線とモノレールをくぐると上尾をイメージできるようになり、気持ちも少し安堵感を得る。

  新しいR17をくぐるとほとんど上尾。

中山道の標柱

  ここまで休まずに歩いて来たのでもうそろそろ限界。上尾宿の手前のローソンで始めて食事らしい食事をとった。

  大休止で30分、確り休むと逆に身体のいたるところが痛み出し、かえって辛いものがある。

  そこから上尾の本陣跡はすぐだった。

上尾宿の説明板

  場所がハッキリわかっておらず、このあたりと・・・いう事らしい。

【上尾宿~桶川宿】4キロ
上尾宿の説明板

  駅前を過ぎてほんの少し右手に折れると真言宗の古刹【遍照院】がある。本尊は興教大師作の不動明王だが見る事は出来なかった。

  上尾宿の説明板を過ぎ、北上尾駅入り口を過ぎて進む。

何の変哲もない通りを

  北上尾付近から桶川の下の木戸までほとんど見るべきものは無く、退屈な区間となる。

江戸よりの下の木戸

  桶川は友達が住んでいてよく行く街だが、木戸も本陣も全く気にした事がなかった。

桶川宿旧旅籠
本陣跡木戸

  いざこうして訪ねてみると貴重な史跡が沢山点在している街並みだった。古い建物も結構保存されていた。

  残念だが本陣は一年に一度しか開放しないそうで、表から写真だけ撮った。歩き始めて通算12時間、良く歩いた。

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