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山釣り・キノコ

平田影郎

イワナを追って道の無い渓に分け入ります。そして山菜・キノコなど山での遊び方をたっぷりとご紹介します。

平田トド

キノコは始めたばかりで全くの素人です。
写真で楽しむ釣行記・キノコの魅力・夜の宴
源流アイテム かわせみ物語
やどろく連中(工事中)

趣意文「渓谷(たに)を遊ぶ」

 私が生まれ育った家の裏、北西に50メートルほど離れた場所に、戦前に木炭を掘った坑道の入り口がありました。私の家の居久根(屋敷を囲う林)で直接見える事はありませんでしたが、そこから湧き出る地下水は川となって家の裏を東に流れていました。当時学校にプールなど無い時代でしたから、夏近くになると父がその流れをビーバーの巣のように堰き止めてくれ、私を初め近所の子供たちがそのプール(?)で泳いだものでした。それは小学生の身長から考えると、20メートルは十分泳ぐことが出来る立派なプールでした。このプールでは時にヘビも泳いでいる事がありました。
 坑道は私の生まれた家の50メートルほど西側を通り、南にある山の下に続いていました。入り口から数十メートル入ると3つ又に別れ、さらにその坑道は奥に行くほど枝分かれして総延長数キロの迷路になっていました。怖いもの見たさに何度かその中に入っては、躊躇しながらもさらに奥まで入ったこともありました。
 私が何度か中に入って遊んでいた頃、家の敷地の西側が大きく陥没しました。坑道が崩落したのでしょう。それから数年の間に何度か崩落しました。当然中で遊ぶ事はなくなりましたが、水は相変わらず湧き出ていました。
 私の家は牧場を経営していましたので、この湧き水をポンプで圧送しタンクに貯めては牛の飲み水にしていました。本当に綺麗で冷たくて、私は蛇口から出る水をいつも飲んでいましたし冷蔵庫の無い時代でしたので、スイカなどを冷やすには最高の冷蔵庫でした。ポンプは牛小屋の前の柱に取り付けられたスイッチで入り切り出来ましたが、ある日突然水が送られて来なくなりました。私は父に言いつけられポンプを調べに行きました。そしてそのポンプを引き上げようとして設置されているところを覗き込むと、何かが素早くヒョッと泳ぎ去ったのです。頭を整理し残像を呼び戻してみると、それは今まで見たことも無い綺麗な彩りの魚でした。一瞬でしたが確かに見たのです。真ブナや鯉などの黒い魚しか見たことが無かった私には、それはそれは驚きでした。私は水を汲むことが出来なくなったポンプをそのままに、急いで家に取って返しました。
 この頃の私は灌漑用の堤などで釣りをしていました。延べ竿で玉浮きを付けた、そして餌はミミズでした。仕掛けを持って再びポンプのところへ行くと、3時間ほど粘ったと思います。小学校低学年の子供としては異常な執念だった事でしょう。とうとうこの日、再び魚影を見ることはありませんでした。
 翌日もまたその翌日も幾日も私は通い続けました。そしてそれは1年ほど過ぎ去ったある日のことでした。あの綺麗な彩の魚をとうとう釣り上げたのです。感触などはもう記憶にありませんが、沸き立つような感情だけはいまだに蘇ってきます。
 いま図鑑で確認すると、私の田舎でそれは【オイカワ】と呼ばれる種のオスのようです。《釣れた》のではなく初めて《釣ろうとして釣り上げた》固体でした。

 私の母方の祖父は俗に【マタギ】と呼ばれる・・・職漁師、炭焼きなどをしながら季節ごとに山菜を採り、キノコを採り熊を仕留めて日銭を得ていました。私の中にこのDNAが間違いなく受け継がれているようです。
 昭和60年(35歳)私は上司に誘われて渓流釣りに出かけました。その上司は【鉄砲】もやっていましたので、よく岩手などに出かけていたようです。初めて出かける場所が【岩手】では心配もありましたが、全てお任せの釣行でしたから開き直るしかありません。地下足袋と2千円の竿を買い求めました。仕掛けは当然作ってもらいました。
 強い雨が降り続き川は増水しているものの笹にごりで、今考えると最高の条件でした。何もわからず仕掛けを流し、時には根がかりにも気付かず、時に仕掛けは水勢に弾き飛ばされて踊っていました。立ち木に引っ掛けては仕掛けを作り直し・・・釣っているというよりは、仕掛けを直している時間がほとんどです。上手く水中を流せるようになった数時間後、強い流れに仕掛けが引き込まれて行きます。あわてて竿を立てて仕掛けを戻そうとするのですが、また流れに持っていかれてしまいました。何度かの後ラチがあかず思いっきり竿を上流側に引くと・・・突然手にはブルブルと力強い振動が伝わってきました。何としばらく前からイワナが釣れていたようです。初めてのイワナ釣りで初めて釣り上げた30㌢でした。
 この日以来私は夢中になってしまいました。一人で秩父や上野村、湯沢・和賀と走り続けました。この頃の山での話題には事欠きません。ありとあらゆる経験をしました。ヘビ・熊・アクシデント・・・。
 釣果はと言えば最初のうちは【坊主】もありましたが、そこは強い思い入れとDNAが腕を磨いてくれました。土日を絡めて年間に60日も山に篭った年もありました。渓流釣りの適季は4月から9月ですから、その間の60日といえばとても会社勤めの人間には出来そうもありません。いかに会社人間ではなかったかが解ります。
 湯沢などはどんな小さな谷でも竿を入れました。山が切れて谷になっていれば、よその家の庭を横切ってでもその谷に入ったのです。
 仲間が出来て山形、新潟、富山と駆け巡り、釣って釣って釣りまくりました。年間にすれば千という単位です。源流域に入れば警戒心の無い魚は幾らでも釣れました。それが自慢の時期もありました。

 平成に入ってからも数年は釣果がメインでした。しかし新たな仲間が出来始めてから、私の釣は大きく変化していきました。渓谷を歩くことが楽しくなったのです。ただ黙々と谷を歩くことも多くあります。楽しいというか『もっと多くの渓谷を見てみたい』『あの滝の上はどうなっているの?』
『あのカーブの先を見てみたい』という感覚です。
 楽しみ方が確実に変化したのです。今まで数千匹の命を無駄に奪ってしまいました。もう殺生をしたくないのかもしれません。逆に夜が楽しくなりました。山でのビールが本当に美味しく感じるようになりました。【仲間がいて】【焚き火を囲み】【思いっきり心のたけを話し】【静寂が訪れ】・・・雰囲気にも・・・ビールにも・・・私は酔いました。

 私たちの夜の宴にはイワナの塩焼きはありません。食べないから釣らないのです。それはフライマンがキャッチ&リリースをする感覚とは全く別のものです。なぜなら食べるときは釣るからです。そして哲学でもありません。妻も娘もイワナの塩焼きが大好きで『今回は食べたいから持ってきて』と言う時があり、そんな時は帰る日に釣ったものを持ち帰るのです。また個々の遊び方を強制することもありません。楽しみ方のスタンスを自由に決めてくれればいいのです。

 私は『何時までも釣りをしていたい』とは全く考えていません。谷歩きを楽しむために源流域に入るのですから、谷を歩くことが辛くなったら潔く辞めようと思っています。里川で年齢に応じた楽しみ方をすればいいと、今は考えることが出来ません。何時まで渓谷を歩くことが出来るのでしょうか。答えはなるべく先に見つけたいとは思いますが・・・。

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