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旅あれこれ 関西8【壷阪寺】

奈良の寺院巡り【壺阪寺】

2019/10

前夜の宿泊場所道の駅大宇陀宇田路を出た後に金峯山寺を見学して、道の駅大淀iセンターにやってきました。

このままここで宿泊と考えましたが、この道の駅を見学していると観光案内所があって・・・訪ねました。

そこで壷阪寺の話がでたのです。後述しますが・・・とりあえずはこの道の駅について。

吉野の豊富な森林資源を活用した木造建築の、落ち着いた建物です。

別棟には地元の物産の直売所もあり、レストラン・パン屋さん・木工工芸品等々がテナントとして入店。

片隅に観光案内所がありますが、ここがニーズに沿った楽しい情報を提供してくれます。

それらも合格点ですが、一番感心した部分はテナント前のスペース活用なんです。

テナントの建物は広場を囲むように建ってますが、その広場には日中はスーパーのワゴンセールのように棚が並んでます。

しかしテナント部分が閉店するとその棚は片付けられて、そこに屋根付きの広場ができるのです。

日中は休憩用の椅子スペースが、夜間はライダーが横になれるスぺースになります。

要するに雨露をしのげて横になれる・・・宿泊できる場所に変貌するのです。

車の方は車の中で過ごすでしょうからあまり影響ないでしょうが、バイクの方はありがたいでしょうね!

そして道の駅と国道を挟んだ向かい側には、柿の葉寿司の「たなか」があって夕食にもバッチリです。

三門

壷阪寺に話を戻します。

縁起は703年に弁基上人が壺阪山で修行したことに始まり、その後朝廷から壺阪山南法華寺と正式寺号を賜った真言宗のお寺です。

壺阪山からは南には桜の吉野山、北には万葉の郷明日香村などを一望できる、信仰の対象としては素晴らしい立地と言えます。

西国三十三霊場の6番目に数ええられていますので、御本尊は八角堂におわす十一面千手観世音菩薩様。

また浄瑠璃の演題にある・・・座頭の沢市と妻のお里の愛情物語の「壺阪霊験記」の舞台となったお寺さん。

明治になってこの浄瑠璃の演題がちまたで共感を呼び、このお寺さんへの信仰もさらに広まりました。

現在は壺阪霊験記の目が不自由だった沢市にあやかって、目の不自由な方のための老人ホームも併設しています。

そしてインドのハンセン病患者救済に力を注いで交流が深まり、その結果インドから大仏様を招来しました。

国際交流に力を注いでいるお寺さんです。

感心するのは…いたるところに信仰心が高まるような説明などが有って、読むのも楽しくなっていました。

途中の堂宇にこんなのがありました。お釈迦様の一生を描いたへん額とその絵を解説した文です。

十数枚に誕生から入滅までが描かれていました。

キリスト教の教会でも字を読めない信者に教義を教えるために、ステンドガラスや宗教画が活用されますが、それと同じような意味があると感じました。

お釈迦様は母親のわき腹から生まれたと知っていましたか?  

考え方によっては・・・帝王切開で・・・と科学的で現代風な考えも成り立ちます。

楽しく教義が学べて時間もないのにすべての額を観て読んで、全ての額を写真に写してきました。

へん額と解説文
お釈迦様の一生が描かれている

広い境内には数々の仏様が祭られていて、全ての仏像を巡るスタンプラリーも用意されています。

そしてこじつけですが、目が悪くならないようにとレンズの無いメガネフレームを胎内くぐりのように通り抜けるアトラクション・・・?・・・もあります。

境内全体的に信仰心で奉拝すると言うよりは、アミューズメントパークのようですらあります。

赤と白を基調にした堂宇が立ち並ぶ境内は、室生寺などとは対照的で・・・鮮やかな感じ。

お寺さんは静寂が包むという考えを根底から覆されるお寺さんなのです。

仁王様も形相に威厳が感じられましたが、一方で他寺のそれと比較してコミカルな容姿もうかがえます。

三門前の大きな下駄で遊ぶ妻
聳える大観音石像は20㍍の高さを誇る。インドから渡来された
インドトライの大涅槃石像と後方に聳える大観音石像のツウショット

八角堂・大講堂など無料で中を見学できますし、大仏様もすべて無料で近くまで行くことができます。

信仰心がある方は浄財としてお賽銭がいりますけど。

三重塔や礼堂などいくつかの重要文化財がありますが、このお寺さんには国宝はありません。

八角堂は本当に八角ですから、中に入るとちょっと感覚がおかしくなります。

そして沢一とお里の像などたくさんの見学対象があって、ありがたいと言うよりは楽しいお寺さんでした。

あくまでも私の個人的な感情です。

西国三十三霊場の六番目ですから、間違いなくありがたい仏様がおわします。

重要文化財の塔
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