土日を利用して中山道を歩いてきました。高速料金が1.000円の間にどれだけ京都に近づけるか・・・が我が家では重要な要件ですから、熱いのを承知で出かけました。
覚悟をしてはいたのですが・・・言葉では言い表せないほどの辛い旅になりました。
ヘトヘトでバテバテ・・・夏の中山道歩きは無理のような気がします。夜は柳津(やないず)町の道の駅に留まったのですが、エアコンを付けないととても寝付かれませんでした。窓を開ければ蚊が集団で襲いかかってきます。
高速道料金の1.000円と様々な辛い条件を天秤にかけてみて・・・夏はやめようと思います。
秋には高速料金が高くなっていると思いますが、健康には代えられません。
今回は美濃加茂市役所に車を置いてスタートしました。各務原市の鵜沼宿まで8キロを歩いたのですが、これがまた梅雨というのに特別に熱い日で辛かったのなんの。
特に途中にある【中山道一の景勝】と言われる『うとう峠』の入り口を見落とし、つまらない国道脇の歩道を延々と歩きました。
テンションは下がりっぱなしで、写真も満足に撮ろうとする気力も湧かず仕舞いでした。
全く・・・絶対京都にゴールする前に、いつの日か再挑戦したいと思います。
車を鵜沼宿のスーパーの駐車場に移動して、今度は【間の宿 新加納】まで、やはり8キロほど歩きました。現代の地名ですと、各務原市役所までです。
ところで【間の宿】って解りますか。【あいのしゅく】と読みますが、文字通り【あいだにある宿】です。中山道は69の宿場が徳川幕府から認められていましたが、その中には含まれません。要するに【六十九次】・・・以外なのです。
中山道にはこんな宿が三つありました。武州吹上、木曽平沢そしてこの新加納です。
本来は認められないのですが、宿場間の距離が遠すぎたことが一つの理由です。吹上で言えば鴻巣と熊谷間が20㌔もあり、途中の吹上が認められたのです。
面白いのは木曽平沢のケースです。平沢も宿場として認められたくて、賂などを使って運動があったそうですが、これに対抗して奈良井宿も認めさせない運動を展開したそうです。
宿場同士のドロドロした争いがあった・・・という記録があるそうです。
一日目は何とか終了しました。岐阜は日本一道の駅が多いそうですが、岐阜市界隈だけがエアーポケットのようにありません。そこで柳津まで走ったのですが、1時間近くもかかって到着したのは7時を過ぎていました。
小さな道の駅で50台も泊まれるでしょうか・・・朝までには数台の余裕しかないほど泊りに利用されていました。少し遅れたらスペースを確保できなかったかもしれません。
ベンチで食事を摂ったのですが、私の血は美味らしく・・・何か所も餌食になりました。
道の駅を利用している車の多さを伝えたい写真です。
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