今日、2月1日は父の命日。
朝食前に一人でお経を唱えました。
本来なら今年は13回忌。
これで最後であっても・・・せめて身内だけででも法要を営むべきでした。
まあお墓を守っているのは・・・?・・・甥ですから、甥の考えで進めるしかありません。
自分の父母の法要も、ましてや祖父母の法要など必要ないと考える人たちなんでしょう。
毎度のことですが、岩手に出かけるたびに勝手にお墓参りしてくるんです。
本来、家系を守ることは兄が教えるべき事柄ですけど、好き勝手に遊んで去っていった兄と甥とは信頼関係がありませんでしたから、こうなることは想定できました。
家系を調べたら私で7代目・・・までさかのぼって調べられました。
その先は本家筋で確かめられるとは思うのですが、現在は行き来もなく無理に努力して調べてもあまり意味がないので止めました。
そんな家ですけどお祭りもできない家系になるとは・・・ご先祖も想定できなかったでしょう。
お祭りをすることで親類縁者が集まり、一族の結束力を高めたのでしょうが・・・私の父が亡くなってからは人の行き来も途絶えて、寂しい家系になりました。
一方で私の親友の家は脈々と命の繋がりがあって、そして家としての祭祀も親友が核となって継承されていくうらやましい現状です。
当然ながら家族も増えていく。
繁栄を築いていく家と、しぼんでいこうとする家と・・・我が家系はどこで道を間違えたのでしょうか。
寂しいですけど・・・言うほど唇が寒くなるので止めます。
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