与島のパーキングエリアから、一気に姫路城へ。
妻がまた行きたいとのたっての希望。
倉敷・岡山をカットして姫路へ向かうも、ナビが古くて四苦八苦。
しかも日曜の姫路城とあって、車も人も長蛇の列。
更に公園ではイベントが開催されていて、お城の周りはひっちゃかめっちゃか。
やっと到着した駐車場には入れてもらえず・・・高さ制限でキャンピングカーは駄目だって!
ですが・・・駐車場を見回しても、車高が高い車の障害になるものなんて見当たらず・・・。
呆れた姫路城見学になりました。
今回は諦め・・・日曜日に向かった無計画さに原因があります。
そのまま走行して三方五湖まで戻って宿泊。
しかしこのまま旅を終えるのは釈然としません。
明け方の4時半に妻を起こして、丸岡までひとっ走り。
朝の5時台ですから当然道はスムーズ。
駐車場には6時到着ですが・・・一台もなく、ゆっくり8時まで待っていました。
福井には親友が住んでますけど、急な来訪で申し訳なく連絡を躊躇。
「こんな年になって・・・何時どうなるかわからないので会いたかった」と叱られました。
駐車場からお城は1分。8時半に開くのを待って登城。
入城料は450円ですが、この料金で「日本一短い手紙の館」にも入場できます。
日本一短い手紙と言えば、徳川家臣団で鬼と恐れられた本多作左衛門が妻に送った手紙。
一筆啓上 火の用心 お仙泣かすな 馬肥やせ
簡潔明瞭な手紙であるのに、家族への思いが詰まった手紙です。
お仙とはのちの丸岡城主「本多成重」とのこと。幼名を仙千代と言いました。
この手紙にちなんで・・・日本一短い手紙のコンクールが行われ、20年も続いているそうです。
その作品が掲示されているのが、この館です。
織田家の家臣でのちに秀吉と信長の後継を争って敗れた柴田勝家、その甥の柴田勝豊によって1576年に築造されました。
2層3階建ての天守で、小城感が否めません。
しかし当時は桜が咲くと霞の上にある城の様に見えて【霞城】とも呼ばれています。
犬山城と一番古い天守を争っていると、先に言いました。
が、それはすでに決着がついていて、ウィキペディアなどでも犬山城が一番古い天守・・・としています。
犬山城は信長の叔父の織田信康によって1537年に築造されています。
妻、現存十二天守の十一番目のお城に登城し望楼から丸岡の街を望みます。
これで、現存天守で残すは備中松山城のみです。
健常者なら現存十二天守完全登城も簡単な話なんですけどね!
望楼式の天守からは、トンビの気持ちよさそうな青空の中の滑空が望めました。
飛んでいる鳥を写すのを【飛びもの】と言ってましたが、ピントが合わないとシャッターが押せないカメラでは難しい。
真ん中に入れているつもりでも、ファインダーから外れそうです。
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