妻も私も旅疲れでダウン気味・・・唯一息子だけが元気です。
それでも今日は3.8キロを歩きました。
まずは・・・なぜ備中松山城が旅の主目的だったのか?
日本には江戸時代などに築造された当時のまま残されている天守閣が【12】あります。
私は昨年丸亀城に登城して12城に登ったことになりましたが、妻は11だったのです。
唯一、この備中松山城が残っていました。
このお城は歴史的にも古く、沢山の逸話が残されています。
備中兵乱の主戦場であったり、山田方谷という藩政改革の第一人者を排出したり・・・。
あまり知られていませんが長州藩の奇兵隊も元々は・・・。
方谷が創設した農民兵組織を久坂玄瑞が長州に持ち帰り、真似をして誕生したものと言われています。
奇兵隊は高杉晋作が注目を集めますが、実際には小藩を強国に仕立てた山田方谷のアイデアと実践の賜物なのです。
ただ松山藩は朝敵とされる悲運をたどります。
天守としては2層の小さい城ですが、立地としては残されている山城として標高が最も高く位置します。
もちろん現存十二天守の中でも最高の要害です。
天然のスラブ(岩盤)を石垣に組み込んていたり、山城としてのメリットを存分に生かした天然の要害。
当然、登るのも辛い・・・ですが、現在は階段などの高さが調整されていて妻にも登れました。
頑張りました・・・おめでとう!
備中松山城や山田方谷については、私のホームページの【旅】のコンテンツ・・・中国・四国の中に記述があります。
そちらも併せてご覧ください。
山の頂まで山桜が咲き誇り、あたかも祝福してくれているようでした。
コメント