薬を貰って3日目ですが、風邪の症状はほとんど治まっています。さすがにドクターは伊達じゃなかった。
私は『抗生物質は絶対でしょう』と思っていて、出してくれなかったドクターのやり方に疑問を持っていたのでした。
しかし3日で症状が取れたということは、先生の処方が正しかった・・・認めざるを得ません。
やっぱり偽医者の私の診立てより、かかりつけの先生がこれまで診た数万例の診断実績がモノを言ってます。
一難が去った次の一難・・・台風ですが、威力は大分弱まりました。しかし一緒に連れてきた雨雲はタチが悪くて、各地の被害は甚大です。
南木曽町の土石流ですが、まだまだたくさんの可能性を持っていた子供の命を奪ってしまいました。残念ですね。
奪われて良い命なんて一つもありませんが、それが子供となるとなおさら辛くなります。
あの場所は数年前、私たち夫婦が中山道を歩いたときに通っています。木曽福島側から行くと南木曽の駅の手前で、土石流は私達も歩いた中山道を覆っていました。
宿場で言えば三留野宿。【読書(よみかき)】と言う小学校があって、確り記憶に残っています。
国道の反対側には・・・日本の電力の父と言われる【福沢桃介】が作った【桃介橋】があります。
特徴的な橋で・・・・・珍しい吊り橋。妻の主治医が出張の帰りに南木曽駅のホームからこの橋を見たのが脳裏に焼き付いている・・・・・というので、中山道を歩いたときに桃介橋を写して先生にプレゼントしたことがありました。
位置としては峠を一つ越えると次は有名な【妻籠宿】。沢山の思い出があり、いろんなシーンが甦ってくる地域での犠牲は・・・胸が痛んでやるせない気持ちでいっぱいです。
良い場所なんですよ・・・山間をちょっと抜けると2・3軒の家屋が、静かに旅人を迎えてくれるんです。
そのお宅の縁側には花が生けられていて・・・本当に旅人に気遣っていることがヒシヒシと伝わってくるんです。
あんな人たちが済む鄙(ひな)を・・・どうして静かに残してくれないのでしょうか。
思わず自分の中山道の記録、あの南木曽周辺の記録を今日読み返しました。
先日は少し離れてはいましたが・・・ホロホロ3世が中央アルプスの越百山(こすもやま)に登るために、このあたりに逗留してました。ホロホロも思いは複雑だと思うのです。
この後の被害が少ない事を願ってやみません。
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