明け方に・・・寝ていて寒いと感じたのは今シーズン2度目。
寒気団が入ってくると天気予報で知ってましたから、外水道はきちんと梱包材で養生していました。
起きて表を見ると・・・前のお宅の庭にある水たまりに氷が張ってました。
今シーズンの初めての結氷です。
私は出身が岩手ですから、子供のころに学校へ行くときは凍った水たまりが遊び場でした。
わざと水たまりの氷を割りながら歩くんです。
パリッパリッと氷が割れる音は、寒い凍てつく空気に良く響くのでした。
路ばかりでなく田んぼに積もった雪も凍って・・・田んぼの上を歩いて近道。
たまには雪の下にぬかるんだ田んぼが隠れていて、踏み抜くと足が抜けなくなって履いていた長靴を放棄して家に帰ったことも・・・。
子供の力で長靴がぬかるみから抜けなかったんです。
その歩いて帰るときの足の冷たさ・・・麻痺して感覚が薄れると逆に板の間に上がった時が余計に冷たい。
その足の冷たさから思い出されるのは・・・。
私が通った高校は週に一度、1時限だけ柔道と言う科目が体育とは別にありました。
当然、全校生徒が受ける科目ですから、体育教官室には柔道の先生が3人もいました。
体操の先生も2人、ラグビーの先生が一人。
入って行くと先生にジロリッとにらまれて、体育教官室は怖いところでした。
私はラグビー部のキャプテンでしたから、何かと用事があって何度も入っているのに・・・その緊迫感に慣れることはありませんでしたね。
一般の生徒は体育教官室など、寄り付きもしませんでした。
その柔道の時間ですが、冬になって雪が校庭に積もるとまず裸足で5周ほどランニングから・・・。
5周もすれば雪にも慣れて、感覚が少し麻痺状態で冷たさも遠のきます。
そこでいよいよ畳に上がると・・・これが地獄。
経験しないとその冷たさの度合いが分からないと思いますが、畳に足が貼りついてしまいそうな冷た痛さでした。
寒く冷たい記憶ですけど、なぜか懐かしい記憶で良く思い出しているんです。
中学も太ももの高さまで積もった雪の中を、雪が入らないように長靴を荒縄で縛って学校に通ったんですよ。
決して辛い思い出じゃなくて、普通に懐かしい思い出なんです。
雪や氷との暮らしって・・・当然のことでしたから。
屋根から落ちて積もった雪まで含めると、場所によっては3メートルぐらい積もっていて軽く踏み均してスキーが出来ました。
時と場所によっては懐かしい思い出の材料ですけど、いま能登半島では恨めしい雪と氷です。
贅沢は言いませんから、せめて雪や寒さをしのげる家を一日も早く届けてほしい。
国の責任ですよ。憲法に謳われているんですから。等しく健康で文化的な生活ができる権利。
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