見舞いを終えた後、そのまま高速道に乗って途中の国見SAまで戻りました。
ゴールデンウイーク中の高速道路料金は割引対象外。
そのために金曜日中に高速道に乗る必要がありました。
実家のある北上インターまでは約10.000円ですが、この割引が適用されて7.000円弱。
往復で6.000円も助かるので・・・大きい。
それなら疲れも我慢できて・・・半信半疑だった割引の適用が見事に成功。
到着日がゴールデンウイークとなるので・・・大丈夫かな?・・・と不安だったのです。
なぜ混雑を覚悟でこの時期に岩手まで・・・。
それは長い話になりますが・・・。
我が家は戦前北上川のすぐわきに住んでましたが、昭和22年のアイオン台風で氾濫した北上川の濁流に流されました。
私が子供のころ・・・流れが変わってしまった北上川の流れの中に我が家の水道管の残骸などが残っているのが確認できました。
家を流されて済むところが無くなってしまった家族は、路頭に迷いました。
父はロシアの捕虜となって抑留中のこと。
父に頼ることが出来ない母は、父の兄弟などのリーダーとして頑張ったのです。
祖父と祖母は祖母の実家に面倒見てもらいましたが、キャパシティの問題もあって。
他の家族が世話になったのが、今回入院し私たち夫婦が見舞った友の家だったのです。
田舎はどこの家庭も貧乏な時代で、他人を面倒見る余裕などあるはずもありませんが。
そんな時代にお世話になったのですから、ロシアから戻った父も度々この家庭との縁を深めていました。
私もよく遊びに行って、この友と小学校入学前から遊んでいて家族のようなものでした。
小学校に入学する前から「同じ学校に入ることになる」と知っていたのは、この彼と今は横浜に居る本当のいとこの2人。
そんな縁で付き合いは70年強。
日本のバックパッカーの草分け的な・・・旅好きな冒険野郎。
日本に戻って現在は北上市の駅前で喫茶店を経営。
家族ごと帰省の都度にお邪魔する間柄。
そうするとほかの仲間も寄ってきて。
東京にいるときは浦和に居る我が家に酒を持って遊びに来ていました。
娘に折り紙を教えてくれて、娘は「折り紙のおじちゃん」と慕っていました。
お見舞いの時、娘の作品をラインの写真で見てもらったら「後継者が出来た。俺よりはるかにすごい」と目を細めるのでした。
こうなる以前は妻の病状を気にかけてくれ、喫茶店に顔を見せると病状を尋ねて心配してくれるのです。
妻としても私の友としてばかりではなく、自分も信頼する一人だったと思うのです。
広島から戻って大疲れの二人でしたが、彼が大いに喜んでくれて・・・こちらもうれしい。
彼はうれしさのあまり話に夢中になって、肺が具合悪いのを忘れるほど。
咳き込んで咳込んで・・・少し休みながら話そう・・・とこっちがブレーキをかけるほど。
この様子なら試練を乗り越えるでしょう・・・6月の喜寿の祝いに迎えに行って連れて行きます。
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