涙の玉川温泉
涙の玉川温泉
02.晩秋
妻が玉川温泉にチェック・インする日は “雨が雪に変わるのでは”と思えるような寒い日でした。
朝食をすませた私たちは宿泊したペンション近くの別荘地を傘をさしながら散策しました。自然の木立をそのまま利用して瀟洒な建物が自然の地形の中に点在する別荘地です。
すでに楓は赤く染まり、それはしっとりと雨に濡れて・・心を落ち着かせてくれる空間。
“こんな別荘を持ちたいものだ”と思っても所詮はムリな話しです。
八幡平神社にお参りもしました。鳥居の大きさに比較して社は小さく、別荘地のはずれに静かにたたずんでいました。でも、御利益は高いに違いありません。
冷たい雨の中を玉川温泉に到着しました。しかし13時30分にならないとチェック・インはできないと言われ、玄関のロビーで寒さに震えながら待つことになりました。
待つ時間はえてして長く感じるもので私一人ならなんて事はないのですが、体調の芳しくない妻を気遣いながら待つのは尚更のことでした。
勝手知ったる旅館内を移動しながら妻の休憩場所を確保するも、やっと11時。まだ2時間30分も待たねばなりません。
妻が「家に着くのが遅くなると心配だから帰れ」と言いますが、この寒空に残して帰る方がもっと心配です。「大丈夫だから帰っていいよ」と言う言葉に背中を押され、不安な気持ちを抱いたまま渋々玉川を後にしました。
玉川ダムの紅葉は今が盛りの彩りを放ち、この雨の中にあっても格別です。しかし私の心の中は鮮やかな紅葉とは裏腹に、大きな不安と一人残してきた事への後悔でくすんだままでした。
“本当に一人で残してきて良かったのだろうか?”
“一人でできるのだろうか”
次から次と後悔の念が湧いてきて、何度も何度も引き返したいという衝動と戦いながらの帰路です。
この時ほど働かなければ食っていけない自分の身の上を悔しいと思ったことはありません。
「お父さん、すごい雪だよ! 10㌢以上積もったよ!」
東北自動車道を走行していた私の電話の向こうで妻の驚きの声が響いています。危機一髪でしたが、逆に閉じこめられた方が踏ん切りが着いたのかもしれません。
結局この雪は50㌢も積もったということです。
妻からは1日おきに連絡が入ります。玉川も携帯電話が使えるようになりました。私からはレオの声を聞かせてあげ、妻からは湯治の様子と相部屋仲間へのグチが口をつきます。
雪で岩盤浴ができない、テントの中を雪解け水が流れているので横になれる場所が限られている、普段テント外で岩盤浴をしていた人もテントに来るので混んでいる・・と状況が克明に見えるようです。
苦労はしているようですが声を聞けるだけで不安は半減します。
私も洗濯・掃除・食事の支度・レオの世話と毎日がけっこう忙しく、そんな中でも迎えに行くための車の準備には特に気を配りました。
タイヤを冬用にまたバッテリーも新しいものに交換し万全の体制をとりました。おりしも11月初めの秋田山間部は大雪とテレビの天気予報が報じていましたが全く不安はありませんでした。
1日の朝妻から電話が入りました。大雪になるのでキャンセルして帰りたいと言います。
急遽私は休暇を申請し玉川に向かいました。途中、安積SAで休憩しただけで走り続けます。玉川ダムから上は路面凍結のためゲートを閉じるとの情報を得ていたからです。
盛岡に3時到着、ここで給油をしました。そして雫石の道の駅でやっと遅い昼食です。【情報 ここの味噌にぎりは最高 100円・・・かくれメニューの為、お願いしないと出てこない】
玉川ダムのゲートは5時前に通過することができました。高度を上げるに従って木立の中の積雪は増していき、紅葉と雪のコントラストはえも言われぬ味わいです。
こんなロケーションを見たことがあったでしょうか。
玉川温泉に着き妻の部屋に行くと誰もおらず私は焦りました。今夜半から大雪になることは確実です。その前にここを脱出したい。
そのために休暇まで取ってきたのです。その私の心根を妻に話していなかったのが結果として大きな失敗でした。
そぼ降る雨の中を懸命に妻を捜します。考えられるのは岩盤・・しかし・・いない。荷物をまとめて5時半にはここを出ないとゲートが閉じられてしまいます。
時間の余裕はないのです。顔見知りの掃除のおばさんに頼んで風呂をみてもらうと・・・やっと・・いました。
だが今からでは荷物をまとめるだけで許された時刻をすぎてしまうことは明白です。私は腹を決めました。
あとは降雪量の少ない事を神に祈るだけしか、私には手が残されていませんでした。
今晩私は車に寝ることになります。一応念のため寝袋も毛布も2枚づつ用意して来ました。ビールとつまみとパンを一個売店で求めます。
温泉から国道までは結構な斜度があるので、明日の朝は滑って登れなくなることを考えバス停まで車を移動させます。当然明日は温泉まで車を入れることは不可能なので荷物の大部分は車に積み込みました。
妻にはペンションに泊まるということにしておきました。
車の中で一人缶ビールをやりだしましたがいかにも寂しく、それを紛らすためあちこちに電話をかけまくります。
先生は開口一番「いいですねー!!」って・・・ちっとも良くはありません。こうして涙の玉川脱出大作戦の第一日は、何ら手を打てぬまま終了していきました。
1時頃トイレに起きると雪はすでに15㌢程積もっていました。が、これぐらいなら何のことはありません。寝袋と毛布とボンゴにガードされた私は、首に薄く汗をかくほど快適に眠っていました。
夕べ私の隣に車を止めた夫婦連れはエンジンをかけたまま眠っているようです。6時に目が覚めました。
窓ガラスに内側から貼り付いた氷を指でかきおとし、車外に目を遣ると積雪は30㌢になっています。
さすがに車の中も冷え切っていて、寝袋にくるまっていてもジンジンと冷気が伝わってきます。“エンジンをかけて暖房しよう”そう考えた私は運転席に移動して心地よいエンジン音を期待しながらセルを回しました。
1回目・・2回目・・3回目・・期待は簡単に裏切られました。セルは力強く回るものの継続的にエンジンが回転することはありません。
7時まで待って再度試みたが結果が変わることはありませんでした。これ以上はバッテリーの放電も心配です。
あきらめて妻が待つ温泉まで降り積む雪の中を歩くことにしました。温泉の食堂に妻はいました。
状況を話し相談しているとフロントの方から夏タイヤで来た人がJAFを依頼している声が耳に入りました。早速事情を話しお願いすると9時頃に来てくれるといいます。
宿泊の料金を支払ってチェック・アウト。外は雪、客が出入りするたび寒風が吹きすさぶ玄関で待つことにしました。
1時間・・2時間・・妻の顔に疲れによる変化が現れはじめます。私一人ならどうって事はない、しかし妻の身体が案じられてなりません。
10時半頃やっとブルーと白のツートンカラーが到着しました。
そして私より先にお願いした客の車をレッカーにかけ始めました。
私は近づき「もう一台頼んでいるが?」と確認すると、何とあきれたことに「この車を搬送した後、また自分が来る。お昼は過ぎる」と言うではありませんか。もう言葉になりません。自分が頼んだ方も続けて到着すると思っていた私の喜びはつかの間の事でした。
その後も結局お昼過ぎまで妻を寒さの中に置く事になってしまったのです。
昼過ぎ到着したJAFは吹きすさぶ吹雪の中で、さすがに手際よく作業をしました。セルを回して確認していたが、原因は“軽油の凍結”と結論しました。
なんて事だ・・・あれほど準備をしてきたのに・・・軽油が凍結するとは知りませんでした。玉川温泉のお湯を5分もかければ溶けたかもしれませんが、車を国道まで移動させて置いたことも二重の失敗でした。
牽引され玉川から鹿角に下ります。積雪は今朝除雪したにも関わらず30㌢、木立の中は1㍍になろうとしています。昨日登ってくるとき・・玉川ダムまでは遅い紅葉も楽しめるほどの晩秋でした。
そしてダムから上は林間に雪を配する初冬でした。今は積雪・・吹雪・・極寒の厳冬の中にいます。道脇の林を見ても黒い部分が全て覆い隠された一面の銀世界です。
違う色といえば、たまに現れる雪を払い落とした紅葉と、谷底におちた自動車があるだけで、“銀世界”などというロマンチックなものでありません。
30㌔も牽引され志張温泉まで下ると雪はほとんどなくなり、やっと脱出できた実感が湧いてきました。
八幡平整備という工場に入れられ、しっかり1㌔当たり600円の料金を請求され、凍った軽油を溶かしただけの修理屋にも1万円をとられます。こんな事なら朝になってから除雪された道を玉川まで迎えに行った方が正解でした。
寝袋・毛布などの車の中での寒さ対策、バッテリー交換やスノータイヤ、妻と自分のスノトレなどほとんど抜かりがなかったのですが、軽油を地元で給油することは知りませんでした。
結局、治ったものの妻の疲れが著しくもう一泊する事になりました。出費がますます嵩んでしまいました。とても高い授業料でした。
こうして3日間におよぶ玉川脱出劇は幕を閉じました。事前準備で車にかけた費用・脱出に要した費用・宿泊費用は実にあきれる金額で、思わず目から涙がこぼれ落ちてしまいました。
嗚呼 涙の玉川脱出大作戦は・・・おしまい。