ああ!! 痛恨の・・・那須岳
平田影郎
ボルケーノハイウェイからは茶臼や朝日岳がくっきりと望めた。既にロープウェイが青空の中空に舞っている。
急いで身支度を整えて・・・と言っても雨具と水とおにぎりだけをザックに入れて9時30分発に飛び乗った。
やっぱり少し舐めていたのかもしれない。どんな山でもフル装備がポリシーだったのに・・・。
それでも砂礫帯の歩行に、確りしたビブラムソールの靴を履かせた。万全なはずであった。
砂礫帯にはオンタデの淡いピンクの花が一面に咲いている。振り返ると日光の山並みを見ることができ、その向こうには富士が青空に浮かんでいた。
15分ほどの砂礫帯の登りが終わると岩場となり、右手には朝日岳が手の届きそうな位置に近づいてくる。ダイナミックである。
アプローチは簡単でも活火山を感じさせる硫黄臭、どこまでもたなびく雲海・・・別世界を感じることができる本格的な山であった。50分ほどの登りで頂上の神社の前に着いた。
頂上では写真を撮り合ったり神社に健康を祈願したり15分ほど休み、風が強いので下山を開始した。岩場の下りは慎重に妻の手を掴んだまま。岩場が終わりいよいよ砂礫帯に突入する。
少し休憩しようと話し合い座れそうな石を探しいた。
丁度何処かのテレビ局の取材の最中で、ほんの少しだけ私の意識がそちらに移動動した瞬間であった。
「痛い!!」妻の声に振り返ると、しりもちをついた妻が左手首を抱えていた。助け起こそうとしたが妻は立つこともできず・・・、それより手を触れられることも拒否する状態である。
みるみる唇は紫色に変化し、目は一気に充血。しかも吐き気と強い動悸。完全に骨折のショック症状であることは歴然としていた。
そっと手を添えて確認すると手首が変形していた。今日に限って何も携行していない。なんという失態なんだ。
不安と痛さで混乱する妻を落ち着かせるため、大きくゆっくり深呼吸を何度も繰り返させた。
そしてタオルと妻と私のハンカチで左腕を肩から吊り、今度は滑らないようにしっかり支えて下山を開始した。見ていた人の中には手伝いを申し出る方も居られたが、妻は触られることも苦痛であった。
直ぐに下りのロープウェイに乗ることができ12時15分には山麓駅に着くことができた。しかし救護室に行っても添え木一つなく、駅員も様子を見ていながら声すらかけてくれないと言う呆れた対応であった。
ところが一部始終を見ていた蕎麦屋のおばさんがあれこれ世話を焼いてくれ、心細い二人にとっては本当に心強い思いであったし、ありがたかった。
消防に電話すると20分ほどで救急車が到着し、隊員の方が添え木をやってくれる頃には妻も大分落ち着きを採り戻していた。
黒磯の福島整形外科病院に運ばれ手当てを受けた。このドクターも若いのにしっかりしていて、対応は実に“医師はこうあるべき”と言いたいような尊敬に値するドクターであったのも運が良かった。
仮固定だけであったが地元病院への紹介状や病状の説明など非の打ち所のない対応は感謝・・・感謝である。
私の不注意からまたしても妻に辛い負担を強いる結果になってしまった。全く私の責任である。
北海道の予定を中止した私の楽しみを奪わないように・・・、自分も山に行くと言えば少しは私も山に行きやすくなるだろうと懸命に努力している妻を、私はどれほど理解していたのだろう。
ただ浮かれていた。痛恨・・・。