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中山道いろいろ旅 近江路3【武佐宿~草津宿】

近江路Ⅲ【武佐宿~草津宿】

2003/03/22(金)の続き

【武佐宿~守山宿】14キロ

高札場のところには沢山の道標が建っていて、愛宕山という銘が入った灯篭がある。愛宕山とは・・・何なのか・・・よく分からなかった。

武佐宿は小さな宿場だが、史跡は凝縮されたように集中している。役人宅大橋家や松平周防守陣屋など、楽しめる街並みだ。

高札場跡と【愛宕山】とある石灯籠。

とうとう休憩所などが見つからないまま武佐駅に到着。とりあえずトイレを借りる。綺麗に掃除がされていた。ベンチで少し休みながら、今後の予定を相談。

今、車を取りに戻ってもその後あまり進めなくなる時間になっているので、このまま時間がある限り進む事にした。

直ぐに踏切を越えてR8と合流するまで進む。合流地点にコンビニがあり、ここまで車を移動させるか・・・迷う。しかしそのまま歩き続けた。

武佐駅でトイレを借りる
駅から直ぐ踏切を渡る

国道沿いは大型車がスピードを上げて走りすぎる。よそ見をしていないか・・・不安の中を歩く。ところどころは歩道が狭くもなっている。

R8に戻る

六枚橋交差点から左折、すぐに歯医者さんの角を右折。R8に並行しながら合流するまで進む。

【六枚橋】から左折。50㍍で歯医者さんの角を右折
歯医者さんを曲がると遥か前方に再びR8が見えている

一旦R8に出るとここからは全く歩道が無い状態で進む事になる。八幡神社入り口から右に折れて住宅地を進む。車から解放されて少し安心する。

数百㍍進むと左手にニトリが見える。トイレも休憩所もありそうなので、妻をここで待たせることにした。もう少しで【道の駅鏡の里】だったが、欲張らずにここまでとする。もともと武佐で終わるつもりだったので、2キロほど明日は楽になるはず。

自転車で【旧五個荘役場】まで戻らなければならず、それを考えればここでやめる事に悔いも迷いもなかった。

八幡神社は高札場跡
神社から右手の路地を進む

旧五個荘役場に戻る途中で【五個荘金堂の街並み】を見に行く。白壁の蔵造と水路が張り巡らされた街並みを堪能する。解放してくれるお屋敷もあったが妻を待たせていたので、建物内は見学しなかった。

案内所は直ぐに見る事ができたので、ここには立ち寄る。お雛様が飾られていた。

東近江市【五個荘金堂】の水のある風景
五個荘金堂の白壁土蔵の街並み

ニトリで妻を拾う。時間は少し早かったがゆっくりしようと道の駅かがみの里に向かう。まだ4時でこんなに早くまったりする事は珍しい。停まっている車も少なく、テレビ映りの良い場所をあちこち移動しながら探す。結局本館の前が一番良かった。

人の通りは多くて息子が騒ぐが、テレビも見たいので仕方なし。追尾式アンテナではないので、時折こんな作業が必要になる。

この日も静かな夜を過ごす。かがみの里・・・限定20食の天丼が目玉らしく、翌朝は発売と同時に数人が並んでいた。

道の駅かがみの里
広い駐車場に加えトラックが少なくて、静かな夜が過ごせたかがみの里

2013/03/23(土)

本日の作戦を練る。ニトリまで逆歩きもあり・・・結局、一旦妻をニトリに送り、戻って車を道の駅に駐車。そして自転車で私もニトリに向かう。R8を走る車を横目に見ながら進む。ちょうど幼稚園の送迎で車が何台も停まっていた。

地図は堤防に突き当たるまで進むように表示しているが、私達はコミュニティバスのバス停から左に折れてR8に向かう。

橋を渡ると直ぐに再び堤防を歩く。堤防には入れないように鎖が張ってあったが、多くの人が歩いているようなので入っていく。

R8と並行して1本裏道を進む。堤防に当たる手前のバス停から左折
橋を渡って再び右手の堤防へ。鎖で止められている

堤防から分かれR8を遠くに見ながらほぼ並行して進む。集落の中に若宮神社が右手に現れる。

竜王町に入ると堤防に沿って進む
やがて右手に若宮神社が現れる

集落を抜けて農道を進むと西横関でR8と出会う。

若宮神社から西横関へは農道を進む

一旦R8を進むがペイント屋の看板がある建物から左に入る。ここは江戸時代に中山道の【鏡の宿】となっていたようだが、69宿にはない。

鏡の宿】に入っていく

竜王町は鏡の里保存会として史跡の保存に力を入れていて楽しめる。この通りのお宅に看板が掲げてあり、町ぐるみで【鏡の里】として町おこしに取り組んでいる。義経縁の地で多くの史跡について説明版があった。

かつての【鏡の宿】ゆかりの表示なども
義経が宿泊した館の跡・・・との説明版

鏡の里集落を抜けてR8に戻る。この坂を登りきると道の駅になる。ところが御覧の通り歩道が狭く、トラックがものすごいスピードで肩をかすめていくのが恐い。道の駅に戻り時間が早いが食事を摂って再び歩き始める。ココちゃんはまた車で留守番だ。

道の駅かがみの里へはもうすぐ。狭い歩道で苦しむ

道の駅の目の前に【義経元服の池】の碑がある。義経元服の池(道の駅鏡の里)から左に折れる。数軒の家並の中の空き地に明治天皇の聖跡碑が建つ。直ぐにR8に戻る。

義経元服の池
明治天皇の聖跡がある

R8を行くと左手に村田製作所が見えてくる。村田製作所は野洲市が本拠地だ。そこに見落としそうな粗末な看板があり、【平家終焉の地】と判る。

平宗盛は義経に捕えられて鎌倉に下ったが、義経を嫌う頼朝は義経と宗盛を鎌倉に入れなかった。京都まで後一日のここまで戻ったが、この場で義経に処刑されて平家は断絶した。

歴史好きの私としては何はさておき、見学して参拝しなければならない場所だった。

鏡の里からの坂を下りきった所に【平家終焉の地】、参拝者は多い。
宗盛の最後を説明している

浄勝寺前の信号から右手の集落に入っていく。落ち着いた雰囲気の集落が続く。西池のところで再びR8に戻る。

浄勝寺前から右手に折れて集落の中へ
落ち着いた雰囲気の中を進む

小堤地区もR8には狭い歩道しかない。

小堤地区でR8を進む。狭い歩道が厳しい。

石材店からまた右手の路地を進む。この後R8に戻ることは無い。弥生の森公園近くでかがみの里を先に出発した女性に追いつき追い越す。この方とは守山宿の資料館で一緒に休憩する。今日中に草津まで進み、翌日には京都にゴールするという。

しばらくR8と新幹線の間を進む。

辻町地区でR8と分かれて住宅地へ
小篠原地区でかがみの里を先に出た女性をとらえる

野洲駅に向かう通りと出会うと新幹線の下をくぐる。野洲小学校まで町の中を進む。JRも越えて野洲川を目指す。ほとんど駆け足の状態で汗は激しく流れている。

新幹線の高架が見えてくると野洲の街
野洲小学校前の近代的な石灯篭

早く乾いた下着と変えたかったから、気持ちは急いている。もう守山市に入った。

野洲駅前通りから橋までは意外に近い
汗ばんだ身体に川風が心地よく吹き渡る

妻を待たせておく場所を探すが案の定見つけられず、歩いている人にファミレスでもないのか聞く。このあたりにはないらしく、諦めて宿場に入っていく。そこそこ古いものが目につく街並みだ。

野洲川を越えると宿場の雰囲気
大きな宿としては残っている史跡が少しさびしい気がする

一軒、古い建物があり資料館風だったので入ってみる。そして出てきた男性に『食事休憩ができる場所』を聞くと、奥まった土間にある椅子を示した。

暗くて雰囲気が悪くて渋っていた。私はこのお宅がレストランの店舗だとは気が付いていなかった。知らない事とは言え無理難題な要求をした。気が付いて顔から火が出るようだった。

この【うの家】は総理大臣だった宇野宗助さんの自宅で、対応してくれたのは息子さんだったと思う。この後食事ができる場所を親切に探してくれて、本当に感謝の気持ちでいっぱいだ。

資料館でボランティアの方からお茶を頂戴して、汗をかいて冷えた体を温めることができた。ここでも石油ストーブが焚かれていたほど、今日の滋賀は冷え込んでいた。さらにコーヒーを注文して1時間ほど食事休憩とする。

先ほどの女性もやってきて一緒に休憩する。話をすると大阪の方とか。

自転車でかがみの里まで戻り、再び車で資料館に到着するまでは1時間半ほどかかった。

次回は道の駅栗東にでも車を置いて歩いてここまで来てスタートしようと考えている。

【うの家】は総理大臣宇野さんの実家
本陣の場所が特定できず、この場所を想定地としている

2013/11/02(土)

【守山宿~草津宿】6キロ

今回はスタート前から少々厄介な事情を抱えていた。無理すれば京都にゴールできそうな距離だったから・・・。

『京都にゴールするときは出迎えてあげる』と言ってくれていた人もいて、かつ、私の中山道踏破は【和田峠】を残して先に進んでいたから・・・ゴールしてしまうと完全踏破にはならないのだ。

和田峠を歩いてからゴール出来ればベストなのだが・・・。

さりとてほんの少しだけを残してしまうと、わざわざそのためにだけ京都まで出向かなければならない。そして妻の仕事の関係からその時期は2014年の3月以降までずれ込んでしまうのだ。

今回のチャレンジは栗東市の道の駅【あぐりの里栗東】をベースキャンプにして、毎日からスタートすることにしていた。友人ホロホロ3世が良く利用している道の駅。ネットで調べると食べ物の楽しみもありそうで、パンや餅、豆腐が買えそうで期待が膨らむ。

結果としては・・・期待は裏切られたが、3日間お世話になって一段と親しみやすい場所として記憶に残る。

ここから守山の【中山道交流館】までは歩くと30分はかかる。そこで初日は交流館の駐車場に車を置かせてもらうことにした。歩き始めるとそこが中山道という絶好の条件。8時ごろだったので交流館にはまだ人がおらず、声をかけずにスタートする。

道の駅【あぐりの里 栗東】
守山の中山道交流館  休憩ができる施設

直ぐに道標がある分岐。うっかりここで右に進んでしまったのが間違いだった。15分ほど大通りを行ったり来たり・・・教えてもらって戻る。

先ほど車で来る時に通った道なので間違うはずもないのに、頭が固くなっていて呆れる。

道標の【右 中山道】を勘違いして右に。振り返って見ているのだから京都方向から来た場合に右が中山道・・・それに気が付かないのだ。早い機会に気が付いて少ない怪我で済んだ。

道標 【中山道 美濃路へ】 とある
守山の古い街並み

地図にも表記されている土橋があって、中山道と判る目印になる。当時は瀬田の唐橋と並んで戦略的に重要な橋だったそうだ。

そのすぐ脇には常夜灯と説明版が設置されている。

中山道の目印 瀬田の唐橋同様戦略的に重要な橋だった
どばし脇の常夜灯

交流館からこの付近までが、守山宿の当時をしのばせる核心部で、商家作りが散見される。

今宿地区は特に古い建物が、生活の一部として残されている。出発して数百㍍で滋賀県内に唯一現存する一里塚だ。

宿場としての雰囲気のある守山の街並み
滋賀県に唯一現存する今宿一里塚

街並みに水路を配した作りが滋賀県に入ってから特に目が着く。水が豊富で、水と共に暮らしてきた地方色を偲ばせてくれる。

家並の中を栗東市に入っていく。旧街道は住民の生活道路で、センターラインもないような道が続く。当然歩道は無く、前後を注意しながら進む。

水との関わり合いを感じさせる町
栗東市に入っていく

面白い水路を発見した。歩いていなければ見つけることはできなかったと思うと、こんな素晴らしい旅は無いと実感できる。これまでの大部分の人生を忙しく通り過ぎてきたことが勿体なく感じる。

この水路は後年に作られたものだろうが、似たようなものが山梨県の甲斐大泉にもある。そちらは水争いが起きないようにと、武田信玄が3分の一ずつ流れるように計算して作られたものだ。

歴史的な背景やそれほどの精密さは無いにしても、こうした構築物自体が面白い。大宝神社の公園に芭蕉の句碑がある。またこの神社の狛犬は国指定の重要文化財だ。

珍しい水路の分水
芭蕉の句碑

栗東駅入り口を過ぎて家並みの中を進んで草津市に入る。直ぐにJR東海道線をくぐるトンネルが左手に現れる。最初のトンネルは車が通るトンネルで、そこから20㍍ほど先が歩行者用のトンネルになっている。

昼なお暗くてあまり気持ちはよくない。

トンネルを抜けると住宅街を【コの字】に進む。再び大通りに合流すると、歩道は中山道がよく分かるように違う色で舗装されている。この辺りにも古い作りの家が数軒残されている。

JRのトンネルをくぐる  守山側から写す
中山道は歩道の色が他の道路と違う

草津駅前を過ぎるとアーケードのある商店街の通りが中山道となっていて、所々に古い店蔵などが残っている。

大路井道標があり、おそらくはその当時からと思われる【大路井】というお店も、綺麗な建物に変貌して残っている。

草津駅入り口を過ぎてアーケード街へ
現役で活躍する店蔵

アーケードを抜けると隧道になる。当時の草津川は町よりも水位が高く、氾濫などによって通行に支障を来した。隧道を通って行き来したとの解説板がある。明治期のもののようだ。

隧道を抜けてすぐ左に、文化13年に立てられた火袋付の道標がある。ここが東海道と中山道との分岐・合流点になる。

隧道の壁には宿場の絵が
東海道と中山道の分岐  追分道標 火袋付は珍しい

本陣・脇本陣が通りを挟んで立っている。このあたりは当時の雰囲気を良く留めている街並みだ。物産館にパンの看板があったので買おうと思って立ち寄ると、パンはどこからか持ってくるらしくまだ届いていなかった。

ここで焼いているのでなければ、パン屋バスターとしては買えない。

草津本陣は近年改修を終えたばかり。中山道の宿場に現存する本陣としては、最大級の建築物だとか。しかも江戸期の姿をほぼ留めていると言うことで、記念物として一般公開しているが、中に入ることはしなかった。

とうとう中山道を踏破した。残るは京都までの25キロほど・・・今回ゴールするかどうか夫婦で迷う。

草津宿の街並み
本陣は現存する中では最大級の建築物
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