気力の欠如・・・八ガ岳(赤岳)
平田影郎
「あっ しまった!」
あれ程給油しなくちゃと思っていたのに、考え事をしてついうっかり横川SAを通り過ぎてしまった。佐久には3時前に着いた。
先生とは美濃戸口(みのとぐち)で5時に待ち合わせだからゆっくり間に合うはずだが、ガソリンのゲージは最後のライン上である。
臼田まで車を進めたがスタンドは当然開いていなかった。心配が現実になってしまった。
もう限界だ。臼田駅前のコンビニの駐車場で“うんこ座り”をしながら仲間と話し込んでいる茶髪のあんちゃんに聞くと、見かけによらず親切に教えてくれた。この時間では佐久平の新幹線の駅付近まで戻らないと給油は出来ないと言う。少し気が急いてきた。
仕方なく佐久平まで戻って給油をし、美濃戸口に向かった。だいぶ時間を費やしてしまった。
八千穂から麦草峠へと向かう。ものすごい霧が辺りをつつみ、真っ暗な道の一部だけが車のライトでボーッと照らし出されている。
目の前に何かが飛び出してきたら腰をぬかしそうだ。どうか出ませんように・・・。
麦草峠は4時を回ってしまった。「まずいなー」と思いつつも霧が深く、さらには頂上付近の米栂が霜で真っ白な状態で、スピードを上げることは不可能だ。
しかしこのことが幸いした。峠を10分ほど下って別荘地にさしかかった時の事だ。右前方で何か動きを感じた私は少しブレーキを踏んで何かに備えた。と、その時、いきなり車の直前にメスのカモシカが飛び出して来たのだ。
ライトに映し出されたそれは、特に驚いたふうもなく優雅に走り去った。ぶっかって車が壊れて動けなくなったらこの暗闇にたった一人・・・良かった。シカさんが怪我せずに良かったよりも、とりあえず暗い所に止まっている必要がなくて良かった。
そこからカーブを2つ3つ曲がると、今度は道路脇にりっぱな角を頭に戴いたオスのカモシカが現れた。北海道の高級ホテルのロビーに置かれた剥製のように毅然と立っていた。
私は一瞬身構えた。ライトに驚いて車めがけてつっこんで来るかもしれないと思ったからだ。しかしオスジカはライトに目が眩んだか、向かってくる事は無かった。悠然として、凛として立ちつくしている1メートル脇を、車は何事も無くすり抜けた。ウサギ、狸・・夜の静寂の中、あらゆる自然界の活動を目の当たりにした。
大分待たせたが無事に落ち合う事が出来、歩き始めるも二人だけで歩くのは初めてだ。美濃戸まで車を入れることは出来たが、いきなり登り出すより準備運動のつもりで・・・あえて歩くことにした。でも結果としてこれが失敗だったのかな~~。時間的にも、体力的にも・・・。
紅葉はまあまあの状態で、沢筋の所々に赤や黄色の鮮やかな彩りがある。何となく心も弾みこの季節の登山の楽しさを実感させてくれる。矢っ張り季節は秋がいいかな~・・・と思ったが、結局いつでも山に居られればいいんだよ。
1時間程で美濃戸に着いた。此処からは南沢に沿って行者小屋を目指した。30分に一本の休みを入れ、2時間ほどで小屋に着いた。
ほぼコースタイム通りで登りもそんなにきついとは感じなかったが、なにせ今年初めての登山で膝には少し利いているかもしれない。
11時に行者小屋を出発した。阿弥陀岳のコルから赤岳頂上を目指すコースを選んだ。しかし30分程登って私は限界を感じた。
力が湧いて来ないし気力も湧いてこない。何となく心が登ることを求めていない。やはり初めての登山はダメージが相当の物だったようだ。
前日のイベントで神経をすり減らし、ほとんど眠らずの行軍。若いときなら弾き返すバイタリティーに満ち溢れていたが、年齢と共に体力・気力の衰えは人並みに進んでいるようだ。
少し舐めていたかもしれないなー。何とか行けるだろうと・・・。主峰赤岳は舐めちゃいかん。今回はもう少しマイナーな山にしておくべきだったなー。
先生に話すと気持ちよく了解してくれた。彼は頂上に向かい、私は先に赤岳鉱泉に向かいそこで落ち会うう事にした。見送っているとつづら折れの登山道を登っていく。木々の間から時折彼が見える度、後を追う衝動に駆られたが・・・じっと我慢。
行者小屋でラーメンを食べ、赤岳鉱泉には1時前に到着。受付を済ませ部屋に荷物を置くと早速テラスでビールを飲んだ。
見上げると硫黄岳~赤岳の稜線が間近で、しかも倒れかかって来る様だ。このテラスはいい・・・実にいい。ビールが旨い。実にうまい。
大同心(写真)は本当におもしろい。お坊さんが読経しているように見える。私も祈ろう・・・家族はもちろんのこと仲間達もいつまでも健康に暮らせますように・・・。
2時から風呂に入れるというので用意して行ってみると、2メートル程の小さい浴槽が一つ・・・その中にすでに4・5人が浸かっていて、さらに3人が裸で震えていた。
少し時間をおくことにして再びテラスに戻った。そしてまた飽きることなく大同心や稜線の先、赤岳を首が痛くなるほど見上げ続けた。来て良かった! 来た甲斐があった。「来年は絶対登るぞーッ」
個室料金5.000円を払ってまで個室に固執したのには訳があった。部屋でならタバコを吸っても判らないだろうと思ったからだ。
先生が到着してから夕食までに、二人あわせて10本以上は吸ったと思う。見つからないように細心の注意を払い、臭いが籠もらないように窓を全開にして、煙を外に扇いで・・・でも、いとも簡単にばれてしまった。「食事の準備ができました」と呼びに来たおネーさんに、臭いをかぎ当てられたのだ。
「出て行け」とは言われなかったが、懇々と叱られて大の大人が赤面である。
ここの食事はテレビで放送されるほどで、期待に違わぬ味とボリュームを存分に堪能し、満足のディナーとなった。メインディッシュは大型のエビフライ、そして熱々のクリームシチューはおかわり自由。私は猫のように喉をゴロゴロ鳴らしながら夢中で何杯もおかわりをした。
どうしても赤岳鉱泉に泊まりたいと思っていたが、実現してさらに強くぜひもう一度来たいと思うようになった。たとえ全館禁煙でも・・・。山小屋としては最高レベルだ。
朝食後、コーヒーを注文しそれを飲んでからゆっくり下山した。下山路は北沢沿いにルートをとった。難所もなく1時間半で美濃戸に到着、少し休んで車をデポした美濃戸口に向かった。
途中、赤松林に入ろうとしている人に先生が声をかけた。腰に笊を着けた地元のキノコとりだ。聞き上手、話し上手の先生にかかり、しだいにペースに引きずり込まれ、採ったキノコを見せることになり、また誉められてとうとう小さめの物をくれるはめになった。
ものは黒しめじ(霜降りしめじ)で、家に帰って炒めて食べたが、コリコリした食感、味とも大いに妻を喜ばせてくれた。私たちは大変な発見をした。ペンション村で有名な原村の“山の幸”だ。民宿の“小松山荘”も一緒に経営している店主が、自ら山に入って採ってくる恵みを振る舞ってくれる。
時季的には当然キノコ料理。特にキノコ汁は絶品。大振りのおわんにぎゅうぎゅうに詰められて苦しそうにもがいているキノコたち。7・8種類のキノコから出る出汁は思い出しても“よだれ”もの。
そして栗茸など3種類のキノコのテンプラ、ワラビのおひたし、自家製の漬け物盛り合わせ、「おなか空いてそうだから大盛りにしといたよ」と言う心遣いまでついて、最後にデザートのアイスクリームでしめて、満足の1.800円。
レジでおばさんが「3.600円です」というと、先生は一人分が3.600円だと思ったほどだ。
店には店主が描いたという見事な山の絵と有名人のサインが隙間なく飾られていた。一枚だけ妙に気に入った絵があった。近寄ってよく見るとその絵だけが店主の絵ではなかった。“帰りには綺麗なおネーさんが別れを惜しんで涙を流してくれた”と先生が言っていた。