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横浜の叔父

日常

夜になって兄から電話があり、横浜の叔父が亡くなったとの連絡でした。小学校の時から私はこの叔父の家に良く泊まりに来ていました。羽田空港や後楽園球場、元町・山下公園・マリンタワー・・・ずいぶん連れて行ってもらいました。当時叔父は鶴見の東芝社宅に住んでいました。

小さい頃の私は長嶋の大フアンで、川崎球場の巨人戦はわざわざ東北の山奥から、電車で10時間かけて出てくる価値は十分にありました。
当時は川崎駅から球場までの間に【ダフ屋さん】が何百人もいて、何人にも声をかけられるのでした。
これから当日売りを並んで買うのに、叔父は『あります』『持っています』と答えていました。

うっかり返事をしないで通り過ぎると、そのダフ屋さんに怒鳴りつけられます。田舎から出てきた私には『あります』という受け答えと、怒鳴られる行為がどんな意味なのか全く解っていませんでした。今考えれば【ダフ屋さん】でした。

大学に入っても日曜に工場が閉まっている時に【大型プレス機】等の掃除アルバイトを世話してもらっていました。これが当時素晴らしい金額でした。この4年後の私の初任給は20.000円だった時代に、一日行って4.000円も貰っていました。
ただし油まみれになっての報酬です。

ついでですが学生時代は20種以上のアルバイトをやりました。バーテン、キャバレーのボーイ、スナックのマスター、喫茶店のボーイ、ラーメン屋・・・一番長くやったのがメッキ工です。たこ部屋で土方もやりましたよ。そんな時代に面白い話がいっぱいあります。近いうちにお話したいと思います。

話を戻すと7日が通夜で8日が告別式だそうですから、坐骨神経痛の妻を置いて一人で横浜行ってきます。一人となると悪い虫がムズムズ動き出しそうです。

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