素人氏と今晩から出かけて、長野で釣りをするつもりでした。これはここ数年続いてきた二人にとっては行事みたいなものでした。
ところが大雨になりそうで・・・雨が降れば川が増水し、魚は活性化して釣れるようになるんですが・・・。今年初めての本格的な雨ですから、沢の状況は不安定に違いありません。
これで本格的な雨が・・・流れるものは流してくれて、浮いている石も安定させてくれてからならそれほど心配もないのですが。
特に今心配なのは雪渓などがダムの様に水を堰き止めていたりすると、鉄砲水になる可能性があります。
それに雨に打たれながら遊ぶのも、かなり辛いので・・・今日は中止にしたのです。
さてまたまた【大石川西俣】の5回目です。
《撤退》
下から素人が呼びかけている。「鉄人さんが上に見えます。大丈夫そうだから降りてくだい。」
「わかった。いま降りて行く。」と返事をしたが、どうも聞こえないらしい。何度も何度も呼びかけてくる。私は慎重に下降しだした。
上りは二回も枝がおれた。まったく肝を冷やしたが、下りはもうゆっくりでいいのだ。潅木帯をぬけるとあと10メートル程だ。素人が私をみつけてホッとした顔をしている。
最後の壁はより慎重に支持点を探した。ここまで来て落ちたくはない。「10メートル」はこんなに恐怖心が沸かないものなのだろうか。「さっきの高さに比べればなんてことはない。」とつい思ってしまう。
下に降りると確かに鉄人が見える。なんて逞しい男なんだ。林道から手を振る鉄人を見て私は一気にひざの力が抜けていくような気がしたが、気持ちを奮い立たせおもいっきり手を振ってこたえた。
まだこれからなのだ。沢を下って安全に帰らなければ。二人は歩きだした。小さいながらザイルを引っかけるところもないゴルジュの中の滝は、本当にやっかいだった。
まず私がザイルを確保して素人を滝の下におろし、その後私がフリーで岩壁を伝っておりる。これをいくつ繰り返したろうか。
本流に出ても高まいた滝がある。でももう高まきはゴメンだ。力も残っていない。素人に「泳ぐぞ」と話し、ザックを釜(滝つぼの事)にほうり込ませ飛び込ませた。冷たい流れはむしろ我々に「渇」をいれてくれた。
入渓点では鉄人がすでに汗でグッショリの衣服を脱ぎ捨て、我々の到着を待っていてくれた。鉄人の無事な姿が目に入った時、思わず目頭が熱くなる自分を感じた。無事である事はすでに確認していたのに・・・。
私は釜の泳ぎで濡れてしまったタバコを握り潰し、新しいタバコをザックの中からとりだして火をつけた。長い間タバコを吸う事を忘れていた。私が吐き出した煙りは、青空の中にゆったりと揺れながら消えて行った。
《エピローグ》
岩壁を上って行った鉄人に、大自然は本当に厳しい試練を課した。途中で自分を落ち着かせようと、二回も歌を歌ったという。
林道に出る手前では、壁は垂直どころかオーバーハング(反り返っている状態)。絶対絶命の時、信じられない事に岩壁の真ん中に一本の木の根が出ていたと言う。
このわずかな大自然のいたずらが彼を救った。岩を砕いても根を伸ばす樹木の生命力・・・。なんと逞しい営みだ。大自然が課した苛酷な試練から、したたかな自然の営みが鉄人を救った。
やはり人間は大自然の中では一つの生命体にしかすぎないのだ。自然を征服しようとするなんておこがましい。むしろ大自然に翻弄されながら生きていかなければならないのだと実感した一日だった。
また帰る事ができた。帰してくれてありがとう。
写真は胸まで水に浸かって遡行するやどろくメンバーです。沢では日常茶飯事です。右側の水中に居るのが解りますか?
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