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終戦記念日の意義

時事

今日、69回目の終戦記念日でした。この日が設けられた意義は何でしょうね。

毎年毎年【不戦の誓い】をすることだと思うのですが、最近そんな方向とはズレ始めている感じがします。

言われなく成り上がり者に屈する事はありませんが、だからと言っていらぬ刺激もする必要はない。

問題は散々援助したのに、それを逆手に取られているような現在を招いた・・・これまでの役人や政治家の対応が問題なのです。力を付けた途端にしっぺ返しされる我が国の何と浅はかな事でしょう。

援助するならこうした問題も含めて、今後は問題として提起できないように話し合うべきだったのです。言いにくい事は後回しにしたツケを今、支払わされています。

いろんな番組がありましたが、いずれも『悲惨だから戦争は反対』『多くの国民の尊厳を奪ったから戦争はすべきでない』という視点でしたね。

私は少し違う気がしています。悲惨であっても・・・国民一人一人の尊厳が踏みにじられるとしても・・・国体を維持するためには理不尽な国に対して対抗すべきだと考えています。

その結果、戦争になるかもしれません。好んで戦争をしたくはありませんが、理不尽な屈辱は甘受すべきではないのです。

普通の国・・・と提唱した政治家がいます。後年、建設会社から4億円貰ったと政治生命を奪われた人ですが・・・。

その主旨は・・・アメリカに頼るのではなく、自分の国は自分で守るべき・・・なのです。それが抑止力にもなります。

私が嫌いなA紙などマスコミの世論操作で、その政治家が消えた途端に日本は【普通の国】になれるチャンスを失いました。

未だに靖国参拝を『公人ですか? 私人ですか?』と聞くしか能のない記者。公人だろうと私人だろうと国を守るために犠牲になった方々に、尊崇の念を持って手を合わせる行為は・・・まさに【不戦の誓い】

最近、折衷案で・・・合祀がいけないのだから分祀しよう・・・との意見があります。そんな形式的な議論は止めましょう。手を合わせてはいけないと言う国に、頭を下げて付き合う必要はないからです。

日本はもう侵略はしない・・・と誓うべきで、理不尽な申し出には屈してはならないのであって、それは国体を維持している世界の国のすべてがそうなのです。

不戦の誓い・・・の不戦は、不侵略と読み替えるべきと思うのです。

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