3.11の津波で70人もの尊い命が失われた塩釜市の大川小学校。
遺族の一部が学校の責任を問うて裁判に持ち込んでいた判決・・・学校・市・県・教育委員会の責任を認めて遺族側の勝訴となりました。
当然の判決と思ったら・・・被告側は控訴すると言うからどこまで恥知らずなのか。
問題は津波の到達を予見できたか・・・で争っているとマスコミは言っていますが、果たしてそうですか?
広報車が知らせてからマニアル通りに避難したから、責任は無いという主張だそうです。呆れた市長ですね。県知事も同類。
教育長などは天下りで木端役人の第二の職場ですから、何の問題意識も無いアホが座っていたと思った方がいい。
棺桶に半分足を入れた老人が、固い頭で老害そのもの・・・学校の現場・子どもたちへの意識など微塵も無かったでしょうから、平常時から連続性の必要な避難訓練などにリーダーシップを発揮するなどとは到底ありえない。
原告勝訴は良かったのですが、判事の視点も私は少し違うと思ってます。
あの日に戻って見ると・・・釜石市は登校していた生徒が一人も犠牲になりませんでした。
釜石の奇跡・・・なんていわれてますけどそんなことはありません。
ただ単に普段からの教職員へのまた児童への防災意識の徹底が有ったか無かったかだけの違いです。
そして市長や教育委員会が無駄かもしれないそれを後押しした・・・塩釜市長にはそれが無かっただけです。
あの日地震が来て・・・あれだけ大きい津波が来ると釜石市だけが予見できて、事故が防げたのでしょうか?
そんな馬鹿な事はあり得ませんよ。
教職員にはどんなことがあっても子供の命を守るという意識が普段から醸成されていたのです。
生徒自ら命の大切さを・・・自ら命を守ると言う意識が醸成されていたのです。
結果として無駄な避難だったとしても、それは市長が・・・教育長が子供の命を守るために私が命令したと言えば済む話です。
避難途中で万が一転んで怪我した子供が出たとして、それは裁判所が判断してくれるでしょう。
聞いた訳ではありませんが、釜石市はそれぐらいは想定の範囲だと普段から腹をくくって避難マニアルを策定しているはずです。
子供の命に責任を持つと言うことは、そういう事だと思うのです。
一方で塩釜市は教職員にその意識の必要性を認識させていませんでした。
だから裁判の争点は津波が予見できたか・・・とか、ハザードマップにも指定されていなかったとか、そんな話ではないと思うのです。
この裁判で負ければ今後のあらゆる問題に影響するとか、組織防衛のために事故後も徹底的に証拠の隠滅まで図った教育委員会や市側。
何処に子供の命への思いがあるのでしょうか。控訴するなど市長の厚顔無恥ぶりに腹が立ちます。
知事も2020東京五輪のボート会場立候補で応援してましたが、リーダーシップを発揮して恥ずかしい悪あがきをやめなさい。
何より控訴をやめる事は、今後宮城県で教師になろうとする者は、命を賭して子供を守る意識を持ってほしい。
そのための行動には知事として市長として責任を負いますから・・・という立派なメッセージになると思うのですが・・・。
所詮は自己保身の木端役人なのでしょうか?
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