暮れも押し詰まった時季に、従兄弟の葬儀でした。
従兄弟と言っても親ほどの年齢が違います。
妻の母は兄弟の末っ子。今日の葬儀の従姉妹は長女の方の長女で82歳。
その攣れあいですから享年88歳でした。
だから私達とは親子ほどの年の差があります。
いつも野菜をくれる従姉妹。亡くなった旦那さんは、生前、バイクで我が家に野菜を届けてくれたのでした。
今日の葬儀の形式は神式で、関東ではなかなか経験できません。
私の経験は現役時代から通しても、5回目ぐらいでしょうか。ちなみにキリスト教では2回です。
そして家族葬としてやったのですが、とにかく大人数でした。
妻の従姉妹。その子供が3人とその攣れ合いで6人。
孫が6人の内結婚しているのが4人でその攣れ合いを含めて10人。
そして曾孫が5人。これだけでもすごい人数。
我が家が・・・もし家族葬をしたら5人ほどですから・・・この家の驚く命の繋がりです。
その他の会葬者は地域の区長さんや、従兄弟が来ていました。僅かな親戚のみ。
この葬儀で感じたのは、繋がれた命の数の多さです。
家の繁栄・・・ってこういう事なんだなあ。
私も68年生きて来て、多くのモノを手に入れました。
でも、この命の繋がり・・・連続性・・・は私の為し得なかった事で残念な事です。
小さな命が弾けているのを見ると、羨ましい限り。この騒がしさ・・・雑然さが我が家にはないのです。
この命の繋がりこそ、自分が生きた証と思うのです。
人間としてこの世に生を受けた者として、責任であり義務でもあるのです。
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