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戸谷八

リタイヤ生活

見学会で配布された資料の内の一枚ですが、関八州の豪商番付です。

相撲番付のように東西に分けて・・・横綱・大関・関脇のように見ていただくと解りやすいと思います。

東西併せて50位の中に本庄宿が3人も入っています。

当時の本庄宿の権勢を知る資料です。

拡大して見てもらいたいのですが、東の方の関脇に相当する個所に「醤油・水海道」とあります。

醤油を贖う現茨城県水海道の豪商がありますが、慶長と釜屋の内のどちらかが後の正田醤油ではないでしょうか?

美智子皇后陛下のご実家と思うのです。調べればわかりますが・・・とりあえず想像するだけでも楽しいのが・・・歴史です。

番付の赤マーカーが本庄宿の商人で、横綱の位置の中屋半兵衛が見学させていただいた≪戸谷八≫のご先祖です。

ここからは歴史的な検証になりますので、長くなりますが好きな方はお付き合いください。

写真も沢山写してきたのでアップしたいのですが、機会が有ったら少しずつ。

そもそもは新田家の家臣団でしたが、現在の太田市世良田から本庄に移ってきました。

ちなみに世良田と言うと徳川氏の発祥の地と言われていて、現在も世良田東照宮が残っています。

こんな関係で江戸時代になってから、昨日話しした赤門が将軍家から許されたのかもしれません。

当時、京都にもお店を持っていた中谷半兵衛は、真言宗智山派の大本山智積院の石畳を寄進したとあります。

智積院と言えば長谷川等伯の「障壁画」などがありますが、この石畳もまさに歴史的遺産です。

この中屋の分家として森田家が番付にありますが、神流川に架かる橋を当時建造し寄贈とあります。

豪商の経済力を現在に置き換えたら、三井三菱住友などと言えるかもしれません。

中屋半兵衛とゆかりは無いと思いますが、数軒隣に明治になって秩父セメントを起こした諸井家があります。

現在も洋風の建築物が残っていて、埼玉県の文化財に指定されています。

それもこの日は見学できました。

世界遺産の富岡製糸場で観た建物と同じつくりで、設計者は同じではないかと・・・これも想像です。調べればわかりますが・・・。

この時代にステンドグラス風のガラスがおしゃれで、楽しく拝見しました。

諸井貫一と言えば日本の経済三団体の一つである経済同友会の設立者。

凄い人材を輩出している地ですね。

余談ですが隣の深谷市には、近代経済の基礎を作った渋沢栄一が生まれています。

長いですから・・・またあとで。今日はここまでです。

次回はもっと歴史を溯ってみます。

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