あいにくの雨でしたが大雨とはならず、予定通り私の元職場で訓練が実施されました。
ある施設が被災したとの想定で、被災していない他の施設・支社から支援の人員や機材が届いて対応すると言う訓練。
歳をとると大概の人は現役時代の栄光や功績が忘れられず、「あれは私がやった」とか「作った」とか「創設した」とか言いたくなるものです。
私もそんな人間なのかもしれず、そういう部分の話は沢山あって・・・。
この訓練も埼玉県でも他の自治体・企業・団体に先駆けてマニアルを作り、訓練の制度化にかかわりました。
そもそも私は会社の創設期に入社し、就業規定から財務規定・給与規定などを手掛けました。
ですからこの後入社してきた後輩・部下は戦友でもあって、一人一人が愛おしいしいまだに顔を見ては声をかけたいのです。
相手は迷惑かもしれませんけど。
この時、阪神淡路の大震災があり、私はある団体の本社にいました。
近い将来に到来するはずの震災対策として、同僚のYさんと一緒に実現に汗を流したのでした。
それが全県的な広がりにまでになり、感慨も一入です。
その訓練が近くの施設で行われると言うのは、見逃せません。
数年おきに見てますが、最近は何か形がい化しているような・・・現実味が感じられないと言うか。
申し訳ないけど、意味を正しく理解せずに進行だけにとらわれている気がします。
なぜ連絡・報告を受けてが復唱する必要があるのか? とか、単純な1例ですけど。
誤認を防ぐと言う側面とスピーカー機能の意味で居合わせた全員が同じ認識を持てるという側面などを理解してほしい。
マニアルに書いてある被害想定を伝え合っても、あまり意味がない気がします。
通信手段が途絶えた中で、折角の衛星電話も正しく伝わらなければ意味がありません。
「ON」なのか「OFF」なのか・・・スイッチ「ON」を了解しました・・・と復唱すれば、違えば相手は「違う、OFFだ」と指摘できます。
点検順路なども「これからどこを出てどこへ向かいます」、万が一事故に巻き込まれて連絡が途絶えても、連絡があったその先から捜索できます。
一分一秒を争う時には生死にかかわることです。
訓練でできないものを、実践できるでしょうか?
そんなことは誰でもわかっているよ・・・と、でも、できていないんです。
30年以内に80%の確率でやってくる・・・明日かもしれない・・・初歩に立ち返って姿勢を正す時期かも。
訓練制度が実施されてから、当時の人間は大部分が退職。
マニアルの言葉尻一つ一つの意味が、正確に理解されていない時代になっています。
何もないところから手掛けた一人として、口を挟みたくてウズウズしています。
福島第一原発が被災した翌年の、東電の訓練を見て笑っていました。
ポンプを搬送して駆けつけた対策班・・・持ってきたカナラインホースが短くて届かない。笑えます。
でも訓練ってそういうものではあります。
その失敗があって次には長いホースをストックすることが出来るのです。
だから何がいけなかったかを、検証することで訓練の意味があります。
今日の反省会はどんな意見が出たのでしょうか?
単純なことが沢山出てくれれば、向上があるかもしれません。
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