ブログをお休みしましたが・・・2日間で岩手を往復、今日のPMは友の葬儀でした。
葬儀を終えてすぐ出発、間に休憩を挟んで10時半に自宅到着でした。
ちょっと・・・疲れました。
ただ昨日は埼玉から岩手まで走った後に、姉の店でノンアルビールでカラオケ。
眠ったのは12時ごろでしたが、今朝8時まで寝ていたので体調はgoodでした。
おまけに小雨がパラつく涼しい夜で・・・扇風機だけで爆睡できました。
私には幸いなことに親友と呼べる友が、5人も6人も居ます。
その中の一人でしたが親戚づきあいの家で小学校に遊学前からの遊び仲間・・・岩手に帰ると必ず寄る喫茶店を営んでいました。
家族ぐるみの付き合いで・・・4月にお見舞いした時には血色も良くて安心していたのでしたが・・・。
やはり、病院で診断された余命の通りに律義に旅立ちました。
頑固者でしたから・・・この時代に携帯電話も持たない男。
喪主の挨拶で、ご長男も私と同じような印象の話をしていましたから、内でも外でも偏屈な頑固者だったのでしょう。
日本のバックパッカーの草分け・・・と私は思っています。
世界をアルバイトをしながら旅をしたのですが、最終的にはスウェーデンあたりから親に「金、送れ」だったとか。
お父さんが、私の父にこぼしていたそうです。
好きなように生きて、勝手に旅立った・・・そんな印象です。
ちょっと葬儀とは別の話ですが、私たち同級生はこれまで各厄払いや年祝いを理由にしてクラス会を続けてきました。
男女のそれぞれの厄年や年祝いなどは数年に一度訪れますから、私たちも懐かしい仲間と数年に一度会うことになるのです。
このいろいろな企画や準備作業は、田舎に残っている仲間たちの中から代表を選んで活動しています。
私たちは通知を頂いて参じるだけですが、代表の方々の努力は大変な苦労と思います。
今回も喜寿のお祝いの席で、今後は取りやめようと言う話が出ましたが、何にも努力していない私なんかが「続けろ」と勝手なことを。
これまでの77年の間の幹事の皆さんの努力は尊敬に値します。
故郷を忘れさせない責任感とリーダーシップ、駆けつける我々の郷土愛と連帯感・・・そんな私たち同級生を誇りに思っています。
今日の葬儀にもそんな各クラスの代表幹事さんなどが多数参列していました。
勿論、故人もDクラスの幹事さんでした。
我がAクラスの代表幹事さんは女性で、かつてのマドンナ・・・いやごめんなさい、今もマドンナ。
男も女も関係なく出会うとハイタッチで歓迎してくれます。
最初は戸惑いましたが、今ではそのハイタッチが参加の原動力かも知れません。
どうせならハグの方が良いと思っていますが、欲はかきません。
そしてもう一つ話題があって・・・もう一人の仲間も亡くなられていました。
が、私には同じクラスだったのに、知らせがありませんでした。
岩手に残っている親友は幹事を統率する立場なのですが、私に「知らせれば必ず来るから知らせるな」と。
「いくらタフな奴でも、こう度々埼玉と岩手の往復は危険だ」と配慮してくれたそうです。
義理はかきたくないとの思いはありますが、そんな心遣いもありがたくて・・・故郷は暖かいなあ!と思うのです。
コメント