この日は出雲大社参拝の後はお風呂と洗濯と決めていましたが、やることが無くてなんとも落ち着かない。
私は動いていないとなんだか不安になってしまう・・・マグロのような人間なんです。
お風呂の後、一気に移動して松江城に行こうと夫婦で話がまとまりました。
松江城は私としては3度目で、妻も一昨年に続いて2度目です。
キャンピングカーの駐車場はお城のPには入れてもらえなくて、小泉八雲記念館の方向にある駐車場に回されます。
お城までは歩いて15分ぐらい、距離で1キロは超えます。
堀川遊覧の船を見ながら城址へと登っていきます。

この松江城は姫路城・彦根城・犬山城・松本城と並んで5つの国宝天守閣のうちの一つ。
別名を【千鳥城】と呼ばれ、現存十二天守の内で唯一の正統天守とも言われています。
天守上層に望楼が載った【望楼型】と呼ばれます。
そして入り口に特徴があって【出丸づくり】とも言われます。
なんだか登って観てから気が付くのですが、七層ぐらいになっていて二段ほどよけいに登らされた感じがします。
外観からは7回も階段を上るようには見えませんから、これも攻めてきた敵へのまやかしなのでしょう。

関が原で戦功があった堀尾家が、壱岐・出雲24万石を頂いて月山富田城(がっさんとだじょう)に入城し、松江藩が誕生しま。
しかし富田城は山城で城下町を作るのに不利なために、現在の地に築城し松江城が生まれました。
しかし築城の作業は難航し何度も何度も崩落を繰り返します。
ここからは言い伝えで事実かどうかは分かりませんが・・・小泉八雲が【人柱になった少女】について書いています。
大工なとが人柱を入れないと工事は進まない・・・と提言。
堀尾吉晴は盆踊りを開催して人を呼び集め躍らせました。
そして最も美しい少女を誘拐して、人柱にしてしまったのでした。
工事は進んで城は完成しました。
が、堀尾親子は急死し3代で改易になってしまいます。
その後の福井から改易されてやって来た京極氏も一代で断絶。
こんなことから【祟り】だとの風評が広まったのでした。
この後、荒れ果てていた松江城に松平氏が入場して、明治までこの地を守ることになります。
ちょっと・・・他のお城にはない稀有な話題です。
そっちの話はあまり好きではないので、この辺で止めますが・・・まだまだ【祟り】の話があるのです。
とにかく想像以上に登りがきついお城です。

妻は・・・やっと天守に立てた・・・という程辛い挑戦。
眺望は宍道湖が望めて、さらには大山も・・・素晴らしいロケーション。
無理に日程を詰めたために、遅くなってしまった登城でした。
塩見縄手と呼ばれる武家屋敷町を歩いて、駐車場にもどりました。



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