妻のジム友から電話・・・柿を採りに来い・・・と。
先日のが4軒で分けたのですが、我が家の分はまだ冷凍庫にも入ってます。
それでも声をかけてもらえなくなるので、貰いに行ってコンビニの大袋に2つ貰ってきました。
60個から70個と思いますが・・・どこにどう分けようか? 悩んでます。
さて今回の旅では塩屋埼灯台を選んだのでしたが・・・美空ひばりさんの【乱れ髪】の舞台と言うのもありますが・・・。
この碑の前に立つとひばりさんの【乱れ髪】の曲がひばりさんの声で流れます。
海なりにかき消されそうな小さな音ですが、訪れた人はみな聞き耳を立てて聞き入ります。
ひばりさんの歌は・・・上手いとか・・・下手とか・・・を超越して、誰にでも聞かせる誰もが聞き入る歌。
美味いとは音程や声量や歌い回し等々を言うと思うのですが、ひばりさんには誰にも歌えない独特のひばり節。
日本人には日本人の歌があって、ひばり節は最も【日本人の歌】でしょう。
私が好きな島津亜矢とか天童よしみとか、俗にうまいと言われる歌手は沢山いますけど・・・。
ひばりの歌はだれも歌ってはいけないし、ひばりさんしか歌えない【こころ】とひばりさんしか出せない【味】なのです。
ひばりさんはこんな位置に立って迎えてくれます。
でもこの理由は40%ぐらいで、もっと・・・どうしても行きたい60%の理由がありました。それは・・・。
先日の四国旅行で・・・室戸埼灯台を見て・・・昔のことを思い出して記憶を照らす灯が点いたのです。
私の祖母が映画好きは先日、話しました。
その祖母に連れられて観た映画【喜びも悲しみも幾歳月】の舞台になった場所でもあるのです。
撮影に当たって、ロケの場所にもなりました。
1956年にある雑誌に投稿された手記、灯台守夫婦の20年を描いた映画です。
当時の塩屋埼灯台長の妻【田中きよ】さんの投稿した手記に感動した木下恵介監督自ら脚本を製作して作品化。
1957年に映画化されて、後年ドラマ化もされているので、私たち世代の方は記憶にあると思うのです。
私はまだ小学校の高学年でしたが、灯台が戦闘機に機銃掃射を浴びるシーンなどは鮮明に覚えています。
多分、高峰秀子と佐田啓二だったよな・・・と、思いながらウィキペディアを確認すると、その通りで私の脳はまだ大丈夫そう。
祖母との思い出でもあるし、小学生ながら木下恵介監督作品に感動したことを、再び新しい記憶として刻むためでした。
灯台への登り口、階段脇にこんな碑が建てられています。
長い年月海風にさらされて文字は風化し読みにくいのですが、田中きよさんや木下恵介監督に触れています。
ちなみにいま日本に登れる灯台は16基あります。
先日の室戸岬灯台は登れない灯台になります。
裏山で同じ高さまで登れはしますが、灯台の中には登れません。
今からこの16基に登る旅を始めようなんて、微塵も考えていませんのではっきり断言しておきます。
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