ホントの宝の山・・・磐梯山
平田影郎
地震の直後、妻が心配していると思い八方台から裏磐梯猫魔ホテルの駐車場に車を移動させ、携帯電話をかけ続けた。
何度目かでやっと連絡がついた。その時は中越地方が壊滅的な打撃を受けていたことを知る由もない。
一旦八方台に戻り準備中だった食事の道具などを片付けて、再度裏磐梯のリゾート地に車を停めて眠ることにした。
娘に電話を入れたりしている間に21時を廻っていた。先生は既に深い眠りに落ちているようだが、結局私は夜が白むまで寝付けなかったようだ。
一向にセットした携帯のアラームがならない。まだか・・・まだかと思っている間についウトウトしたようだ。
目が覚めると窓の外は白み、時計は6時になろうとしていた。セットしたアラームはマナーモードになったままであった。
5時半には歩き出そうと決めていたのに1時間遅れの行程になってしまった。今日は良さそうだ。
山頂が青空にくっきりと浮かんでいる。中の湯跡あたりから良く見えた。
帰りの高速道が渋滞する前に宇都宮までは行っていたい思いがあったので少し急いで登った。
先生の歩行ペースをアッブさせたい・・・結果、中の湯から40分ほどで弘法清水小屋に着いた。
樹林の間から冠雪の飯豊が望めたお陰で、気持ち良く歩く事が出来た。
食事をしながら先生を30分近く待ったがなかなか現れず、もう待たずに行こうと思った時やっと現れた。先生を小屋に残して私は山頂へ・・・20分ほどで山頂に立つ。
独立峰磐梯からの眺望はまさに宝の山を実感させるものであった。遠く・・・おそらくは片富士の岩手山から鳥海・月山を望む。だが朝日だけは飯豊の陰で見る事が出来ない。
近くは昨日の吾妻連峰が西大巓から東吾妻まで、また安達太良も鬼面山から乳首まで連なっている。
目を南に転ずればたおやかな会津駒、その隣には双耳峰の燧ケ岳、日光白根・男体山・女峰と続き、一旦途切れて那須の峰々が猪苗代湖越しに浮かぶ。
こんなロケーション見たことない。急いでかえるつもりが30分も楽しんでしまった。
この峰々の大部分に登頂していたということも感動を増幅してくれたのだろう。一つ一つ思い出が甦った。
登ってきた先生とほんの数言交わしただけで下山にかかる。超がつくスピードで。中の湯の木道でデジカメをいじりながら歩いていて・・・転倒・・・左足首をひねってしまったが・・・よかった、捻挫はしていない。
と思ったが5分も歩くとズキズキ痛み出した。
最後の15分、八方台駐車場まで根性で歩ききった。左足だった事も運転に支障がなくラッキーであった。
磐梯河東インターが11時、館林インターが13時。2時間で走り抜けてしまった。お陰で心配した渋滞に巻き込まれる事もなく14時には自宅に到着。
時季が時季だけにあまり期待していなかった山行は、とんでもなく想像を裏切られた。
遅い秋と冬が同居する吾妻、宝の山から望む数百万ドルのロケーション。何かずいぶん得をしたような思いがする。この時季の北国も一興である。