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54-2. 白馬三山縦走

超々ハードな・・・白馬三山日帰り縦走 白馬岳・杓子岳(2.812㍍)・白馬鑓ガ岳(2.903㍍)

メ モ
登頂日 11/09/11(日)
天 候 晴れ
百名山登頂順 ノーカウント
標 高 2,932㍍
登山口 猿倉
同行者 単独
温 泉 白馬鑓温泉 300円

タイム
場所・地点 往路 (着) 往路 (発) 復路 (着) 復路 (発)
猿蔵 : 5:30 : :
白馬尻 6:30 6:35 : :
葱平
(ねぶかっぴら)
8:10 8:20 : :
町営頂上山荘 9:15 9:20 : :
白馬山頂 9:45 10:10 : :
杓子岳山頂 11:40 11:45 : :
白馬鑓ガ岳 12:45 12:55 : :
白馬鑓温泉 14:25 14:50 : :
猿蔵 17:30 :
歩行時間 12:00

平田影郎

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前回の針の木岳縦走のようにかねてから温めていた山行の一つ。今年の自分の快調さと南アに挑むための準備としては、白馬岳登頂だけでは鍛錬としても趣向としても物足りなさを感じる。

そこで日本百高山の杓子岳と白馬鑓ガ岳を加えて、三山を縦走する計画を実施に移した。

そして白馬鑓温泉のお湯にも浸かるつもりで猿倉へ。

運よく下の駐車場に数台のスペースがあった。支度をしている登山者がかなりいるが、最盛期から見たら寂しい山行になりそうだ。

夕べは2時間ほどしか眠れていない。寝不足で頭はまだ眠っていて、ノロノロ・・・身支度に30分もかかってしまった。やっと出発できるころには多くの人がスタートした後だった。白馬鑓温泉への分岐を過ぎる。帰りはこの道を帰って来る事になる。

猿倉荘はまだ眠りの中にあった
鑓温泉登山道をやり過ごし、白馬尻に向かう

白馬尻で給水するつもりだったが前回はトイレの中で給水だったから、あまり釈然としなかった。途中の沢から美味しそうな水が流れ出していたので、空のペットボトル4本に水を満たし、2本にポカリの粉末を入れた。そんなあれこれ10分も停滞してしまう。

その他に今日はタリーズのコーヒーボトルもザックのポケットに入っている。いつも途中でコーヒーが飲みたくなるので、重くなるリスクを押してまで持つ。

白馬尻に到着すると・・・何か様子が変わっている。沢に雪渓がない・・・前回は7月だった事もあるが、小屋のすぐ上流からアイゼンを着けた記憶がある。

トイレを借りただけですぐに出発、かなり登ってから沢沿いに出た。前方に先行者が数人見えるが、みな山の斜面をへつっている。

私も踏み跡をたどって山の斜面を進んだ。すぐ下には雪渓が迫っているが、溶けて大きな口を開けていて落ちたら飲み込まれそうなシュルンドになっている。もろい山砂の斜面は一足毎にザザーッと崩れ、シュルンドの中へと消えて行った。

落ちたら助かる事はない、そんな緊張するへつりも100㍍程で終わる。

白馬尻、いつもの年なら右手の沢には雪渓があるのに
崩落寸前の大雪渓、危険で歩くことはできないので斜面をヘツル

大きなクレバスが横たわっていて、雪渓を歩く人々を見事にブロックしている。このクレバスを過ぎたあたりからやっと雪渓を歩くことに。前回針の木の雪渓では使うことができなかったアイゼン・・・懲りずに今日も持ってきたが、流石にここでは必要となった。

盛期にはベンガラに導かれてアリの行列のように続く登山者の列が、今日は前方に数人で後ろにも数人という寂しい状態。

巨大なクレバス、覗いても底が見えなかった
ベンガラに導かれる登山者も最盛期には想像ができないほど僅かだ

30分も登っただろうか?雪渓はあっという間に終わってしまった。前回は【葱平】まで登ってやっと大雪渓が終わり、そのあと再び小雪渓でアイゼンを着けたはずだ。今回は雪渓が終わってアイゼンを外してから、相当登って葱平に到着した。

葱平は【ねぶかっぴら】と読みますが、名前の由来は『このあたり一面にネギ科の【シロウマアサツキ】が沢山自生していた』らしい。

お花畑は時期が過ぎて流石にみすぼらしい感じがする。あの花園のような白馬からは想像すらできないが、目の当たりにすると白馬にすら【日本の四季】が現実に存在すると教えられる。シロウマタンポポだろうか・・・まだまだ花に勢いが残っている種もある。キンポウゲも群生を成している。

白馬岳のお花畑は時期を逃すと流石に寂しい
残された花々が懸命にアピール

避難小屋を過ぎると僅かで町営頂上宿舎が見えてくる。やはり眺望の効くロケーションの方が心も晴れ晴れしてくる。前回はガスで何も見えない辛い登りだった。見えていたら・・・こんなに素晴らしいロケーションの中を登ったはずで、沿道は花の海だった事だろう。次回はやはり花の7月に登ろうと決めた。

頂上宿舎はすでにクローズしていた。盛期には2.000人にも及ぶ登山者も、この時期は多くても100人がせいぜいか。そんな少ない人数を白馬山荘と競って奪い合う事は、両者にとって不毛の争いであろう。

頂上山荘の近く、唐松への分岐にザックを置いて軽身で山頂に向かった。この時点で数度はガスが頂上を包んでいた。しかし強い風が私に味方してガスを払ってくれていた。

山荘で【天狗山荘】と【温泉小屋】の営業を確認すると、どちらも営業しているとのこと。状況に応じて泊り先を選択できる・・・が、この時間に白馬山頂に立つ事が出来た私は、胸に秘めた新たな野望がムクムクと頭をもたげ始めていた。

町営頂上宿舎が見えると稜線までは僅か
巨大な雲上の要塞、白馬山荘

前回はこの方位盤を見ただけで満足したものだ。新田次郎著【強力伝】に出てくる方位盤がこれだ。むろん素晴らしいロケーションが展開していればなおさらだったろうが、天候に恵まれなかった以上は『この方位盤が全てだ』と無理に納得した気がする。

氏には山の著作が多いが私はすべて読んでいると思う。この作品も気に入っている作品だったから【方位盤】の意味は重い。

新田次郎の小説【強力伝】に登場する方位盤、前回はこれを見るために登った

方位盤越しにはあらゆる方向の峰々が望めた。剱や別山、遠くには槍ヶ岳まで望む。目の前には旭岳が寝ころんだような姿勢で聳えて

いる。この山も日本百高山の一つだったと下山してから知ったが、事前の調査を怠ったのが何とも残念である。

たとえ小屋泊りになったとしても登っておくべきであった。

方位盤の向こうに剱岳
切れ落ちた白馬山頂と遠く雲間に槍ケ岳

分岐に戻るともう一度、日帰りのためのコースタイムを設定してみた。温泉小屋に2時半に到着できたら、風呂に入ってから十分下山できる。新たな野望に向かってスタートした。確りエネルギー飲料などでスタミナを補給する。

この時、雪渓から前後して登っていた福井の若者が言葉を交わして杓子に向かっていった。そして先行する三人のご婦人を追うように私も杓子に向かう。婦人のお一人は昭和9年生まれだという。

稜線の最初のピークの頂上に福井がいた。ガスで周りが確認できずそこを杓子と思ったらしいが、私の歩行時間から言って違うという確信があり、私はそのピークはカットして先に進んだ。若者には『多分違うよ』と言うと後を追ってきた。

私が杓子の急登に挑んでいた時に追いついてきて・・・『お年の割には歩くスピードが速い』と言う。私はむっとして『そうですか』と納得しない返事をした。

彼はそれを謙遜と受け取ったようだが、私の気持ちは『お年の割には・・・』にえらく抵抗があったのだが、若い小僧にはそんな感情の機微が分かろうはずがない。

杓子へのコースタイムはきつい。特に頂上への寄り道は思わず放棄したくなるほどの急登だ。百高山を極めるためには、残念なことに放棄はできない。ゴーロ上の踏み跡をたどるとガラガラと踏んだ石が、一足毎に新たな安定を求めて動く。

踏ん張りの効かない登りに顎を出してしまう。登り切ってみると杓子頂上の反対斜面は、スパッと切れ落ちていてうっかりすると滑落しそうで怖い。

コースタイムはめちゃくちゃきつい杓子山頂に到着
スパッと切れている杓子の断崖絶壁

子憎たらしい若者は先行して白馬鑓を目指していき、このまま会うことはなかった。温泉小屋から猿倉に下ったはずだ。

さっきまでガスが巻く杓子だが下山にかかった途端にガスが全て吹き飛ばされて、御覧のようなロケーションがいきなり現れる。

福井からの若者、絶壁脇の尾根道を行く
白馬三山の盟主【白馬岳】は、ひときわ映えていた

白馬鑓へのコースタイム1時間もかなりきつい。途中に棚のように平場があり、10分ほど昼食タイムに・・・目が回りそうなほど腹が減っていた。それでも何とか1時間に纏めた。それもこれも白馬鑓温泉に浸かりたい一心で辛い登りに耐えたのだった。

例の昭和一桁のおばあさん・・・失礼、ご婦人も間を開けずに着いて来ていて、これには驚かされた。それにしても上には上がいると、今回も納得。

途中右手の谷に池があるが既に氷が張っていたのに驚かされる。やはりアルプス・・・秋は恐い。途中の斜面では紅葉が始まり、やはり確実に秋を告げている。

もう少しで山頂を間違えそうになり、寸前で気が付いた。右手のピークへ続く踏み跡があり山頂と勘違いしたが、下山者に教えられて事なきを得た。

後ろのご婦人組も唐松へは私が間違えた稜線を行くものと思ったらしく、分岐にザックを置いてきた。実際には分岐からの道と山頂からの道はすぐに合流する。

山頂は古い山頂標のみの少し憐れさを感じさせられる。若者のグループが二組いたが、先行して下って行った。私は確実に10分休憩をした。これからが温泉に浸かれるかどうかの別れ目となるから・・・この休養は重要であった。

白馬鑓への登りはもう秋になっていた
寂しい白馬鑓山頂

ガレた道をストックを駆使しながら懸命に下る。しかし一歩一歩の慎重さも忘れてはいない。2回ほどズルッと滑って転倒しそうになった。転倒していれば数十㍍滑落するが、バランスの良さは『お年の割には素晴らしいのが自慢』で事なきを得た。

鑓ガ岳から鑓温泉までは一気に800㍍を下る。人間の足で1時間半弱で800㍍を下れるものだろうかと不思議だが、実際に私が実証してしまった。途中のお花畑【大出原】で5分休憩。ここまでの時間で私は確実に温泉に浸かることができると確信していた。

鎖場では先行するルール知らずの夫婦のためにずいぶん待たされもしたが、2時20分に鑓温泉に到着した。300円払ってお風呂に行くとなんと女性の声。

出てきた奥さんに様子を聞くと『混浴状態になっている』という。しかし『私はこれから下山するから待っていられない』と言うと、この時間から下山する事に驚いたらしく、あれこれ質問されてしまった。『何時に猿倉を出た?』『どことどこに登った?』とか。

今日の行動とこれからの観測を話してあげたが、とうとう風呂から出て身仕度の間も質問攻め。

混浴状態のお風呂・・・結局、何てことない・・・入っていくとみんな水着着用で事なきを得たが、ふりチンのオジサン組は何とも滑稽で若者に言わせると『キモイ』存在かもしれない。でも・・・この湯は本来男湯で我々にこそ正当な権利がある。キモイなら女湯に入ればいいのだ。しかも時間帯で女性専用にもなっているのに・・・あえてこの時間に入るの? 

いずれにしろそんなことに構っていられず、私は20分ほどお湯を楽しんで下山にかかった。

誤解をされるのであえて言いたくはなかったが、本来のこの湯は【秘湯】として名をはせたはず。大自然の恵みを大自然の中で・・・言い方を変えれば細かい事を気にせずに大股を広げて・・・特別何かを隠したりする事なく堂々と浸かりたい・・・のが本音だった。

若い女の子たちはあたかもプールのようにカラフルなビキニの水着で風呂を占拠。

キモイと言われた男性陣はタオルで付いているものを隠して小さく縮こまっている。とても秘湯を味わったという感覚は持てない。

標高2,100メートルの秘湯
男湯なのか混浴なのかはっきりしてほしい雲上の露店風呂

標高2,100㍍に湧き出る自然の恵みは溢れるほどに豊富で、とても熱いらしい。下の写真は溢れて流れ下るお湯である。驚くほどの湧出量だ。

若干の硫黄臭いが小屋近くになって漂っていた。こんな乳白色の湯は私の大好きな湯・・・一人お年寄りのご婦人が湯あみ着で泳いでいる・・・ここまでされると何をか況や・・・呆れるしかない。

あふれるお湯は一気に流れ下る

下山路はしばらくの間沢沿いに進む。狭く山肌にへばり付いたような道をヘツルが、時折躓いたりするのが怖い。そのまま谷に消えそうである。それでもお湯に浸かった足は疲れるどころが筋肉の疲れを癒やしてくれたようで、再び元気に歩く状態になっていた。

大きな崩落のザレ場を横断する。ここは緊張感を持って横断した。また数か所、橋で沢を横断する。これは増水の時に注意が必要だ。

大雨の後の鑓温泉は自重した方が良いかもしれない。下の右の写真の雪渓の左に杣道が猿倉へと続いている。

特別に辛いと感じるアップダウンはなく、沢を横断するときの僅かな物だけに過ぎない。途中のチェックポイント【双子岩・日向山のコル】に向けて5分ほどの登りがあるが、ポイントから猿倉までは一方的に下ることになる。

岩にしがみつく雪渓の残骸、もうすぐ崩落
こんな雪渓脇の下山道を辿る

鑓温泉から途中のチェックポイント【双子岩・日向山のコル】までは、コースタイムで1時間50分となっていたが、10分の休憩を入れてなお1時間20分であった。

この事は確実に明るい内に下山できる事を示していて、精神的には大いに救われた。もう何も焦る事はない・・・ゆっくり下ろう。

肉体的にはかなり辛い山行だったが、自分の脚力で行程を確り予測できた事が歩き切れた要因である。チェックポイントから猿倉までも先ほどのタイムと同じで1時間50分が1時間20分で歩けた。当然余裕をもって明るい内に猿倉到着。

全てに予定通りこなした山行だったが、今現在の筋肉痛だけは予想と大きく違っている。どうして毎回筋肉痛に襲われるのか・・・不思議だ。

白馬尻への登山道と出会い、ホッとして膝の力を失う
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