はるばる来たぜ・・・大台ケ原(日出ケ岳)
平田影郎
朝一番の新幹線に乗るため駅まで妻に送ってもらうと、後はゆったりとシートに身体を預けるだけで自分の努力を必要としない。
車での遠征を最後の最後まで悩んだが『寄る年波を考えて』と相棒に言われて決心がついた。上越新幹線、東海道新幹線を乗り継ぎ京都に到着し、さらに初めて乗車する近鉄特急でで大和八木へ向かった。途中、車窓からの景色で当たり前のように飛び込んで来る三重の塔を、関東人は仲々理解できない。東夷(あずまえびす)は如何に歴史と無関係に生きているのかが解る。
予約していたレンタカーに乗ったのは11時半である。このルートが一番効率的であるのは相棒が教えてくれた。全く右も左も分からない関西では関西系の相棒が仏様に見えてくる。
とにかく闇雲にR169を目指し、R169からは“吉野”方面の看板だけが頼りだ。そして吉野からは一路、上北山へ向かったがそれにしても遠い。橿原を出る時はまっ青だった空模様も吉野を過ぎたあたりからおかしくなり始め、祈りもむなしく1時半に大台ケ原に着いた時には雨が落ちてきていた。道幅の狭い大台ケ原線に入ってから10台ぐらいの車とすれ違ったが、いきなり濃い霧の中から飛び出して来る状態であった。走りながらも不安は増してくるが、ところどころではヤシオツツジと思えるピンクの花が私を楽しませてくれた。
駐車場には中型のバスと10台ほどの車が止まっていたが、こんな遅い時間に出発する人はいない。登山口を確認してから雨具を着こんで出発した。
途中一組のパーティにあっただけで寂しい山行である。朽ち果てたトウヒを見ることもなく30分ほどで頂上だった。展望台に上って確認するが当然何も見える筈がない。説明板の写真を撮っただけで山頂を後にした。大蛇岩には向わない。折角の花の百名山、花の時季の晴れた日にきっと再訪しようと誓った。それまで大峰山系の眺望はお預けである。
明日に備えて風呂にでも浸かって身体を休めようと、予約した宿へ向った。予約の電話を入れた時から何とはなしに不安な気持ちを抱いていたが、その予感は全く正しかった。こんな時の私の勘はほぼ的中する。悪いケースの時ほど・・・。民宿の60がらみの女将さんは私の予約を全く忘れていたのである。忘れられた私の気分が・・・いい筈はない・・・が、やっぱり関西人。私の気持ちを逆なでするように、事も無げに振舞う。通された部屋は18畳ほど大部屋で、ふすまで仕切られただけの隣の部屋には工事関係者が泊まっているようだ。ゆっくり眠りたかったのにそんな期待は簡単に壊されてガッカリ。
食事前に風呂に入る。チケットをもらって出かけた薬師湯は入浴者が少なく、しかも掛流しの湯は綺麗で新鮮で十分満足である。
楽しみの大部分を占める食事も急遽魚屋さんに頼んで作ってもらったカツオの刺身と、養殖アマゴの飴炊きそして肉が極端に少ない肉ジャガの3品だけであった。工事の皆さんがまだ戻らず一人での食事だったため、関西系の女将が付きっ切りで相手をしてくれる。そばであれこれ言われると「美味しい美味しい」と言いながら食べざるを得ない私は、本当に気が弱くお人好しである・・・かな? それでも【人の良さ】が確り伝わってくる女将さんで、救われた気がする。
自分の失敗で相手にかけた迷惑も笑い飛ばしてしまう・・・と言うのは、関西独特の処世術と考えるべきで関東人はそんな事を気にしてはいけないのだろう。地域特性を理解すべきである。
唯一有意義だったのは行者環トンネルの東口からも、登山道が新たに作られたという情報をもらえたことである。これで天川村側が通行止めでも心配が要らなくなった。
夕食後、酔い覚ましに上北山のメインストリートを歩いてみた。と言っても数十軒の集落があるだけだ。平家の落人が祭ったらしい薬師堂を見に行ったり、役場で道路状況の確認をしたり・・・そして仲間に電話を入れたり。
魚屋さんが声をかけてくれた。いかにも人懐っこい関西人・・・のお爺ちゃんは何の用事で来たか・・・と聞いている。山登りできた・・・と答えると、天候の情報などを沢山教えてくれた。これが女将のときも言った【関西特有の人間味】なのである。本当に人間性の違いを実感した。
寒いだろうから・・・との親切心から電気アンカを入れてくれた。しかし何か変に暑苦しくて寝苦しい。3時に起きるつもりで8時に横になったが中々寝付かれず、2時まで確実に起きていた。30分ぐらい何とかウトウト出来たのかもしれない。