信濃路2【芦田宿~本山宿】
2007/02/12 (月)
【芦田宿~笠取峠~長久保宿】6キロ
立科役場に車をおいて出発。今年は本当におかしな気候が続き、とても2月の陽気とは思えない温かさ。気持ちよく歩く事ができる。
ロケーションも良くなってきて、都内やさいたま市を歩いている時とは心の弾み方も違ってくる。
歩き出してすぐに笠取峠の登りにかかった。松並木と石畳は歩く前から期待があったが、まさに期待通りで、時代を超えて歩いている感覚に大いに満足だ。
途中に東屋があり和の宮輿入れの解説看板があったが、ほとんど消えかかっていて読む事は不可能で。また水場があったが水は枯れていた。
松並木をさらに進んでいくと一里塚が、うっかりすると見落とすように建っていた。
峠頂上の別荘地をすぎ旧道に入っていく。車一台がやっとの通りを走る車はなかった。つい最近建てられたような標柱が中山道だと教えてくれている。田舎道を右手に神社を見ながら家並みの中に入 っていった。
古い建物もちらほら見る事ができる。雰囲気を作ろうとして建てられたと思われる資料館は、数十年経過すると味を出すかもしれない。
向かい側に建つ中山道に残る最古の本陣と言われる建物の写真を撮って再び歩き始めた。坂を下りきると左に折れて和田宿を目指す。このあたりに一部雰囲気を感 じる家並みが残っている。
【長久保宿~和田宿】8キロ
上田からの路を併せ橋で依田川を越える。この橋の下で15年以上昔、釣り仲間が尺2寸の岩魚を釣った事があった。
2月15日が解禁だから、雪が沢山残っていて手が悴む程の寒い日だった。今日はそれより真冬に近い日、もっと寒くていいはずが・・・この暖かさはやはり温暖化か?
今はバイパスができているが昔この辺りを釣り歩いていた時は、更に一本山よりの路を走っていた。今日は更に旧道を進む。途中に新しく作られた一里塚が唐突に出てきて・・・やはり趣には欠ける。
宿場の表示や中山道の解説板のところで休憩を入れた。もう今日のゴールは目の前。学校を過ぎて宿場内に入っていくと、右手に資料館(?)があったが閉まっていた。休館日のようだ。
そして本陣だがやっぱり閉まっていたが・・・休日だから? 昔来た時は休みでも開いていたような記憶がある。
だが記憶違いかも知れない。
本陣から立派な山門が見えたので行ってみると、由緒ありそうなお寺さんだった。
次回のために宿場の外れまで歩いておこうと考え、歩いて行くと脇本陣があり立派なトイレがあった。休憩所もある。
宿場の家並みが切れる場所まで歩いて今日の終了する。
2007/08/04(土)《自動車で走行》
【和田宿~和田峠~下諏訪宿】24キロ
初めていろいろ旅に変更したメリットを活用する事にして、峠道を車で行く。前回の最終地、脇本陣跡からスタートし、まず最初は江戸から50番目の一里塚。ここから峠の餅屋まで歩くとすれば、我々にはかなりきつい行程になる。
和田峠を目指して新しい道から別れ旧峠道の登りにかかる。
少し進むと本格的な峠道になるが今回の我々は車、残念だがこの山道を進む事はできない。私の足と妻の体調が治ったら、必ず歩いて登ろう。
東餅屋。ここは是非にも力餅を食べる事にした。注文すると何か変・・・見た訳ではないので想像だが、一度に沢山作って冷凍しているのではないか・・・思った。そうでないとそれ程には佩けそうに無い餅を、毎日少量ずつ作っている事になる。不可能だと思う、そんな事は・・・。とは言っても直ぐに開いて食べた餅は、美味しかったので満足。
ツアーの団体が餅屋に寄らずに下りて行った。旦那さん曰く『下見に来た旅行社の社員とケンカしたので、ウチには寄らないのだ』
サービスで餅を食べさせて・・・と要求されたのが原因とか・・・悪徳旅行社として良く聞く話だが、一方的な話なので、真実は分からない。
餅屋からは直ぐに峠の頂上。この後ビィーナスラインと数回交差しながら中山道は下諏訪に下って行き、車のコースもトンネルを抜けて諏訪側に下る。む何度か車を停めて峠の山道を写真に撮る。
幕末の風雲急を告げる時代に尊皇攘夷派の水戸浪士が、諏訪と松本両藩の藩士と戦い敗れて戦士・埋葬された塚を過ぎる。
途中の駐車スペースで持参した弁当で昼食。今日は下諏訪の後、高ボッチ高原で花を見る予定だったので、ゆっくりする事はできない。
新田次郎氏の著書にもある【万治の石仏】にも寄りたいのに、後ろ髪を引かれながら次回にした。
本陣を過ぎると秋宮に到着。駐車場が無いのでとある食堂に停めさせていただいた。参拝の後、お土産を求めさせてもらいましたので、これでお許しください。
当然、健康祈願と御朱印は欠かせない。春宮の地図ももらったので、これも次回に必ずゆっくり歩いて訪れたいと思う。
信濃路特別版(和田宿~下諏訪宿)歩きの記録
2008/11/01(土)
【下諏訪宿~塩尻宿】12キロ
下諏訪の町では今日イベントが開催されると聞いていたので、家を6時に出発し急いで8時に下諏訪駅に到着した。駅の駐車場を使おうと思ったのだが《15分以上の駐車はお断り》と書いてあり、しかも事務室の真ん前ではいかにも停めにくく、タクシーの運転手さんに聞いて役場に駐車した。ここなら気にせず駐車が出来る。用意した朝ごはんを食べ、トイレを借りて9時にスタート。
今日のイベントは【旨いもの市】なので、何とか時間内には戻ってきたい。しかしペースは上がらない。何せ二人とも数ヶ月ぶりの歩き。
中山道は国道に沿って進む。砥川の手前に道幅が一メートルもない場所があり、入っていくとそのお宅の奥さんが庭の畑に出ていたので、立ち止まって中山道の話しに花が咲く。
岡谷に入ってからずっと雰囲気が保たれている地区の歩き。生垣や板塀のお宅が多く、また蔵なども手入れが行き届いた状態で保存され、【自分達が中山道を守る】という気概が伝わって来た。今まで歩いた中で最高だったかも知れない。
守ろうとする形は違っても《海野宿や妻籠宿》と同じ臭いを感じた。
横河川を過ぎるとほぼ2キロの目安で、何と僅かここまでで1時間も経過していてこれにはビックリ。今日の先が思いやられる。
岡谷ICを見下ろす場所に着いた時には10時半だった。ここでバイパスと交叉するが、階段を下りると小さなパーキングがあり、トイレもあったので5分程トイレ休憩にする。
スタートすると石船観音から峠道になる。竜の口から注ぐ銀明水という湧き水があり、当然飲んでみたが美味しい水だった。
ここから上りがどれだけ続くのか理解していなかったので、慎重にゆっくり上っていく。二人ともそろそろ足が痛くなっていた。
私は足の付け根で妻は膝の後ろ。汗も大分かいていたので、休みながらお互いに上着を一枚脱ぐ。この間に同好の氏が何人か追い抜いて行った。声をかけた若い男性は【本山宿】までが今日の予定だそうだ。
車で塩尻峠に上っていく人も結構多く、狭い道に山仕事の人たちのトラックも入ってきた。その度に道を外れて車をよける状態になる。看板に【イノシシの罠を仕掛けてある】とあるので、積もった枯葉の中に足を踏み入れるのも恐る恐るだった。
僅かな時間の上りだが妻には大分辛いようで、妻が背負っていたザックを私が持って上る。
塩尻峠に到着する。車が結構入り込んで多くの人が展望台の付近にいた。私たちも展望台に上ってみた。11月とは思えない暖かな陽気・・・澄み渡った空にはありとあらゆる山が浮かんでいた。富士、八ヶ岳、甲斐駒、北岳、振り返ると御嶽、乗鞍・・・それはもう・・・感動もの。
5分ほど休んで再び出発。下りはさらに妻の膝にはダメージが強すぎた。塩尻峠への上りが短かった割には下りは何か延々と続く気がして・・・。
国道が見えてきても並行して下っていく。もう直ぐ国道と交差するだろうと考えた頃に思い当たったが、途中から高ボッチ高原に行く時に通っていた路になっていた。こんな道まで走った事があるとは、我ながら《よく遊び歩いているものだ》と感心する。
長野県に入ってからは何処の自治体も【中山道】と確り表示してくれている。安心して歩く事が出来、これには感謝です。
国道を地下道でくぐるようになっている。この先トイレが心配なので、思い出しながら考えてみた。たしか近くに【道の駅】があったはずだ。国道を少し塩尻の方に向かってみると、看板が出ていて道の駅は2キロも先だった。少し困る。
でも運良く宗教法人の施設があったので、敷地に入って行っておじいさんに頼む。気持ちよく使わせてくれた。ものすごく大きい施設で信者も相当数いると想像できた。霊験あらたかな宗教のようです。
安心して地下道に戻って国道を越える。すると数百メートルで高速道路の上を越える事に・・・良く見るとみどり湖PAで、コースから外れてトイレを探さなくてもここでトイレを使う事が出来た。
ここは高速バスを利用する人の駐車場があり、何かの時には使えそうだから覚えておこう。ここの道端でお昼にした。
今日はほとんど出発前にコンビニで用意したものだから、何となく味気ないものがあるが贅沢は言わない。
スタートは1時近くになっていた。塩尻の街を見下ろす形で歩く。ここも家並みは見るべきものがある。どのお宅も屋号を掲げていて、蔵には独特の家紋のようなものも記されている。また屋根の上には変わったモニュメントも乗っている。
生垣や板塀などこだわりが感じられて・・・好きですね、こういうの。
ちょうど中学生がクラブ活動を終了し下校する時間だったが、出合った女子中学生の全員が『こんにちは』と挨拶してくれた。これも感心です。何をするにも町ぐるみで取り組んでいる感じがする。いい町です。
30分もしないうちに【ここより西 塩尻宿】の石碑に到着し、さらに5分も歩くと本陣だった。周りを確認したのだが次回に使えそうな駐車場を見つける事は出来なかった。
1時台の電車に乗れば【旨いもの市】に間に合ったのだろうが、それは無理だった。みどり湖駅を2時21分という電車に乗る事にして、駅に向かう。道が分からず畑で作業していたおばさんに聞きながら駅まで20分程で到着する。
駅の脇には利用者用の駐車場があったので、次回はここからスタートになる。
ホームにある待合室で座って電車を待った。時間通りにやって来た電車に乗り下諏訪着は2時30分。急いで旨い物市に行ったがほんんどのブースは閉まっていて、数軒のブースが僅かな残り物を販売していた。
規模としてはわざわざ来る程ではないと感じた。役場の駐車場まで15分ほどで戻った。
2008/11/22(土)
【塩尻宿~洗馬宿】7キロ
駐車場を探しながら街の中をうろうろしているとヨーカドーがあった。停めようとしたのだが、高層の駐車場だったので何となく停めにくくてやめた。そして市役所の駐車場を借りる。
隣にはレザンホールという施設があったのでトイレを借り、さらに掃除をしていたおばさんと事務の職員さんに平出への道も聞く。
今日からは飛び道具を使って一気に距離を稼ごうと言う作戦に出た。【JRのみどり湖】駅に戻るためには僅か一駅のために塩尻で乗換えが必要で非常に効率が悪くなる。そのためとりあえず【洗馬駅】までを自転車で素早く終了し、車を移動させて洗馬駅に駐車し自転車で本山・贄川・奈良井と距離を稼ぎ、時間を見計らって最寄駅から洗馬駅に電車で戻る作戦だ。
中山道を歩いて踏破しようとする方には理解されがたいかも 知れませんが、私達は私達のスタンスで楽しめばいいと思っています。さまざまなアイテムを駆使して楽しむ事にしています。むしろ体力的に自信がなく躊躇している方など、私たちのように気軽に挑戦してほしいと思いますし、その道しるべに成ることが出来ればいいと思っています。
平出一里塚 収納状態
本陣からは中心街の手前で左に進むようになる。ガードをくぐると小さなY字路だが、案内が無く迷う。しかし事前に地図を見ていて【昭和電工の工場】が記憶の中にあったので、工場の塀に沿って進む。ガソリンスタンドで確認すると、私達が選んだ右が正解だった。長野に入ってからは案内板が確りしていて、滅多に迷う事は無かったのに・・・。
そこから僅かで平出一里塚があり、その先に遺跡公園の広い駐車場があった。早速車を移動させるため飛び道具を駆使して市役所に向かう。そして車に戻ると自転車は折り畳んで車に収納し、すぐに平出に向かう。
平出に戻ると12時に近くなっていたので、持参の弁当で昼食にする。コーヒーを飲んで・・・準備は万全、暑くも寒くも無い本当に街道歩きにピッタシの陽気。
畑の中を歩き始めると真っ白く雪をかぶった峰が見える。おそらく北アの一番端っこの乗鞍ではないだろううか? 先程下りが行ったばかりなのに、上りの特急列車が走り去る。意外に列車の本数が多い中央本線の踏切をを越え、19号に合流した。少し進むと道端に・・・いかにも唐突に【日本最北端の銅鐸】のモニュメントがある。どうして道端なのか?
さらに進み信号で洗馬駅を目指し国道から右に分かれる。このあたりは洗馬宿の家並みを見るため、既に何度も訪れている。
肘掛の松の石碑を見ると、ここから右に折れる細い脇道が中山道のようだ。ほんの僅かで善光寺道の分かされの常夜灯が建っている。この常夜灯も何度目かの対面だ。
家並みを左に折れて洗馬駅に着く。私は再び駅に妻を残して、自転車を飛ばし先ほど車を置いた平出公園に向かう。そして自転車を収納すると、10分ほどで洗馬駅に戻りついた。駅が小さい割に車を停める事が出来るスペースは、広く確保されていた。
【洗馬宿~本山宿】3.5キロ
洗馬駅は無人駅のようでお断りする事が出来ず勝手に駐車したが、列車を利用して戻るので勘弁してもらえるでしょう。
いよいよ・・・いろいろ旅の特権を有効に活用し、行ける所まで行くだけ。そして列車のダイヤにあわせて時間を調整し、ここまで戻ってくるだけだ。
洗馬宿にも古い造りの建物が少しだけ残っている。本陣跡は白い標柱に記されているだけだった。
高札場跡を過ぎ坂を下って、ガードをくぐると牧野一里塚。早速この上りは手を焼きますが私の足にはまだまだ元気があり、妻の自転車は電動アシスト付なので難なくクリアする。
1㌔以上旧道を進んで再び国道の下をくぐってから、戻るように国道と出会う。国道を進み1㌔ほどで右折し、旧道に入る。
直ぐに本山宿の標柱が建っている。この表示も何度も写真に写していた。本山宿の家並みは洗馬宿よりも雰囲気がある。
屋号の表示など街並み全体として保存に取り組んでいる事が覗えて、好きな宿場の一つとして記録している。 私が写真を撮っている間に妻は数百メートル進む。
《いよいよ木曽路に入ります》