輪島の朝市【石川・輪島】
七尾から先は初めて踏む地である。記憶にある能登半島は本当に遠い地で、とにかく走り続けた事だけが思い出だ。
前回は娘と一緒の旅。輪島経由で金沢が目的だったが、あまりの遠さにショートカットして輪島を訪れていなかった。
開湯1,200年と言われる和倉温泉。思いでの和倉大橋を訪ねようと思ったが、輪島朝市は12時まで・・・それに間に合いたい。温泉街を走ってみたが見つからず、諦めて輪島に向かう。
無料の自動車専用道が出来ていて、空港経由で2時間ほどで輪島に到着。
道の駅に車を停めて早速朝市に向かうが、11時を回ったころにはほとんどのお店が撤収中で寂しい。一旦車に戻ってお昼を食べ、今度は街並みを見物しようと出かけてみた。
古い街並みが残されていて、楽しめる景観だ。
観光客への心遣いが感じられる。多くのお宅に貸し笠が置いてあって、旅人は自由に使っても構わないようだ。
輪島塗会館ものぞいてみるが、とても高価なモノばかりで我が家の手に負えない。
翌朝のパンを買って帰る。全国どこへ行ってもパン屋は確認しないと・・・夫婦の共通の趣味だ。
輪島の朝市は文献によると平安時代からとある。1.000年以上の歴史と言うことになる。
室町時代は毎月4と9の日に開かれ、明治時代になって毎日開かれるようになった。
朝市通り360㍍に200軒以上が出店する。本来は地元の方々の市だったが、近年になってスーパーマーケットなどの進出によって対象を観光客中心へと移行した。
信用・信頼が最も大切な商いを健全に維持するため、朝市組合を立ち上げて検討を重ね規則等を整備してきた。出店者の登録制なども組合の功績である。
これによって県外からの観光客などの信頼が増した。
安心して買い物ができるが、中には昔ながらの売ってしまえば・・・というお店もゼロではないと感じた。
道の駅は観光案内所の機能もあり、外国人用に外人の相談員も配置されていた。
建屋はかつてのJR(国鉄)輪島駅をそのまま利用していて、トイレを手直しした感じ。
駅舎時代の施設や機器が残されている。
鉄道が廃止された後のこの地域の主要交通手段は、バスがメインになっているようで、この道の駅がバスターミナルに変貌している。
おそらく金沢や近隣の市などに通う学生・OLなどがここまで車で来て、ここからバスを利用している姿が多く見られた。夜9時ごろになるとクラブ活動等で遅くなった子弟を迎える車が多くやってくる。
地元の方々の邪魔にならないように、隅の方で泊まる。
街を歩いていて気が付くのですが、【キリコ】という看板と灯篭が目につきます。キリコと言えば江戸切子とか薩摩切子のガラス細工を思い起こしますが・・・ここでは違います。
奉燈(ほうとう)と呼ばれる高さ数メートルから十数㍍の燈籠なのです。
能登では最も重要な祭りで、関東で言う御神輿のような存在でしょう。病魔退散を願って始まったようです。
郷土を離れた人々が盆や正月にも故郷に戻らないのに、キリコの時は戻ってくると言われています。
町内毎に大切に伝承されてきました。
前日「明日の朝買います」と約束していたお店に行くと、干物がメインで鮮魚がない。訳を話すと鮮魚を扱う方を教えてくれた。結局みんな仲間で・・・協力してこの市をまもっている。
その教えていただいたお店の奥さん、何ともこれまた親切な方で食べ方などを丁寧に教えてくれた。
買った魚は捌いてくれて、こぶ締めにして送ってくれた。そのこぶのうまみが届くころには魚にしみ込んで・・・美味。妻の親友にもあげたが、大いに喜んでくれた。
まとう鯛・トビウオ・するめいか・・・安い魚ばかりだったが、新鮮な事もあって全てが美味しかった。
後で気が付いたが…魚を送った事が失敗だった。家に戻らなくてはいけない事になってしまった。
もともと妻の腰痛が始まっていたので、帰らざるを得なかったのだが。