近江商人の心意気を残す五個荘金堂の街並み 【滋賀・東近江】
現在の東近江市五箇荘地区は近江商人発祥の地として知られる。そもそも農村だった五箇荘町は農業だけでは生活が苦しく、江戸中期から行商に出かける農民が多く現れた。
日本各地はもちろん朝鮮半島や大陸奥地に進出し、豪商へと発展していった。
商人として成功したのちも郷里を愛し、郷里を離れることなく本宅をここにおいて五箇荘を守り続けた商人たちは社寺へ の寄進や、公共のための資金を進んで提供し続けた。
この地区はお店がなく、本宅だけが置かれた影響で現在の景観が残った。
1998年に国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されたが、そもそも農村から発展したことから面白いことに伝建地区指定された種別が「農村集落」となっている。
農村集落とは程遠い、白壁と船板塀が特徴的だ。
近江は文字通り水に恵まれた国で、水路の水を引き込み生活用水に使用していた。
現在保存されている街並みも水路が配されて水の都を感じさせる。
歴史ドラマで悪代官が「近江屋! おぬしも悪よの!」と出てきますが、近江商人は決して悪ではなかったと記録に残っています。
金堂という地名は聖徳太子がこの地区に金堂を建立したと伝承されたことに由来する。
ちなみに中山道を歩くと武佐宿が一番近い。江戸期の助郷制度は武佐宿に出ていた。
屋敷内を開放してくれていたが、時間がなくて街並みだけの見学となった。