走った、転んだ、間に合った・・・(北岳)・間ノ岳
平田影郎
夕べは何度か目が覚めたもののお陰で21時ごろから朝まで熟睡できた。“お陰”とは小屋の宿泊受付のお兄ちゃんである。
10人部屋に10人だから山小屋としては楽勝ではあったが「イビキがうるさいので同室の人に申し訳ない」と言うと、『向かい側の部屋“塩見”に、今日は誰も入れないから寝るときに行っていいよ』と言ってくれた。これはありがたかった。前日も興奮状態でほとんど眠れず、今日もイビキに気を使って眠れないのでは確実にダウンしていた。23時、1時、2時と早立ちの人が大きな音をさせるので、一瞬ずつ眠りを覚まされたのに6時間は眠る事が出来た。靴擦れは痛いものの疲れは完全に癒されていた。
3時過ぎに目を覚まし静かにロビーに下りていくと、カメラマンの方が『今日は今シーズン最初で最後の天候、二度とないだろう!』と言う。教えていただいて空き部屋の窓から外を見ると眼下には甲府の灯りが瞬き、正面には黒富士がくっきりと浮かんでいた。
浜松のご夫婦は朝食を弁当にして早立ちして行った。見送った後、5時から私達も食事になった。夕食と同じような煮魚がメインで、あまり食が進まない私は珍しく1膳だけで箸を置いた。予定より30分早い5時30分に出発する事ができたが、既に太陽は東の空にあった。小屋を出て直ぐアオノツガザクラが群生し・・・今日も花と付き合う事になりそうだ。
中白峰へは僅かであった。20分・・いや、もっと短かったかもしれない。ここで『4時前に農鳥小屋を出てきた』と言う因縁の若者に出会った。今日はこのパイレーツ・オブ・カリビアン風兄ちゃんとほとんど行動を共にする事になろうとは、この時想像さえしていなかった。ホリが深いイケメンに赤いバンダナの兄ちゃんは、夕べの雷にテントの中で震えていたと言う。この後何度も出会うとも知らず、挨拶を交わして別れた。
相変わらず眺望は何処までも利いていた。間ノ岳に近づくと二人連れが歩いている。よく見ると浜松のご夫婦だ。追いつかれた2人はびっくりしていた。なぜなら1時間前に出発したのだから・・・。驚いて私も時間を確認すると間ノ岳まで1時間10分で到着していた。
山頂からはありとあらゆる山が見える。北岳の後には蓼科山から赤岳までの八ケ岳が、南に目を転じれば農鳥・荒川三山・蝙蝠や塩見、当然富士に甲斐駒・仙丈。驚いたのは赤城や日光連山までが見えている。一昨年の磐梯山がそうであった。こんな事は数年に一度だ。北海道の相棒はどうしているだろうと・・・フッと頭を過ぎった。“俺はやったゾー”
山荘に戻ると預けてあった荷物をパッキングしなおし、昨日と違って展望のある北岳を目指し出発した。花の登山道ではまたぞろ写真を撮るのに時間がかかってしまう。
八本歯からの道を合わせるとトラバース道を来たと思われる方が一人、先に岩場の登りにかかっている。よく見ると“赤いバンダナ”が目立っている。例のカリビアン兄ちゃんである。北岳山頂に到着するまでに10分ほど差をつけられたかもしれない。二言、三言言葉を交わした。兄ちゃんが去った後、昨日の分までシャッターを切った。
先に出たカリビアンからそれ程後れずに肩の小屋に着いた。奈良田に車を置いているので広河原からバスで戻るが時間が分からないと言うので時刻表を見てあげた。12時の次は16時であった。急げば間に合いそうだが間に合わなかった時に暇なので諦めたと言う。一方、私の方の芦安行きは13時20分だ。『貴方の足なら間に合う』とカリビアン兄ちゃん。この時私は靴擦れの足の事もあり、ハナッから諦めていた。そして小屋の方に教えていただいてキタダケソウの写真を撮ってから出発した。小太郎尾根を半分ほど下ると、カリビアンは分岐の辺りにいた。到着すると『先に行く』と言う兄ちゃんを見送って私はここで昼食とした。
腹が満たされて元気が出ると、どうも16時までバスを待つのが億劫になってきた。“一丁やってみるか”そんないつもの悪い虫が頭をもたげた。そうと決まると一刻の猶予もない。快速を飛ばして下り始めた。しかし悪いことに急ぎだすと靴擦れの傷が痛む。おまけに今日から夏登山本番で後を切らずに続く登山者の列。登り優先のルールをジリジリしながら義理堅く守り通しての下りが続く。
二俣が12時前なら間に合う可能性がある。二俣に着いてみるとリミットより10分余裕があったので、靴を脱いで最後のテープ絆を傷口に貼り付けた。これで5分を使ってしまった。しかし自分なりの計算はあった。ギリギリで到着できたとしても、傷が痛くて急げずに“置いてけぼり”はもっと悔しい。時間がもったいないがきっちり治療しよう・・・と。
相変わらず登りの登山者が続く。イライラ。さらに今日から新しい登山道を迂回させられた。これが切り開いたばかりで滑る滑る。
バランスを崩し何度が転倒していたが、沢を横切るところでの転倒で岩に膝を打ってしまった。“とうとう諦めるか!”とゆっくり歩み始めた。残り時間は刻々となくなっていくのに、残りの距離はどれほどなのか判断がつかない。残り20分になって高校生の集団が登って来た。広河原までの時間を聞くと30分ほどという。これを聞いて再び闘志に火がついた。走れば20分で可能かも知れないと思ったからだ。もう心配が要らないきちんと整備された道を、スピードを上げて驀進する。この時私は鬼の形相になっていたかもしれない。10分ほど走ると御池小屋への分岐が現れ、さらに走ると広河原山荘の屋根が飛び込んできた。時計に目をやると13時20分であった。「やったー、間に合った」とますます気力が漲って来る。山荘前のベンチではカリビアン兄ちゃんが飲み物を飲んでいたが、いきなり森の中から現れた私を確認すると『間に合ったじゃないですか』と声をかけてくれた。時間を見ながら気にかけてくれていたようだ。後5分なので挨拶もそこそこに分かれざるを得ず、橋を確りした足取りで渡った私はバス停にたどり着いた。
歩いた、歩いた、本当によく歩けた。そして沢山花を見た。小屋も空いていた。眺望も得られた。山に向う全ての目的が満たされた山行であった。
自分へのご褒美に先生がお奨め 芦安の六科交差点近くにあるトンカツの【金成苑】味は良かった、確かに。しかしお店は本当にマニアックで先生ならではのお店と実感した。まずいわけではないので・・・まあ、いいか。