木曽路2【福島宿~野尻宿】
2009/11/15(日)
【福島宿~上松宿】10キロ
もう少し気候のいい時期に歩きたかったが、中々忙しくて4月に歩いて以降半年以上も期間があいてしまった。弁当を作って6時半に家を出て途中で食事をしたり休憩をしていると、木曽福島駅到着は10時を過ぎていた。
役場に車を停めようと思って行ってみると町会議員選挙の期日前投票(?)で、多くの人が出入りしていたので停めるのを止めた。駅の脇にある町営Pに料金を払って停めた。2時半までの料金を払うと窓口のおばさんが飴を『持っていけ』と沢山持たせてくれる。女房の低血糖が起きた場合には重宝するのでポケットに入れて出発。もう10時半をまわっていた。
駅から役場方向に向い弧線橋で線路を越えた時に、ひょっとして間違い・・・と思って戻って確認したが、結局判らないままR19号に向ってしまった。本当は弧線橋のところで狭い路地を役場の方に向うのが正解だった。合流するまでそのまま国道を歩いて行く事にする。畑の中を行くと木々の葉は既に茶色に枯れていて、冬はすぐ近くまで来ている。お日様は顔を出しているのに風が冷たく歩きには辛い日だ。
陸橋のところで国道脇の歩道が止められていて、国道から下の道に降りる。すると妻が右手下方にある道を見つけ『向こうじゃないの?』と。間違えていると解っていたが、合流間近では向ってもあまり意味が無い。
陸橋下を過ぎて再び国道に戻ると、中央線が開通した当時のトンネルを通る事になる。電灯が点いていたが暗くて嫌な雰囲気で、R19をそのまま進む。
国道から右手に橋が見え、その奥の方にはダムらしきものが見えた。よく見ると二層の橋で下が水管橋で上が道路になっている。
元橋を過ぎてすぐに左手の道に折れる。消防署があるので間違う事はない。神戸(ごうど)集落を抜け大きな鳥居の遥拝所も過ぎて、そのまま進むとガードをくぐって再びR19にでる。
国道に出たと思った途端に再び左手の坂道に入る。小さな集落板敷野を進むと線路脇の草道にる。こんな雰囲気だけだったら中山道がもっと楽しくなると思う。すぐに【沓掛の観音堂】の脇を通り過ぎ、坂を下るとR19に合流する。この合流地点に観音堂の説明看板と一里塚の碑があり、京都から来た方には解りやすい目印になる。
歩道のない部分があり道路の横断を繰り返して進む。赤い橋は【木曽の桟(かけはし)】の目印になる。桟とは川を渡るための物ではない。ご承知通り川を渡るのは【橋】だ。崖に沿って川の上を歩く形に敷設されたものが【かけはし】だ。写真で解ると思うがその当時に護岸のために積まれた石組みが見えている。現在は桟は残っていないが、石組みの上をR19が走っている。
一説では当時の村人達が総出で桟を架け、旅人から通行料を取っていたらしい。
桟としては三国志に登場する蜀の諸葛亮孔明が、現在の成都に入るために作ったものがよく知られている。対岸に渡って写真を写す。
ここには正岡子規の句碑もあり、駐車スペースが数台分あった。また木曽には珍しい温泉宿【桟温泉】もある。
丁度半分ほど進んで・・・ここでコーヒータイムとする。
写真には人一人が歩ける程度のスペースが車道脇に写っているが、実際にはこのスペースすら無い場所も多くトラックが身体をかすめるように走り去って行く。ほとんど恐怖の中を歩く。ひどいところはガードレールでしっかり逃げ道も塞がれ、無事に帰る事ができたのは【偶然】の産物かもしれない。後述するガイドでもR19を避けて、対岸の道を歩くよう進めている。
R19が中央線のガードをくぐると、バイパスと旧道の分岐が見えてきて思わずホッとできた瞬間だった。
分岐から10分程で【上松宿入り口】の標柱が出迎えてくれる。この辺りは上町と呼ばれる地区で古い街並みがしっかり残されていて、屋号の札を下げているお宅が多く見受けられる。
表通りに出会う間近に枡形があり、そこに一里塚が残されていた。本陣跡もあったようだが、うっかり見過ごして通り過ぎる。
表通りを駅に向うと、数百メートルで駅入り口だ。妻は桟の辺りから膝の不調を訴えていたので、今日は上松駅までとした。街並みとしてもう少し期待もあったが、下町と呼ばれる付近は古いものではなかった。
駅通りで本日始めてのナカラー(中山道を歩く人・・・私の造語)のご夫婦と出会う。
駅のトイレを使ってから切符売り場に行くと1時少し前の電車は出たばかりで、このあと3時半まで電車は無かった。あと15分ほど早ければ間に合ったのに・・・。
駅員さんにバスの事を聞いたら、観光案内所で聞いてくれと言われる。ライバルの事は教えたくないようだ。現在建替中で仮舎で営業しているが、それも11月23日をもって閉じるそうだ。上松町の案内所は毎年この時期から4月まで閉鎖するそうで、やっぱり観光客が激減するからだろうか?
案内所にはアラフォーのお姉さんがいたが、この方・・・非常に親切で本当にお世話になりました。1時半のバスが来るまでの僅か15分ほどだっが話し相手になってくれて、様々な情報が沢山いただけた。その一つが下のガイド。おそらく町の職員の方と思う。
たまたま交代で勤務していたのだろうが、こんな対応していただけたので【上松のイメージ】は大いに上がりました。町長さん・・・ほめてあげて下さい。
どなたかが実際に歩いて作成したものなので、実にリアルでシンプルで・・・解りやすいもの。しかも無料でいただけるので、木曽十一宿のどこかで、あるいは関連町村の役場に問い合わせてください。
1時半にバスに乗り、上松駅から福島駅までは30分もかからずに到着する。料金は一人400円。駐車場に戻ってザックに入れてあった弁当を取り出し、車の中で食べる事にした。本当は上松駅で時間調整しながら食べようと思ったのだが、結局バスがすぐ来てしまったので食べる事ができなかった。今日はバス路線のお陰で、全く時間が無駄にならずに済んだ。
2009/12/06(日)
【上松宿~須原宿】13キロ
前回の終わりに調べておいたので駐車場はすぐ分かった。とりあえず駅のトイレを借りに行くと商工会の若い人たちが、駅前通にイルミネーションを飾り付けていた。駅のロータリーのモミの木にはクレーン車まで出動しての大掛かりなもの。もうクリスマスを連想させる時季なのに、私達はまだ中山道に挑んでいる。
駅から通りを二つ横断し正面を真っ直ぐに上がって行くと、この【寝覚めの床への看板】にぶつかる。道はカーブしているが、看板にしたがって進んでいく。
白いガードレールに沿って坂道を進んで行くと、左手に小学校の建物が見えてくる。私はここで既に息も絶え絶えの状態だった。写真を撮るのを口実に休みを取りる。今日は最後までこんな休憩ばかりだった。
寛文三年の検見で、伐られ尽くした山に驚いた尾張藩は、山村代官から一切の業務を取り上げ上松に直轄の材木役所を作った。大砲まで備えていたそうだ。
坂を下って行き通りに突き当たる感じで左の橋を渡る。そして今度は上りながらR19を陸橋で越えて行く。ここで再びダラダラ登る事になり、快調な妻に大きくリードされる。
かなり知られたポイントで、特に街並みフリークには絶対欠かす事のできない撮影ポイントなのだ。私は勝手に【たせやの辻】と命名している。ポスト側がたせや、手前側が中山道当時からの蕎麦屋越前屋だ。
この二軒の間の路地を入って行くと寝覚の床に向うが、今日は行かなかった。桂の大木を過ぎ郵便局の前を左に進む。
左手には中学校があり、そのフェンスから中央アルプスがキラキラと輝いていた。しかし・・・寒そうだ。車道が終わり古い石畳の坂を下る。こんな道が残されていて・・・ほっとする。がっ、滑って危ないので慎重に下る。
老人ホームの前を通りガードをくぐってR19に戻る。そして中央線に沿って進んでいくと小さな川がある。中央線は小さな鉄橋でこの川を越すが、この鉄橋の下から覗くように見上げるのが【小野の滝】だ。落差は10㍍ぐらいはありそうだ。小さいながらも滝らしい滝だ。
さらにR19を進み荻原の一里塚から左に入ると、雰囲気が残された荻原の集落がある。
集落に美味しい水が湧いていると聞いていたので、探しながら集落を通って行く。集落の終わりごろにしっかり看板が立てられていて、水場はすぐ分かった。すこから僅か10㍍ほどのところにコンコンと湧き出していた。早速飲んでみると美味しい水で、ペットボトルのお茶を捨てて、この水に入れ替えてしまう。
串の下のバス停を過ぎたあたりから【木曽古道】の看板も現れ始める。間違ってこれに導かれてしまうと、ずっと山奥まで入り込んでしまう。絶対にこの看板に導かれて進まないこと。ガードをくぐってからの登りは、ダラダラと長く辛いものがある。
宮戸の集落も数軒だが古い建物が残っている。ワンちゃんが右手の木立の中に繋がれていた。集落を通り過ぎた後もこんな雰囲気抜群の草道を進む。くるみ坂を下ると再びR19だ。
中山道と木曽古道の看板に混乱しながら立町の信号を右に折れ、その昔に立場があった古い街並みに入っていく。立町もいい街並みなので、街道歩きでない方も是非寄って見て。
木曽川にかかるつり橋でハイカーが写真を撮っていた。同行の子供達は『揺れる、揺れる』と、嬌声を上げてはしゃいでいた。
国道に戻り倉本駅を過ぎた所でガードをくぐり(ほとんどホームの下という感じ)、倉本集落への坂道を登る。スイッチバックのように進む。倉本の集落は宮戸集落より大きな規模で、残されている建物も10軒ほどあった。
栃の木坂をくだり左手に常夜灯を見て、素晴らしく雰囲気のある草道が続く。中央本線のガードをくぐってR19に戻る。
R19を進むと右側に数台分の駐車スペースがあるが、その中の植え込みに隠れるように【倉本一里塚】があった。左側のうどん屋さんの手前の信号で、右側に横断し【池の尻集落】に入っていく。
池の尻集落を抜けると道はとんでもなく細くなり、まるで畦道のようになる。さらに進むと食堂がある。営業していたらとても申し訳なくて通る事が出来ないような裏側を見る。
寂れた食堂の歩道脇には、ススキに隠れるように中山道の表示がある。京都から来た場合、この表示を見つけたとしてもお店の裏に回るとは気付かないはずだ。
しばらくR19を進み【のぞきど高原】の看板から再び旧道に入る。国道に戻る手前にある廃屋は、京都から来た場合の目印になりそうだ。
【糸瀬山登山道】の看板を過ぎると、中山道は左手の草道を進む。しっかりした道で、その上国道を見下ろしながら進む事が出来る気分のいい道だ。
R19に戻り須原駅への入り口を過ぎて50㍍進むと、左手に細い路地がありそこを入っていく。木の塀がまるで武家屋敷と思われるようなお宅の前を通り、石の階段を登ると宿場の通りに出る。
飛び出した目の前に水舟が置かれていて、宿場のあちこちにも置かれていた。この水舟の謂れは調べていないので分からない。
【須原宿~野尻宿】7キロ
ちょうど正午で定勝寺の前の水舟で昼食とした。ひじきの炊き込みご飯だけでおかずは無く、寂しい食事ですが十分美味しく食べらる。
さらには今日はデザートにバナナがあるからカロリーも十分。この場所を食事に選んだのは、食事のあとのトイレをお寺さんで借りられると考えたから。しかし行ってみると石段の右側にトイレがあったが、鍵締めで使う事が出来なかった。御仏は旅人に優しくありませんでした。御仏の心は広いはずなのですが・・・。
長坂の集落を抜け橋場集落の郵便ポストから左手に折れ、岩出観音を見に行く。看板も出ているので入り口はすぐ分かる。【木曽の清水寺】と言われており・・・なるほど舞台のようだが、飛び降りたくはない。
伊奈川橋を渡り進んでいくと集落が現れ、黒い屋根のお宅から左に折れて天長院の方角を目指す。ダラダラと長い登りだ。
小さな峠を越えて下り始めると、天長院を俯瞰する事が出来る。大きな屋根の立派なお寺だ。道の左手には集落が点在し、右手には山から湧き出す水を利用している水場が沢山あった。飲んでみたかったがそれぞれのお宅で管理しているようなので、断りも無く利用するのは止めた。
坂を下り集落を抜けていくと大桑駅の前に出る。お寺さんで使えなかったので、ここでトイレを借りる。JRは御仏と違って御心が広いようで、自由に使わせてくれる。通ってきた街道沿いより、駅の手前で合流する旧道の方が宿場の雰囲気があった。
R19に戻り【道の駅大桑】を左手に見て進む。再び【のぞきど高原】の看板から右に折れて踏み切りを超える。
振り返ると中央アルプスの峰がキラキラと輝いていた。心が洗われるようで疲れも一気に吹き飛ぶ。
踏み切りを超えて街並みに入っていく。とうとう野原宿だ。赤いレンガの建築会社の社屋が目印で、ここを左折してすぐに右に折れると高札場跡がある。ここから古い街並みが続いていく。
野原宿は【七曲り】と言われており、外敵を防ぐためにわざと街道をまげて作った。本陣跡は新興宗教の看板が掲げられていたので、右半分だけを写す。
【はずれ】という屋号のお宅で今日は終わりにした。現在はまだ家並みが続くが、当時はここが『街はずれ』だったようだ。
あと一区間行きたい気分でもあった。ここで2時だったが上松に戻る電車は3時過ぎ。1時間以上の余裕があるので迷いどころだ。
結局、ゆっくりしようという事になり、駅舎でコーヒーを飲んだりしながら時間を潰す。
上松に戻ると朝総出でやっていた並木へのイルミネーションも完成に近づき、ロータリーのモミの木への飾りつけは最終段階だった。近かったら見に行っていたと思う。写真は町営の駐車場だが、もの凄く安くてビックリ。2時間までが50円、その後1時間増すごとに20円追加される。町民のための施設だから当然といえば当然だが、私の住む市ではそんな配慮は微塵も感じられない。やっぱ・・・信州はいいな~。年内にあと一回来たいものだ。そうすれば妻籠まで終了して、美濃路に突入できるのだが・・・。
《結局、挑戦できずに09年は暮れてしまいました》