岐阜・美濃加茂 太田宿
太田の渡しを控えて栄えた町である。当時は中山道の三大難所と言われた太田の渡し場は、川止めの度に大勢の旅人が足止めされたのだろう。旅人がこの地に落とした路銀は膨大なものだったに違いない。
かつては恵那から鵜沼までを統括した行政と文化の中心で、重要な地点であったらしく尾張藩の代官所が置かれていた。
昔のままに街道が残されており、それに沿って街並みが静かに佇んでいる。
脇本陣林家が現在公開中で、ボランティアの方が説明してくれる。街並みと一緒にこうした残されている遺産にも是非触れてみては。
この町の古い街並みの象徴とも言うべきものが、御代桜醸造の板塀。必ず写真を撮りたくなる場所だ。