岐阜・岐阜市【河渡宿】
中山道54番目の宿。明治14年に橋が架けられるまで長良川を越す渡船場であった。
河止めがあると町は潤ったに違いない。1815年水害で水没すると、1.5㍍の土盛りをした。
街並みとしては小さな宿場である。第2次大戦で焼失して、残されたのは3軒のみである。
近年、地域住民が率先して祭りを催行するなど、宿場街をアピールする活動が展開されている。
一週間後にお祭りを控えていた時期に通ったため、準備をしている婦人会の奥さんたちに引き止められて困った。『是非…来週も』と言われたが、次週は伺うことができなかった。