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中山道いろいろ旅 美濃路4【河渡宿~今須宿】

美濃路4【河渡宿~今須宿】

2012/10/29(月)

【河渡宿~美江寺宿】5キロ

昼ご飯を摂りたっぷり休憩、トイレを使ってから再び歩き始める。既に13時になろうとしていた。ココちゃんはまたまた留守番だ。

倉庫群の間を抜けて歩く。ところどころに昔を感じさせる趣はあるが、総じてこの区間は変哲もない田舎道を歩く事になる。糸貫川を越えると立派なお屋敷が現れる。

河渡と言うだけに幾つも川を越えて進む

このあたりには本田代官所があったらしいが、所在ははっきりと分かってはいない。写っている白壁の塀は代官所のものではなく、一般のお宅のものだがあまりに立派で写真を撮る。ここには延命地蔵もある。また高札場があったらしい。このコースは見るべきものがあまりなく、史跡としてはこんな程度だ。

古く立派なお屋敷が残る地区
本田代官所があった地区

五六川を越えると樽見鉄道の踏切までは家並も途切れ田んぼの中を歩く。結構な距離の区間だが、書こうとすると内容に乏しい歩きだ。

それにしてもこの区間は史跡としても風情としても、街道歩きとしては少し物たりなく感じる。

五六川を越えるあたりは田んぼが広がる長閑な地域

樽見線の踏切が現れると、やっと家並も増えだす。踏切から右手を見ると数十メートル先に無人の美江寺駅が望めた。このあたりから次の区間を歩くために車を置いてい置く駐車スペースを探しながら歩くも、なかなか適当な場所が見つからない。

踏切を越えるとそろそろ美江寺宿
踏切から美江寺の駅が見える

美江寺の一里塚跡を過ぎて宿場内に入ったが、駐車できるスペースや休憩できるところはやはり見当たらない。とうとう美江神社から左折して旧の巣南役場に向かう。このあたりもまだまだ宿場の雰囲気が残っていて、ゆっくり堪能しながらの街並み散策だ。本陣跡のお屋敷は生垣に囲まれた立派なお宅。また宿場内の建物も虫籠窓やうだつが残された、しっかりした見る価値のある街並みだった。

しかしこれらの街並みは大正時代にあった濃尾震災で、壊滅した跡に復興したもので本陣跡も例外ではない。震災で残ったのは1軒だったとか。

宿場を抜け犀川に沿って10分も歩くと、やがて右手に瑞穂市役所巣南庁舎が見えてくる。

夕方になってから風も出てきた。風のないところで妻を休ませておいて、車を取りに行きたい。役場に行くととても旅人にスペースを貸してくれる雰囲気ではなく、裏にある公民館を覗きに行った。公民館の方に『中山道を歩いているが、車を取ってくる間、妻を休ませてほしい』とお願いすると、気持ちよくロビーを貸してくれた。安心して自転車で河渡の駐車場に向かったが、美江寺の宿内を写していなかったので途中でたっぷり時間をかけて街並みを写した。好条件の場所で待たせているので、妻の心配が不要なのは何よりありがたい。

車を回収して公民館に着くと、妻が【中山道の資料】を読んでいた。『どうした?』と聞くと『公民館の方が退屈しのぎに見て』と貸してくれたらしい。本を返しながら『明日駐車場を貸してほしい』とお願いすると、これも気持ちよく返事が返ってきた。

今日の泊は道の駅池田温泉。道が判らずR21に回って、大垣の市内から向かった。これは大回りの大失敗、ショートカットができたのに。

途中神戸町にあるスーパーで夕飯の買い物をし、道の駅に到着した時には既に暗くなっていた。とりあえず汗を流す事にして温泉に向かう。思ったよりしっかりした温泉だったが、客の多さに閉口した。道の駅からは2分もあれば十分の距離で、好条件すぎるのが混雑の原因かもしれない。

夜が更けて温泉の立ち寄り湯が終わると、今日の道の駅の泊は5~6台のみ。高台にある道の駅は夜景もきれいに望めて、最高のスポット・・・だったはずが、夜中に少し悪い連中が集まってきて・・・うるさくてマイッタ。ココが声に驚いて鳴くので、飼い主としては余計に落ち着けない。でもおそらく日付が変わるころ・・・知らない間に居なくなっていたし、私も眠りに落ちていた。

美江寺一里塚 瑞穂市巣南庁舎までもう少し

2012/10/30(火)

【美江寺宿~赤坂宿】9キロ

巣南庁舎裏の公民館に車を置かせていただき、出発する。ココちゃんは今日も留守番だ。次の赤坂宿までは9キロの行程。

庁舎を出発して直ぐの中学校の前から農道を辿る。ところどころに中山道の表示があり、道を間違える心配はない。

中学校から右折して鷺田橋へショートカット
畑の中を堤防に向かって進む

鷺田橋で揖斐川を越える。前の河渡宿のイメージがあって、“橋を越えると宿場”というイメージがまとわりついていたが、現実はここで4分の一しか終えていない。ここでも橋の上にすんなりとたどり着けたわけではない。自動車通行を考慮した道づくりは、逆に歩行者にとっては歩くのに複雑だったり回り道だったりで、昔街道を歩いた旅人より数段辛いかも知れない。

揖斐川の堤防の側道から鷺田橋に上がるのに苦労する
橋を渡って再び堤防に沿って進む、往事は渡船で川を越えた

最初の集落【呂久】は昔は対岸にあったが、大正時代の河川改修で反対側になった。堤防に沿って数百㍍進んでから、右に折れて集落に入っていく。

呂久地区に入る。当時は揖斐川の対岸にあった集落
呂久の渡し跡 と和宮が休憩した小簾公園

集落の中に皇女和宮ゆかりの【小簾紅園】がある。その説明板の向かい側にある建物のところで、和宮が休息したらしい。ここに渡し場の説明板も設置されている。【河渡の渡し】とこの【呂久の渡し】に挟まれた美江寺宿の繁栄が偲ばれる。

我々も和宮と同じように休憩を入れた。公園にはトイレもある。出発すると直ぐに堤防のところで道に迷う。畑にいた方に大声で聞くと、『みなさん、あの堤防の上を行きますよ』と教えてくれた。

柳原一里塚は道から外れていたようで、我々は見逃してしまった。近くに大学があるようで多くの学生らしい若者と出会う。

大島堤に沿って進む

近鉄養老線を横断する。やはり右手に東赤坂の駅を見送る。

近鉄養老線の踏切
東赤坂駅が見える

青木の一里塚を過ぎると赤坂宿まで残り1キロを切る。直ぐにR417を横断するが、昨日道を間違えて池田温泉に向かう時にここを通ったのだ。何故か記憶に残っていてすぐに判った。通りを横断するとそこは宿場で、古い建物も数多く残されている。面白いのは【火の見やぐら】だが、当時のものかどうかはわからない。家に戻って調べたら近年のもので、消防署がホースを干したりするためのものらしい。まあ・・・このようなつくりは古い街並みに溶け込むよう意識されていて、素人目には単純に評価出来る。

青木の一里塚跡
特徴的な火の見

【赤坂港跡】という遺構があるのが不思議だったが、往時の【抗瀬川】の水運の名残のようだ。将軍家康の休憩所跡などが綺麗に整備されて残っている。駐車場を探して宿場の外れまで歩いてみたが見つからず、パンフレットのPの表示に従って、街の裏側に入ってみた。100㍍ほど奥に入ると、公園があってトイレもある。ここで妻を待たせる事にした。隣に教育委員会の建物があり、数台の駐車場があったので、ここを利用するつもりで巣南庁舎に車を回収しに戻った。休憩所的なものは無いが、風のない日でだったので妻が待っているのにも心配はいらない。

車を取って戻ると既に昼を大きく回っていた。教育委員会で聞くと『裏に大きな駐車場があるのでそっちに停めてくれ』と言われ、狭い道を裏山に登って行った。50台以上可能なでかい駐車場にうちの車だけ。安心してど真ん中に停めて食事にした。

赤坂宿街並み
赤坂宿本陣跡

赤坂出発は14時になろうとしていた。垂井宿までの道のりは5キロで、ゆっくり進んでも4時には予定を終えることができる。赤坂宿は古い建物の趣が楽しめて、美濃16宿の中でもかなりグレードは上だ。

むしこ窓・格子が残る街並み
板塀が綺麗に保存されている街並み

【赤坂宿~垂井宿】5キロ

曇り空になってきて、帰りに自転車で車を回収できるか不安が増してきた。空模様と相談しながら歩く。垂井までの間、歴史的な遺構はそれほど多くは無く、趣ににかけて物足りない思いで歩いていた。

兜塚
廃線

ただ黙々と歩く。何時雨が降り出すか、関心はその一点だったかもしれない。

途中、国分寺への分岐を見送り垂井に向けて進む。

東海道本線のガードをくぐる
美濃国分寺跡付近を進む

青野地区を過ぎると左手に大きなスーパーマーケットがあった。中に入っていくとお店の中にテーブルとイスがあり、だれでも休憩ができるようになっている。ここなら妻を待たせておくにも、たとえ雨が降っても心配はない。

あとほんの少しで垂井宿だったが、妻が自転車で車を回収しに向かう私を心配するので、今日は早めに終える事にした。結果として雨は降らなかった。

教育委員会の駐車場に戻りココちゃんを散歩させている時の事。ついついブログアップに夢中になってしまい、息子が草むらに入るのを見落としてしまった。気が付いた時には遅きに失していた。体中に種子がくっ付いていて、痛がって泣いている。あわてて私が取ってあげようとするが、取ろうとすればするほど毛の中に入り込んで取れなくなってしまう。とりあえず顔だけを取ってあげるのに30分もかかってしまった。これ以上は痛がるので一人では不可能と判断して、妻が待つマーケットに向かった。

妻と二人かがりで30分もかけて、何とか取りきる事ができた。そして夕飯を買い求め、昨夜と同じ道の駅池田温泉に再び向かう。

昨日うるさかった下の段をやめて上の段に車を停めた。お風呂は汗をかかなかったこともあり、何より疲れていて中止にした。

青野の一里塚
垂井追分

2012/10/31(水)

道の駅から昨日のスーパーまではあっという間で、それを考慮して遅く出発した。と言うのはお店のオープン前にキャンピングカーが停まっていては明らかに変なので、お店がオープンしてから停めるという苦肉の策だ。もっとも夕べ大量に買い物したので許されても良いのだが・・・。

関ヶ原宿までは昨日の残りをプラスして6キロほど。出発すると直ぐに垂井の追分。ここで少し進む方向に迷う。相川の渡しの看板の方向へ進み、かぎ状に曲がった枡形から宿場に入っていく。垂井も古い街並みが確り残されている良い街だ。

相川橋を越えると垂井宿
人足渡し跡 人足は垂井の百姓集がつとめた

旅籠がそのまま保存されるなど街並みも楽しめ、また社寺などの文化財も多く見るべきものがある。しかし私たちはただ一生懸命に歩を進めるだけで、何かを見学するわけでもない。今日は関ヶ原町の関東さんに会えるのか・・・という期待もあった。

垂井の街並み
旅籠がそのまま残されている

古い街並みを歩いている方には上位にランクできる街並みだ。社寺仏閣はもちろん、史跡、街並み退屈せずに歩ける。板塀の素晴らしい建物が連続していた。このアングルは街歩きの方のホームページには良く登場する。皆さん目の付け所は一緒のようだ。

南宮大社の石鳥居
板塀が美しい街並み
旅籠の雰囲気が素晴らしい
うだつもある街並み

【垂井宿~関ヶ原宿】6キロ

垂井の街並みは古さもスケールも満足できた。ここからは東海道線を横断し、R21を何度か横断しながら、ほぼ並行して進む。踏切の手前でグローブを付けようとするとポケットに無い。ビックリ・・・さっき外したところを覚えていたのでそこまで自転車で戻ってみた。そしたら4~500㍍戻ったところに落ちていた。超ラッキー。

確り残されている垂井の街並み
東海道本線を横断

弘法大師の縁が残っているお茶所跡は昭和の初頭まで使われていたらしい。垂井一里塚は中山道全線中でも、僅かに2か所だけ国の史跡として指定された内の1か所の一里塚で、もう一つは板橋区の志村一里塚。垂井一里塚は浅野幸長の陣跡になっている。

日守お茶所跡
垂井の一里塚は国指定の史跡、
そして浅野幸長の陣跡

野上の松並木は岐阜県内の中山道に唯一残る松並木。ここは山内一豊の陣所跡としても知られる。

国道に出て1キロほどで関ヶ原駅入り口になる。街並みは古いものがポツリポツリと点在するだけで、関ヶ原町としては関ヶ原の戦いに関するものだけしか無いなあーと感じた。

垂井のスーパーまで自転車を飛ばして戻り、ココちゃんをお散歩とトイレをさせて関ヶ原駅で待つ妻のもとへ。六地蔵付近で下水道工事をしていた役場の方がいたので、昔いろいろ世話を焼いてくれた関ヶ原町役場の【関東さん】について聞いてみた。現在は水道課にいるという事で、役場を訪ねてみた。あいにく出張中と言う事で、残念だかお礼を言う事はできなかった。

野上の松並木には山内一豊の陣所跡
岐阜県内はここしか残っていない野上の松並木

役場前の空き地に駐車して食事、そのまま駐車スペースをお借りした。そして13時に再び歩き始める。役場から中山道までは10分ほどかかる。関ヶ原は史跡としては多くのものがあるのだろうが、宿場の街並みとしてはほとんど評価すべきところはない。観光資源としてかなり寂しい。

井伊直政の陣跡はJRの跨線橋脇に
関ヶ原町役場

【関ヶ原宿~今須宿】4キロ

今須宿までは4キロ。史跡を見ながら進む。役場からJRに向かう跨線橋脇に東首塚があり、そこは井伊直政の陣所跡だった。関ヶ原の戦いに関連する史跡として、西首塚のインパクトがある。

脇本陣
街並みとしてはあまり保存されていない関ヶ原
常夜灯
歴史の分岐点を進む
数千の首が葬られた西首塚

街並みを抜けて進むと左手に福島正則の陣所跡がある。神社の境内に樹齢800年の杉の木が立っていて、この木に抱きついてエネルギーを分けてもらった。先に書いた関ヶ原町役場の関東さんお勧めのスポットだった。

春日神社は今流に言うとパワースポット
樹齢800年の杉の木は天下分け目の合戦を見た
豊臣恩顧の大名は徳川方で陣を張った

ここから史跡が増える。日本の歴史の分岐点になったような事件に関連する事柄だ。壬申の乱に因むものや、常盤御前のお墓も残されていて退屈せずに歩く事ができる。

不破の関跡付近は山道も急坂で、この日は工事中で少し回り道をさせられてしまった。しかし結果としてはその回り道が中山道だったようだ。

矢じりの井は壬申の乱の際に大友皇子軍の兵士が、水を求めて矢じりで掘ったものと伝えられている。そんな史跡が次々に現れる。

途中工事中のところで車が埃を巻き上げて走ってきたが、ロープが張られていて避けるスペースもない道。

矢じりの池と地蔵堂
矢じりの池(井)

国道を横断するときは車が切れずに、少し怖い思いをする。再び旧街道の趣ある道を間の宿山中へ。ここには集落がある。

常盤御前のお墓の前には小さな公園があり、比較的きれいなトイレがある。集落の人たちが管理しているようだ。ここで休憩しながらバナナを食べて、元気回復。テーブルがありがたい。

間の宿山中地区
常盤御前の墓

壬申の乱のエピソードから名を付けたような川など、史跡には解説板が付けられていて読みながら進んで行く。新幹線をくぐる時の分岐でどっちに進むか迷う。集落の人に聞くと『こっちがそうだ』と左を示してくれた。

一里塚を過ぎるともう宿場に入る。

新幹線をくぐるり、この集落の手前の分岐で迷う
今須の一里塚

予定では今日のはここまで。妻をどこで待たせるか探しながら歩くも何もない。集落の中で尋ねるが休めるところは無いようだ。

それでも何かあるだろうと歩くが、とうとう宿場を突き抜けてしまった。外れにある床屋さんで情報を得ると、『歩く方みなさん、次の柏原まで行ってしまう』との事。我々も諦めてもう一区間歩くことにした。足取りは重い。

今須の常夜灯
今須宿の街並み
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