新潟-2. 平標山
槍が降ろうが
平田影郎
「お父さん、やめたら。台風がくるのに・・・」
不安そうに話す妻の言葉を聞いても私は、考え直すつもりなどさらさらなかった。今日はどんな事があっても“行く”と堅く決めていた。
「大丈夫なの?」「大丈夫だよ。危ないと思ったら引き返すから」
とても納得したとは思えないが言いだしたら後には引かない私の性格を知り尽くしている妻は、半分あきらめ顔で“おにぎり”を握りだした。
やっと取れた休みだ。6月に義母が脳梗塞で倒れてから時間は全く自分の物にならず、春のうちにできあがっていた槍ヶ岳や谷川・八ヶ岳の計画は、ことごとくつぶれていた。行こうと思えば日帰りなら行けないこともなかったが、何から何まで妻に背負わせる訳にもいかず、少しでも手助けができればと思うと一人で出かける気にもなれなかった。やっとだ。やっと行けそうなのだ。時間が取れ次第行こうと思いだしてからやっと巡って来たチャンスだ。台風が来ようが槍が降ろうが行くんだ。
「やっぱり止めればよかったかなー」
登りだして間もなく急に黒い雲が頭の上をおおいだすと私は後悔しだしていた。駐車場に車を止めたときは、上空の三分の二が青空だったのに・・・。
樹林帯のきつい登りを立ち止まっては汗をふきながらヒィコラやっと登り切る。鉄塔のしたでポットのコーヒーを飲んで休んでいると皆戻ってくる。
「行かないんですか」 「荒れそうですからね」と急ぎ足でくだって行った。
パラパラと雨が落ちて来始めた。でも案内書によれば一番きつい登りは過ぎたはずだ。平標山(たいらっぴょうやま⇒1983m)は途中の松手山がほぼ半分の距離で、この鉄塔は松手山にほぼ登り切った目印になっている。
「ここまで来たのにもったいない」と思っていると、三人組のご婦人が登って来た。そして私の隣に座り込むと色々話しかけてきた。ちなみに年齢は40歳代。
「みんな帰ってしまってつまらないわねー。頂上まで行っていただけませんか」
「もちろん行きますよ。」
アレアレ・・・急に態度が変わってしまっている自分・・・
「よかったわ。ベテランの方が一緒だと心強いわ」
三人は口々に“安心”だの“うれしい”だのと言い合っている。
“あーあ 行くことになっちゃった”見栄を張った自分に後悔したがもう仕方がない。
一休みしたご婦人連は出かける様子。 「私はゆっくり行きますからお先にどうぞ」
本当は今年初めての登山で大部へばっていて、一緒に行ける自信がなかったのだ。でもそうも言えず・・・。
もうほとんどの人が下って、登ってくる人もいそうにない。黒い雲に覆われた空からは大粒の雨もバラバラと落ちて来た。そして突然バリバリと雷がなりだした。これはいけない、私は雷が大の苦手なのだ。足がすくんでしまう。とりあえず鉄塔の下は危ないと思い、樹林帯の中へと登山道を進んだ。
「行こうかな、それとも戻ろうかな」と迷いながらさらに30分ほど休んでいると、運よく雷が弱まってくれた。
休んでいたと言うよりは恐ろしくて震えていたに過ぎないのだが。戻らなくてよかった。
松手山付近で雨は叩きつけるような勢いに変わった。ちょうど樹林帯の切れ間にいた私は、木陰に入ってレインギアを着ようと思って前方の立ち木を目指して急いだ。きつい登りのうえに雨でぬかるんだ足元は、思うように捗らない。やっと木陰にたどり着いた時にはもうヘトヘトで、ただ倒れ込むのが精一杯だった。このことが後々ひびくことになってしまった。やっぱり帰っちゃえばよかったかァ?
雨が小降りになると何処からともなく沸いた霧が辺り一面をつつみ隠す。ほどなく谷底から吹き上げる風が、山肌に沿って霧を頂上側にサァーと押し上げていく。 一瞬のパノラマは再び沸き起こる霧に遮断され、目に写るのは足元の緑のクマザサだけだ。灰色の世界に広がる緑の絨毯。たった二色の絵の具で、いくつもの変化をえがきだす幽玄の世界。霧が出て、風が払い又霧が勝つ。風が勝ったつかの間に見上げれば、灰色の中にぼんやりと黒っぽい平標が浮かんでいる。
雨は強まった風に乗って、上と言うよりはむしろ下から叩きつけて来る。目も開いていられない状況になって来た。松手山を過ぎて短い樹林帯を抜けると尾根筋に出た。遮るものがなくなった風は容赦なく私に襲いかかり、あおられた体はフワァッ・・フワァッ・・と宙に投げ出されそうになる。懸命に踏ん張りながら、そして細めた目で道を確認しながら一歩一歩確実に進んだ。横殴りの雨の中、前方に目を遣ると数十メートル先に数本の木立が見える。その下には大岩も横たわっている。 「とりあえずあそこで風を凌ごう」
急ごうと思っても足は中々前に進んでくれない。異常な程に足が重いのだ。まるで何かを縛り付けられているようだ。まとわりつくレインギア、雨に濡れた登山道、叩きつける風雨、さっきペースを乱して急いだつけが・・・。登山シューズを履いたままでも着れるようにと新調した、大きめのゴアテックスも動きにくくて失敗だったかもしれない。今日初めて着たのにもう泥だらけ。
やめりゃーよかったなぁー。安易に考えていたなぁー。関東には接近するかもしれないと思っていたけど、まさか・・・。急に進路を変えたのかな?
みんな帰って正解だったなー。雷の時にやめればよかった。
岩陰に回りこむと例のご婦人連が背中を丸めて一塊になっていた。
「戻ってしまったと思っていました。よかったぁー」と安堵の表情を浮かべた。
「急に荒れだしたのでどうしてるかなと思って・・」アレレまた見栄を張って。
あーあ、やっぱり今日は頂上まで行くはめになりそうだ。
それにしても誰も登って来ない。風は大分治まって来たようだ。そろそろ時間が気になりだしてきた。というのは私の今日の予定に、正午までに頂上に立つという大きな目標があるからだ。そしてさらに足を延ばして稜線づたいに仙ノ倉山(せんのくら⇒2026m)まで行こうと思っていた。しかしもう無理だろう。登りだして3時間も経つのにまだこんな所にいるんだから。
強風は1時間程でやんだ。彼女達は雨をついてさらに登るという。とにかく私はバテバテだったので、もう少し休みたかった。この上彼女達のペースで歩かされてはとても10分ともつ自信はなかった。一人その場に残った私はザックから非常食のカロリーメイトとチーズをだして、雨に濡れながら空腹を満たした。腹が膨れるともう迷いはなくなっていた。もう上を目指すだけだ。
再び登り始めると雨はほとんどやみ、とりおりパラパラと小粒が落ちて来るのみだ。変わって厚い厚い霧が辺りをおおう。そしてまた霧と風の戦いが始まった。谷側の斜面に沿って吹き上げられる風にのった霧は、横一線に上に上にと押し上げられ、あたかも海辺の波のように次々とおしよせる。しばらくしてこの戦いはどうも霧の勝利で終わったようだ。私の回りは完全に霧が支配してしまった。視界は10メートルもないように思える。道だけはしっかり確認できる。このままこの道に沿って進めば間違いなく頂上に至るはずだ。時々思い出したように吹き返しが体を揺さぶる。しかし先ほどのように怖いと感じることはない。
もう頂上手前の尾根を歩いているはずだ。どうやら登りは終わったようだ。全然姿を現さない頂上にも、たいした不安もわかずただ霧の中を進む。案内書には“振り返ると苗場山が見える”と書いてあるが方向すら分からない。
田代(湿地)についた。誰が積んだのか小さな古墳のようなケルンがある。ここまで来れば頂上はもうすぐだ。時計を見ると12時を回っている。今日は仙ノ倉はやめようと決めた。足はもう引きづっている状態だ。とても無理だ。
最後のゆるい登りを登り切ると急に目の前がひらけ、“頂上”を示す標識が立っていた。頂上は一周50メートルほどの広場になっているが、その先は切り立った崖なのか、なだらかな斜面なのか全く知ることはできない。広場から助走をつけて飛び出せば霧の中で宙を舞いそうだ。
「着いた! 着いたゾー!!」台風は予定外だったが叩きつける風雨の中を一人でやりとげた。いや例のご婦人達に見栄を張らされたせいでとうとう登ってしまった。三人のお陰だったなー。
雨はもうほとんどあがっていたが風は寒いと感じるほどに吹きつけていた。あまり吹いているように感じなかったが、やはり2000メートルにもなると谷底からの風はかなりのものだ。風をさけて食事できる場所を探していると、仙ノ倉側の一段低くなった所から声がした。「こっちですよー、風が来ないからどうぞこっちへ・・」
見ると例の三人組だ。隣に行って腰をおろし、握り飯の包みを広げた。中身はお握りが3個だけだ。彼女達はというとまるで小学生の遠足並で、レジャーシートいっぱいに食べ物が広がっている。美容のために歩いているのでない事は確かだ。私にも卵焼きやら枝豆、ナスの漬物などを皿いっぱいに盛り付けて「食べて」と勧めてくれる。そんなに食べないと断っても無理にも食べさせられそうだ。よほどお握り3個だけの食事を哀れに思ったのかもしれない。食事中に3組のパーティが頂上にたどりついた。みんな一様に登山者がいることで安心していた。
一時間頂上で休んでから私は、霧の平元新道を下りだした。頂上から小屋までは新しく作られた階段が延々と続く。歩きやすい反面風情には欠ける。見ることができるのは10段ほどで、その先は霧の中へと溶けていく。一段一段深い奈落の底へ降りて行くようだ。
結局石段は30分ほど続いた。小屋でまた休んだ私は元橋への登山道を再び下った。樹林帯の中の道は午前中に吹き荒れた暴風雨の影響でぬかるみ、少しも気を許すことができない。まして膝に力が入らないほどバテバテの状態だ。当然二度も尻を打ちつけてしまった。
駐車場につくと空は朝と同じようにブルーが冴えわたっていた。