近江路Ⅱ【鳥居本宿~武佐宿】
2013/03/21(木)
【鳥居本宿~高宮宿】6キロ
前日とは打って変わって気持ちの良い青空が広がる。8時45分に道の駅こうらを出発。鳥居本駅までは30分ほど。
駅の駐車場には数台の車があったが、空きスペースもあってお借りする。中山道までは100㍍ほど歩く。
それにしても格調高い街並みが残されていて、この地区の中山道は歩いていても楽しみが多い。ただ昔ながらの狭い空間なので、現代の車社会には適していないのが欠点でもあるが・・・。
マチラー(古い街並みを訪ね歩く人・・・私の造語)としては利点と言わなければならない。
鳥居本は雨合羽の製造・販売のお店が多かったらしく、合羽の看板を掲げてくれるお店が数軒あった。当然現在は商売していないと思う。大体ゴアテックスなどの商品が全盛なのに、古い雨合羽のニーズがある訳がない。
好きなロケーションがうまく切り取れて、満足している1枚だ。中山道と彦根道の分岐が現れると、やがて街並みも終わる。
街並みを抜けると田園風景となる。右手を新幹線が走り抜けて行った。看板に気が付くが新幹線の上に見える小高い丘が石田三成の居城【佐和山】の城址である。
長くなるので割愛するが・・・今私たち夫婦が辿っている舞台は、天下の趨勢を左右した人々の鼓動が刻まれた地・・・と実感する。
小野町付近ではほとんど新幹線と並行する。八幡神社の常夜灯から社殿の間を新幹線が走っているようで、通りを歩いただけでは神社に拝礼する事が出来ない。ちょうど新幹線が風のように走り去って行った。
【小町塚】を掃除している住民の方が挨拶をしてくれた。この説明版も読んでみると面白い。小野小町の出自に触れているようで、単純に信じると小町はこの地に生まれ間もなく【養女】に出されたと記されている。
昔東北を釣り歩いていたころ、秋田県の湯沢近くでも小野小町の伝承を聞いたことがある。
こんな歴史に触れられるのも【ゆっくり旅だから・・・】に相違ない。車でピューッと通り過ぎていたのでは、旅の楽しさ・歴史の壮大さも半分も感じることは出来ないだろう。
新幹線をくぐり住宅街を行く。原町付近では天寧寺の五百羅漢が良く知られていて、駐車場には大型場が数台も停められるほどのスペースが用意されていた。
今日は2区間以上は進みたかったので寄らずに通り過ぎる。
高速道からの誘導路をくぐると直ぐに、彦根駅からのR306を横断。昨日も今朝もここを通っていた事を思い出す。そして多賀大社の常夜灯が現れる。さまざまな石柱が一緒に残されていた。
横断すると直ぐ、右手にコンビニがあり下見の際も今回もトイレをお借りした。コーヒー用のミルクが無かったのを思い出し、それを求める。
ただトイレをお借りするだけの行為は避けたいと思ったからだ。
床の山の石柱があり、自宅に戻ってから調べてみたが史跡としての意味はよく分からなかった。どうも【芭蕉の句】に読まれているので取り上げられるようだが・・・それにしても良く分からない史跡だ。
大堀川を渡る際は歩道が備えられているので安心だ。橋の上から下流を望むとR8沿いに立っているホテルが良く見えた。R8とは500㍍ほど離れている様だ。振り返ると山頂付近に僅かに雪を戴いた【伊吹山】が見える。
大堀川を渡ると石清水神社。鳥居の写真だけを撮って先に進む。
大きな常夜灯が現れる。ここからがかつての高宮宿になる。近江鉄道を越え大きな通りも横断する。この辺りは古い建物が連続し、宿場の名残が色濃くなる。
休み何処を探すが、やはり見当たらない。高宮駅入り口を大分過ぎてしまったので、とりあえず戻って駅を目指した。駅までは300㍍ほどあった。
御覧の通り高宮宿も素晴らしい保存状態、十分絵になる雰囲気だ。先に進みたいという焦りを抑えて、高宮駅をベースキャンプにする事に。
高宮駅の駅舎は近代的で、地域のコミュニティセンターもかねている。この日も住民の【絵手紙展】が開催され、ギャラリーとして利用されていた。
もちろん来場者の方や電車を利用する方のための待合室にもなっていて、妻はここで待つ事にした。
風もしのげて最高のスペースだった。
駅長さんも素晴らしい方で愛知川宿まで歩いてくる間、駐車場を使っていいと言ってくれる。
今回は鳥居本駅に置いた車を電車を利用して取りに戻る事にした。電車は直ぐにやってきた。
彦根行きで二駅戻り、米原行に乗り換えて一駅で鳥居本駅。それにしてもカラフルな電車で【ゆるキャラ】が沢山描かれていて面白い。
また電車の外側は【滋賀県警】が広告を出していたり・・・・・経営を支える活動なのか?
駅長さんに『第三セクターですか?』と尋ねると『いいえ、普通の私鉄です』
車を回収して高宮駅に戻り昼食とした。出発しようとした時、ちょうど駅長さんが通る。『車、お願いします』と改めて声をかけると、『オーケー、オーケー』と言うように手を振って応えてくれた。
【高宮宿~愛知川宿】8キロ
駅を13時に出発する。街道に戻って愛知川に向かうが、先ほど駅に戻る前にかなり進んでいたので、再度写真などは写す事なく早足で進む。
本陣を過ぎ高宮橋(無賃橋)を渡る。この橋も謂れがある。かつて、犬上川が氾濫するたびに河止めで苦しむ旅人のために、彦根藩は豪商らに石橋を造らせて無料で往来させたという。それが【無賃】の意味だとか。
一里塚の石柱が建っていたが何とも風情が感じられない。犬方町付近に素晴らしい佇まいを見つける。この路地の趣は優雅さをも感じさせて、感動する。
出町の松並木は中山道滋賀県に残る唯一の松並木だとか。ちょっと往事を感じさせるほどの樹齢の大木は見つけられなかった。
松並木に中山道を往来する人々のモチーフが建てられている。中山道彦根市の南北両端に建てられているようだ。
大屋根の切り妻のお宅が多い。どっしりとした佇まいのお宅の切り妻側に【水】を表示している。圧倒的に【水】を表示するお宅が多いが、水に対しての信仰なのか?
琵琶湖に近くおそらく水が豊富だった地域に違いないのに・・・だとすれば【水への感謝】なのかもしれない。是非調べてみたい。
豊郷町に入る。石畑は【間の宿】として栄え、当時は立場茶屋があった。豊郷町役場でトイレを借りる。
現丸紅の創始者【伊藤長兵衛翁】の偉業をたたえる碑。16歳で伊藤長兵衛商店に入り、22歳の時に6代目伊藤長兵衛の養子になった。
7代目をついで順調に業績を伸ばす。そして伊藤忠商店を吸収して、初代の丸紅商店社長となる。
正義・公正の人で企業家として大成し、巨額の浄財と敷地を社会貢献のために投じたという。豊郷病院もその浄財で立てられた。
豊郷の一里塚跡。豊郷に入ると【江州音頭発祥の地】として幟などが多く目につく。今時、【音頭】がどれほどのインパクトがあるのか、埼玉・秩父も同じ取り組みをしているが・・・・・アピール度は低いと思う。
そのことでこの地を訪れる人は皆無と思うが、行政はどこも捻りが足りない。
宇曽川にかかる歌詰橋を渡る。橋の上からは広々とした風景が展開し、遥か彼方まで見渡せる。川を渡ってくる風が心地よい。今日は汗ばむ陽気だ。
沓掛の別れを右に進む。中山道の表示があり、また左はR307との表示も有り間違うことは無い。
宿場に入っていく。駅への入り口を通り過ぎて進んでみたが、休憩所らしきものは見当たらない。ここでも駅まで戻る事になる。
途中に【地方紙】の店舗があり、木彫りの看板が面白かったので写す。
明日の下調べのために宿場を抜けるまで、自転車を走らせてみた。でも休憩スペースも明日車を置けるようなスペースも見つけられず駅に向かった。
明日は役場に車を置いてスタートする事にする。愛知川の駅もコミュニティセンターを兼ねていて、2台だけ車を置けたが流石に長く置くのは気が引ける。
近江鉄道は4時前なら自転車を、無料で電車の中に持ち込める。これは非常にありがたくて、愛知川~高宮はこの手を使って戻った。
車を回収してから戻ってくるより1時間も時間余裕が生まれた。高宮に戻ると駅長が立っていて、改めてお礼を言う。
お巡りがパトロールに来ていてキャンカーが止まっている事に疑問を持ったらしく、あれこれ質問をされた。怪しいモノと思われたようだ。
今日はかなり汗をかいてしまった。昨日は雨で寒いほどだったが・・・今日は風呂に入りたい。と言ってもこの辺は温泉過疎地で、泉質を求めたら入れる風呂は無い。汗を流すだけと考えれば・・・いつもの【彦根・極楽湯】だ。
汗を流し極楽湯を出る頃は6時を過ぎていて、昨日のマーケットで買い物を終えて昨日の【道の駅こうら】に到着したのは7時を過ぎて、真っ暗になってしまっていた。オープン前で今日も泊は我が家だけ。やはり明け方は数台のトラックが泊まっていた。
2013/13/022(金)
【愛知川宿~武佐宿】10キロ
今日も長丁場だ。9時前に道の駅を出て愛知川の役場に向かう。20分ほどで到着できた。道の駅こうらはアクセスが最高の環境だ。
役場の目立たないところに車を置かせてもらう。ココを留守番させるので、あまり人の往来がないところに置きたかった。商工会館側に停める。
愛知川は中山道66番目の宿場で、中山道もあと3区間を残すのみ。それにしてもまだ未踏破のままの【和田峠】が気にかかる。
役場から新幹線と近江鉄道を越え、10分ほど歩く。昨日終えた泉町の交差点から、今日の歩き開始。
愛知川宿はレベルの高い湖東地区の宿場の中では、古い街並みはあまり残されていない。個々には何軒か見ごたえもあるが、連続性に乏しく『街並み』とまでは言い難い。
R8に出る。歩道が狭くて、恐々歩くことになる。愛知川の橋近くなると歩道を歩くことができて、胸をなでおろす。
愛知川橋からは近江鉄道の鉄橋や新幹線が望める。東近江市に入ると川に沿うように、左に折れる。
常夜灯を見たら右に折れて住宅街へ。このあたりは表示がイマイチでこの通りが中山道なのか不安になった。住民の方に二度ほど尋ねた。
五個荘の駅を左に見て住宅街を行く。ポケットパークを過ぎると、旧の五個荘の役場へと続く。
広い駐車場があったので早速車をここに移動することにした。トイレを借りて職員の方に駐車場をお願いすると、二つ返事で了解してくれる。
妻には併設されている公園で待っていてもらう。暖かい日だったので屋外でも心配は無い。
五個荘金堂の街並みは是が非でも見学しなければならず、色々情報収集をする。車は『街並みを見てくる間だけ』とお願いする。
北町屋地区は豪商の建物などが残る。信長が安土城を作った際に、城下の商人や技術者はこのあたりから連れて行ったそうだ。
この付近の方はステータスになっているようで、説明してくれた方は誇りを持って話されていた。
ここで軽自動車に乗った高齢のご夫婦が声をかけてきた。小幡と言うところで私達を見たという。『中山道を歩いているの?』と尋ねられる。
天秤を担いだ近江商人のモニュメントが出てくると、R8に合流する。しかし50㍍もあるいて、信号から右に折れて住宅地の狭い通りを行く。ここは少し変則で国道から分かれると、直ぐに左に折れる。
清水鼻の名水井戸が残っている。ここはかつては安土町、現在の近江八幡市に入ったことになる。石寺付近を進む。
道路工事中で迂回させられと思ったら、迂回させられた方の道が中山道で、超ラッキーな結果だった。
本当は迂回させられて不満たらたらだったが、妻が【中山道】の小さな看板を見つけて結果オーライ。常夜灯が目印になる。
R8と新幹線を横断するが、地下道で横断する。
R8を横断して直ぐに奥石(おいそ)神社の鳥居がある。地図にはここに【トイレ】がある事になっていて、念のために使って置く事にする。入っていくと比較的きれいなトイレがあった。
老蘇地区は路地路地に名前が付されていて、面白いと感じた。観光資源になるほどではないが、努力が評価できる。
西生来町付近でお昼の時間だった。車を回収してから用意してある食事でお昼のつもりだったが、中途半端な時間なのでお店に飛び込んでみた。
食堂などがなくやっと見つけた小さなマーケットだ。オバサンが一人で店番をしていて・・・食べられそうなものは無かったが、我慢して御稲荷さんを2パック買う。パンを持ち歩いていたので何とか昼食が取れた。
公園で・・・と思ったが『良かったらベンチを使って・・・』と言ってもらえて、店先で食事する。
食事を終えて再びスタート。マーケットから15分も歩くと武佐神社が右手に現れ、このあたりから古い街並みが始まる。
町としては愛知川よりこじんまりしているが、古いものは多く感じた。脇本陣が右手にあったがこの日は葬儀が行われていて、流石にカメラを向けるのは憚られる。
小さな公園があって【東京へ460キロ】の石柱が建っている。
素朴な感じがする宿場だ。あまりお店などがなく、往事を偲ぶ雰囲気は良い。旅籠跡や本陣などが続く。楽しみながらも・・・車を回収して再び駐車できるスペースを探しながら行く。しかし資料館などもなく駐車スペースは見つからなかった。
明日は少しの時間しか歩けない。しかし何とか切りの良いところまでは終わりにしたい。幸か不幸か駐車スペースが見つからず、そのまま進むと武佐駅に到着してしまった。
ここから次の守山宿までは14キロもあるので、今日のうちに少しでも先に進もうと話し合う。