山形 朝日・東大鳥川
続・朝日の谷にどっぷりと・・・
7月の朝日に味をしめた博士が・・・鉄人も私も心は朝日。今回も当然“朝日”ということになり、場所は八久和の源流。
今回は“朝日の壮大なスケールに私も浸りたい”と敦ちゃん(鉄人夫人)が言い出し同行することになった。
根性と健脚ぶりは並の女性と違い全く心配は要らない。
博士とは寒河江SAで待ち合わせた。またしても出張先から駆けつけるというが、宿六一正常ではない人間だ。「出張と重なったから今回はパス」が普通人のセリフである。我々が待ち合わせ場所に着いたのは9月15日の朝7時を過ぎていた。
途中東北道で大きな事故が2件も有り、その渋滞に巻き込まれてしまった。
落ち合った4人は検討会議だ。こんな時間での出発になると1日目の泊まり場も変更することになるし、台風も接近していて雨の場合は退路を立たれてしまう事になりかねない。安全を重視して八久和は次の機会に送った。
そこで鉄人が“つり吉三平”の舞台である大鳥池が見てみたいと言い出した。話はあっという間にまとまり、頭の中では静寂の中にたたずむ大鳥池のイメージがどんどんふくらんでいた。
いよいよ出発だ。泡滝ダム近くの林道には以東岳から大朝日に縦走する登山者の車が溢れかえり、駐車スペースを探すだけでも一仕事になってしまった。時間のずれが何処までもたたってしまう。熊が出て来ることを心配したが、熊のほうが怖がりそうである。
靴が違い更にスリングや金物・ザイルなどの装備を整えて出発した我々のスタイルを見て、彼方此方からひそひそと声が聞こえる。
「あの人たちのスタイルは何なの」「多分、沢登りの人たちだよ」うれしい限りだ。我々もスタイルだけは一丁前に見えるらしい。
途中何度か休憩を入れて山歩きを楽しみながら、またバカ話をしながらの歩行である。本格的な山歩きが初めての博士も、しらずしらず歩き通す事が出来た。
最後の大登の手前で博士が東大鳥川に竿をいれた。しかし釣果はさっぱりで小物が数尾来ただけであった。
九十九折れの登りは一時間を要した。出発前に地元の人から聞いていた“幼稚園の子供でも大丈夫”という話とは少し違っていたが、何とか大鳥池畔に立つことか出来た。
大鳥池越しには以東岳が聳え立っている。しかし想像していたのとはちょっと違っていた。
池畔のキャンプ場では登山者のパーティが大騒ぎしながら宴会中だし、自然のままと思っていた池もコンクリート造りの水門があって、東大鳥川の水源はこの水門ということになる。
期待していた大自然の中に静かにたたずむという感じではない。雑踏と近代的な設備・・・何かが違っている。
たしかに大イワナは棲んでいるだろうが、幻とまで言われた伝説の“タキタロウ”とは思いたくない。
タキタロウは神秘の中でしか生きてはいけないのである。それでも博士と私は東大鳥川の源流やその枝沢に竿を入れた。
来るのはやはり小物ばかりで少しガッカリだ。水門から数百㍍ほど下流に滝群が有り、覗き込んだ私は度肝を抜かれた。
落差はないがゴルジュの中に落下するその滝の力強さは圧倒的で、上から覗き込んでいる私を引き込もうとしているような恐怖感に思わず身体を硬くしていた。
博士が確保した数尾の良型イワナで鉄人得意のイワナ汁。美味しい食事には美味しい話が付き物で、我々は辺りが暗くなるのも気づかずに話し込んでいた。宴会の登山者パーティも静かになっていて湖畔は静寂を取り戻していた。
見上げれば今まで見たこともない輝きを放つ星の群れ。私は池が見たくなってブラリブラリと湖畔に出てみた。そこには黒い鏡のように波一つない湖面にポッカリと月が浮かんでいた。風は心地よく頬を撫で行く。やはり大鳥池は神秘の中にあった。
酔った・・・私は完全に酔っていた。神秘にも酔っていたのかも知れないがみんなで飲むはずだったビールを独り占めにしていたのも事実だ。
翌朝博士がいない。私がテントから出てみると川のほうから戻ってきた。夕べもイビキがうるさかっただろうな。大分酔っていたから・・・。
池に流れ込む沢で釣ろうという話もあったが、タキタロウは伝説のままにしておこうと話がまとまり、大鳥池を後にした。
昨日、来る途中に目星をつけていた沢についてみると、すでに先行者がいるようだ。
登山口から登ってくるより池から下る我々のほうが先に到着するはずだったが・・・想定外だ。仕方なく他の沢を探して登山道を下った。途中、細くて水量の少ない沢で休憩を入れた。
上流に少し歩いてみると小さいポイントで20㌢ぐらいのイワナが走った。早速鉄人がテンカラで挑むが一辺驚いたヤツはもう出ない。
諦めた鉄人の後を敦ちゃんがエサを入れた。そして5分ほど粘っていたが、突然竿がプルプルと震えだした。振り返った鉄人の目に飛び込んできたのは、ブラリと垂れ下がった9寸もあるイワナだった。
我々はさらに山を下り目をつけていたもう一本の沢に入った。林道からは東大鳥の難しい渡渉が必要になるため、あまり釣師が入っていないと思ったからだ。
太くて豊かな流れに我々は苦しんだ。敦ちゃんの腰まである水量に慎重にならざるを得ない。流されだしたらもうとめる事は不可能なことを、鉄人も私も十分すぎるほど分かっていたから・・・。
期待が膨らむ対岸の沢では早々に私に来たが、その後暫く魚信がなく10㍍の滝下で博士に9寸が来たのみだった。滝を遡りさらに上流を目指したが、滝を越えてすぐに我々の周りをスズメバチが飛び回り始めた。山では一番怖いのがこれだ。すぐに撤退することにした。
宿六遡行隊は林道に上がらず川通しで下った。大岩ゴロゴロ、圧倒的に太い流れ、力強い落ち込みの連続・・・私はもう有頂天だった。
ルートファインディングを努めながら右に左に渡渉を繰り返し、岩から岩に飛び移りながら東大鳥を下った。私が言う“川遊び”とはこれなのだ。私は・・・もう・・・少し太った・・・カワセミになっていた。
二日目の泊まりは“タキタロウ館”脇のキャンプ場に決めた。川遊びで満たされていた私はまたしてもみんなのビールを独り占めしていた。
慌てて敦ちゃんが買い足してきたビールも一人でやっつけてしまった。俺一人だけが“酒”にも“朝日”にも酔っていた。
三日目の朝も目を覚ますとテントの中に博士がいない。探していると車の中で寝ていた。これはもう間違いなく私のイビキが原因だろう。
あの後前回同様、スーパー林道の途中にある沢で釣りをした。何も分からずに選んだ沢でまたしても爆釣。
結局早い話が・・・何処に入ろうが魚がいる・・・のが朝日だと思った。入渓者が多く尺上は出なかったが9寸までなら数え切れない。
朝日スーパー林道を抜けて博士とは村上で別れた。私個人は心から楽しんだがみんなも楽しめたのならいいが・・・。
釣行者 先生・敦ちゃん・鉄人・師匠
釣行日 00.9.15~17
ルート いつものコース