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釣行記ー10 山形 真室川・石蓋狩

山形 真室川・石蓋狩

石蓋狩川は尾根を越えて

丁岳は山形県真室川町と秋田県鳥海町の境界に位置し、また日本百名山の一つでもある鳥海山のほぼ東に位置する。

石蓋狩はこの丁岳に源を発し宿六のホームグランドである高坂ダムに注いでいる。

したがって源流にはダム湖を横断し流れ込みから上流に詰めていくか、万助沢林道から万助沢・有沢をつめて、山越えで支流の源三郎沢に降りる方法が考えられる。ボートがない以上、答えは山越えしかない。

この条件で参加したのは素人・鉄人そして私。素人には「なーに3時間も歩けばいいから」と話すと「行きます」との返事。

この場合には話し方にテクニックが必要である。彼の場合“3時間”と“4時間”には大きな隔たりがあるからだ。しかしあれほど「歩くのはいやだ」と言っていたのに、今では我が隊の先鋭的な存在になっている。

3年前の大石川西俣以来、別人のようですらある。

それにしてもこの3人の組み合わせは平穏に済んだ事がない。“今回は何があるだろう”と早くも車の中で話題になっていた。それもその筈で、この3人は決まって予備知識のない沢を選んでチャレンジしているからだ。

7月11日早朝に真室川に到着した我々は、山歩き3時間に備えて万助沢脇の林道で仮眠を取った。8時に目を覚まし装備を整え9時には出発した。昼過ぎには石蓋狩に糸を垂れているはずである。

万助沢林道で

万助沢は川幅もなく両岸からブナが覆いかぶさるようにせり出し、暗く重苦しい感じがする渓である。遡りだしてすぐに小さな堰堤があるが、これが以外に手を焼いてしまった。

あまり大場もない平凡な沢で、途中の小滝にはきちんと“巻き道”もあり遡行はいたって順調である。

 「魚がいないですね」と魚影を追っていた鉄人が呟いた。1時間ほど遡ってやっと「8寸が走りました」の声。

しかし万助沢ではこの一匹が唯一確認できた魚影であった。

三つ又まで1時間ほどのはずなのに中々着かない。まだか、まだか、おかしいな・・・と思い始めた頃にやっと到着した。

ここまで要した時間は1時間半、本当にここが三つ又なのかは疑わしかったが、時間からいってそうに違いない。

ここからは真ん中の“有沢”にコースを取り、源頭から尾根を越せば“源三郎”が目の前にあるはずだ。

有沢は出会いがゴルジュになっていて、増々暗くジメジメした空気が額を撫でていく。やっと一人が通り抜けられるほどに狭まったゴルジュを抜けると、渓は再び両岸にブナ林を配した様相に変化する。

もう川幅は1㍍程しかない。この辺りから私は帰路の目印のために用意した“白布”を、沢にせり出したブナの枝に結びつけながら進んだ。

有沢に入ってから既に2回も爆竹を鳴らした。有沢を遡り始めて1時間、流れはもう足元の雑草の中に消えている。いよいよ源頭だ。“きっとあの尾根の向こうが源三郎だ”と皆が思った。

目標の尾根に向う足取りの元気なこと、とても3時間も山中を歩いてきたとは思えない。素人も確り歩いている。結構楽しんでいる・・・かな。

しかし不安なのは先ほど流れが足元に消えてから我々は左に進路をとった。間違えたかもしれないとの思いもあったが、逆にここまで詰めればどう進んでも源三郎にぶつかるはずだ。

二人は途中の斜面で悪戦苦闘していたが、先頭の鉄人は尾根にたどり着いた。そして「林道が有りますよ!」の鉄人の声に二人はへたり込んでしまった。

なんで林道があるのか? 「源三郎が見えますよー」の声を期待していたのに、林道にぶつかったという事は完全にコースを間違えたということである。またしても“ここまで苦労してきたのに・・・”との思いが駆け巡る。

山中での時間はとうに3時間を超えている。大分遡行していたので林道を右に進めば石蓋狩はそんなに遠くないはずだった・・・が、我々は迷った。地図には当然林道がない。なのに林道は実際に存在する。

我々は協議の結果“新しい林道だから万助沢林道が延長されたに違いない。

したがって左に進むほうが無難だ”との結論に達した。

少し進むとさらに右に折れる枝線があり、その先からはかすかな沢音が聞こえていた。その沢を下れば大分下流かもしれないが、石蓋狩に着くかもしれないと思って下っていった。

粘土質の山を切り崩した枝線は何か大型の重機でかき回したようにぬかるんでいて、まさに泥田であった。ヒザまで泥に浸かりながら進む3人には、きっと同じ思いが頭の中にあったに違いない。戻るのは嫌だ・・・と。

1キロも下っただろうか。途中の沢では赤茶色の水が流れていた。切り崩された山肌から流れ出る水が、ヒザまで浸かる粘土を沢に運んでいるのだ。この沢の魚も終わりか!沢を渡り先に伸びる枝線をさら進んだ。

あの沢を下ったほうが良かったのかと思い始めた頃、どこか遠くからエンジン音が聞こえてきた。

方向は定かでなかったがとにかく先に進んでみると、音は確実に林道の奥から聞こえてくる。我々は急いだ。

林道のカーブに沿って進むと山陰からいきなりこの場には似つかわしくない黄色い巨体がうなりを上げている姿が飛び込んできた。“いた! 人がいた! ヨカッター”と思わず本音が出てしまった。

こんな所で人間に会えるなんて何という幸運だ。そこでは二人の山師が切り倒したブナの大木を同じ長さに切りそろえ、重機で積み重ねている最中であった。

近づいていく我々を見た40歳ぐらいの男は、エンジンを止めてから冗談交じりに「こんな山に来ても魚は釣れねぞ。川さ行げ、川さ」と言ってきた。ザックを背負う我々を釣師と見極めるとは・・・この男・・・。

「道に迷ってしまって・・・」と私は石蓋狩に行くため万助沢を遡って来てさらに有沢を詰め、そして林道を間違えて下った一連の状況を説明した。

すると若い方の親方分らしき山師は、ユンボから下りて我々に近づきながら「石蓋狩はあの山の向こうだ」と指差した。その指は二つほど向こうの尾根を指していて「ゼンマイ採りはここからだと半日程で行く」と話し、続けて「帰るには林道を登り・・・まあ車まで1日だべな」と立ち直れないほどガッカリすることを言った。

“石蓋狩”を“イスフゥタグァリ”と発音する独特の山形弁で「石蓋狩はそんなに釣れるのか?」と聞いてきた。

しかし鉄人も素人もガッカリするような話の内容を理解していないし、ましてや理解できたとしても石蓋狩が釣れるかどうかなんて分かるはずがない。

この世界に来ると俄然私の能力が役に立つ。東北弁の通訳はお手の物だ。説明を聞いて「行った事がないから行きたいだけです」と鉄人が答えると、親方は呆れた顔をしていた。“こんなに苦労して何が楽しい”とでも思ったのかもしれない。

我々が「石蓋狩には行かずに車に戻る」と話すと、その親方は「ちょっと待ってろ、おぐってってやるから」と言う。半分は期待していたが、実際に送ってもらえるとは何と言う幸運だ。この言葉を聞いてどんなに安心できたことか・・・これであの泥田のような林道を登らなくてすむ。

それと同時に都会人では持ち合わせない、この“田舎人の純朴な心”を改めて知った気がした。

小1時間も待つのだろうと思い弁当を開こうとした時、「いいや、いいや、すぐおぐってかせっから。はやぐこれさ乗れ」と材木を運び出すキャタピラ付きの戦車のようなモノを指さした。そして年上ながら使用人らしき山師に向って「すぐおぐってげ」と車のキィーを手渡した。

年上の山師は自分も飛び乗ると「振り落とされねーよに、よーぐ掴まれ」と言いながら首を振って乗るように促した。

荷台いっぱいに積まれた材木の上に、我々は立ったり座ったりしながら必死に?まっていた。

途中先ほどの赤く濁った沢に差し掛かった時、なるほどこんなものでかき回されては・・・と理解できた。いよいよ泥田の登りにかかる。よく見るとかなり怖い。

泥田のようにかき回させる林道
戦車の上でご機嫌の二人

「おいおい、戦車のほうが林道の幅より広いぜ!」「このカーブ、どうやって回るんだ?」

みんなの心配をよそに運転は“みごと”の一言。つづら折れのこの林道を、怖くて思わず身を乗り出して覗き込むほど崖っぷちギリギリまで“前進”“後進”を自在に繰り返し、時には止まりそうになるエンジンをアクセルワークを駆使しながら、僅か20分ほどで登りきってしまったのである。

ほんの少し“ヤバイ”という思いもあったが、我々3人は初めての体験に戦車の上でかなりはしゃいでいた。ザまで泥に埋まりながら何時間もかけて登った事を思うと、はしゃいでしまう気持ちは至極当然であった。

登りきった林道に材木を降ろすと今度はバンタイプの車で我々を、石蓋狩から西川集落を回って万助沢林道まで十数㌔の道のりを送り届けてくれたのである。

途中「先週も2人の釣師がこの山で遭難し、捜索隊が出た」と聞かされた。全く人騒がせなヤツがいるものだ・・・って、俺達もだよなー。仕事を中断してまでの親切に我々はただただ感謝するだけである。

普段は“こんなに木を切りやがって”と非難しているのにこれからは一言もない。

昨日の疲れもすっかり取れて

釣行者   素人・鉄人・師匠
釣行日   97.7.11~12

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