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旅あれこれ シリーズ2【四寺回廊】

四寺回廊

四寺廻廊(みちのく古寺巡礼)

今、みちのくの四ケ寺を巡るキャンペーンが細々と行われています。いずれの寺も慈覚大師円仁の開基・中興など、ゆかりが深い寺と言われています。四つの寺の御朱印をいただくと最後のお寺さんで「書」が頂けると言うものです。

4回廻って四つ目のお寺をそれぞれ別のお寺にすれば、四種類の「書」が集められるとキャンペーン事務局は広報しています。その手には乗りません。

私も瑞巌寺で満願しましたが書はいただきませんでした。性格上四種類ほしくなるからです。

慈覚大師とはどんな方なのでしょう。794年現在の栃木県岩舟町で生を受け15歳で比叡山に上り天台宗開祖最澄に師事します。

40歳を過ぎてから最後の遣唐僧として大陸に渡りますが、その修行の過程は筆舌に尽くせぬものだったようです。とうとう目的の天台寺に到達することは出来なかったのですが、9年にも及ぶ歳月を五台寺で過ごし仏教を収め帰国します。

帰国してからは当時文化の遅れた東国の人々の苦しみを救おうと寺院の建立に努めました。当時は坂上田村麻呂が蝦夷を平定したばかりで、人心掌握と朝廷の威光を浸透させるために仏教の布教が利用されたという側面も否定できません。

東北にはこうした理由で大師縁の寺が多いのです。関東には約250ケ寺、東北には約350ケ寺が大師縁の寺であると標榜しています。

854年61歳で比叡山延暦寺第三代天台座主になり、863年71歳で永眠し立石寺(山寺)に入定しました。

山寺の開山堂は大師の堂宇であり、今も坐像が安置されています。師である最澄と同じ場所延暦寺を永眠の地とするわけにはいかない・・・と思っていたようです。

没後、朝廷から最初の【大師号】を贈られました。

【関山 中尊寺】
850年:前身の弘台寿院として開基
本尊 阿弥陀如来
不滅の法燈 延暦寺から分けられたものが1200年守られている
天台宗東北大本山
創建当初の遺構 金色堂(阿弥陀堂)
【医王山 毛越寺】
850年:前身の嘉祥寺として開基
本尊 薬師如来
別格本山
【中尊寺金色堂】
【中尊寺】
【毛越寺】

【松島青龍山 瑞巌円福禅寺】
828年開基 現在は臨済宗妙心寺派に宗派変えされた 《2005/10/02訪》
本尊 聖観世音菩薩
伊達家の菩提寺

 

【宝珠山 立石寺(山寺)】
860年開基 《2000/02/11訪》
本尊 根本中堂:薬師如来
奥の院:釈迦如来
不滅の法燈 信長に焼き討ちされた延暦寺に逆に灯を分けた
開山堂は大師の廟所
【瑞巌寺】
冬の山寺・根本中堂】
【夏の根本中堂】

山寺を訪ねてから5年後の05年10月、私たちは栃木県岩舟町の慈覚大師生誕の地を訪れました。世界に誇る宗教家の遺跡としては少し寂しくもありました。

もっと残念なのは米国人日本史研究家、元駐日大使のライシャワー氏によって世界に紹介されたという事実です。残念な現状は町の財政力ではいたし方のないことかもしれません。

それでも篤志家や天台宗の関係者で大師の功績に感謝の心を持つ人はいないものでしょうか。

大師が帰国後に記した【入唐求法巡礼行記】は、玄奘の【大唐西域記】、マルコポーロの【東方見聞録】と共に世界三大旅行記と言われていますが、玄奘とマルコポーロは口述して他の者にまとめさせたのに対し、大師は自ら書き残しました。ライシャワー氏によれば『レベルも他の二つとは全く比較にならないほど素晴しい価値がある』のだそうです。

定年を迎えて退職したら絶対読んでみようと思っています。もうすぐです。

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