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旅あれこれ 東北1【桜前線を追ってみちのく 】

桜前線を追って〝みちのく〟

【青森・弘前、黒石】 2009/05/01

 例年この時季私は桜前線と歩調を合わせて北上します。北東北の開花はゴールデンウィークと決まっていましたが、今年は暖冬の影響でソメイヨシノには遅すぎる感がありました。とは言っても計画は簡単に変更できず、混雑を覚悟して出かけました。

 今年はETC割引の影響もあり、期間中220万人の人出と予想されています。たとえどんな混雑であろうと【弘前城の桜】には意味があります。【桜の名所】【現存12天守】【街並み】等々、あらゆる挑戦コンテンツの残り数をそれぞれ減らす事が出来るからです。

 弘前城は津軽統一を成し遂げた大浦為信(後の津軽氏)によって計画され、二代信枚の治世に完成を見ました。もともと津軽の地は南部氏の統治下にありましたが、南部藩の後継争いの機に乗じた津軽為信が南部の将石川高信を破って津軽統一を果たしました。この背景には後継争いに遅れをとった九戸党の棟梁、九戸政実の画策があったとも伝えられています。豊臣秀吉の天下に真っ向から立ち向かった九戸政実の生き様は小気味よく、南部武士の心意気をまざまざと示してくれました。この下りは岩手県出身で直木賞作家、現在も盛岡の地で出筆活動を続ける高橋克彦氏の【天を衝く】で知る事ができます。氏に『みちのく』を扱わせたら右に出る方はおりません。某国営テレビの大河ドラマにも取り上げられた『炎立つ』で、阿部貞任や藤原三代を扱いこの時代の歴史を克明に解きほぐしています。なぜ津軽では無く南部の説明をするかを一言で言えば、津軽為信らについてはあまり著作物も無く、一般的ではないため高橋氏の力をお借りしたのです。

 青森といえば全て津軽と思いがちですが、地元の方たちは明確に違いを力説します。たとえば八戸の方は『私は津軽ではなく南部だ』と。これには一種驚かされます。

 余談になりますが・・・あまり知られていませんが岩手県はこれまで5人の総理大臣を輩出し、薩長閥以外では東京と双璧です。原敬、斉藤實、米内光政、東条英機、そして鈴木善幸ですが、斉藤を除いて4人が南部藩縁の人物です。戊辰戦争で朝敵として味わった悲哀をバネに、これほど多くの偉人を輩出した風土・気骨は他に類を見ません。初代東京市長後藤新平もよく知られています。そして6人目が誕生しようとした矢先に事件は起きてしまいました。何か得体の知れない勢力が蠢いていると、地元では持ちきりのようです。話がそれました。

堀を覆う花びら【花筏】
天守
天守からの岩木山

 一日千円の駐車場に車を入れ、追手門に向かいました。悪い事にここでリンゴを販売しているではありませんか。家で留守番をしている息子のレオ君はリンゴが大好き、当然妻は買い求めてしまいました。結局その重~い袋を私は弘前を散策する間ずっと提げて歩くハメになってしまいました。

 堀は風に散らされた桜の花びらで水面を覆われるという、なかなか目にする事が出来ない情景を作り出していました。この状態を【花筏(はないかだ)】と読んでいます。

 弘前城には天守のほかに三つの櫓と五つの門が現存し、いずれも重要文化財に指定されています。

 そしてこの桜は明治の後半から市民の寄付で植えられ、百年を経た現在も見事に人々を楽しませています。

 当日はソメイヨシノが既に葉桜となり、エドヒガンザクラに代表される枝垂桜が濃いピンクで天守を彩っていました。

 岩木山と枝垂れ桜のコラボレーションをお楽しみください。やっぱり名城でしょう、コレ。

枝垂れ桜と冠雪の岩木山
城内の桜
未申櫓

 縁日を通り抜け北門から城外に出ます。目の前の【仲町伝統的建造物群保存地区】には武家屋敷が残されています。そして何より見事なのは400㍍にも及ぶ生垣と黒い板塀でした。黒い門のお宅も沢山ありました。これが保存地区に指定されている所以だと思います。

 岩田家ではオーナーと思われる方が話し相手をしてくださり、縁側に腰を下ろして話し込んでしまいました。大河ドラマ『いのち』の話題や、南部藩の話題や津軽の生活などが次々に飛び出し、知らず長居をしてしまいました。

 少し開け放った雨戸の隙間から流れ込む心地よい風が、歩いてほてった身体を冷ましてくれました。

 岩田家は藤沢周平の映画に登場するような建物で、今にも木村拓哉が現れそうな雰囲気を醸し出していました。

 【津軽藩ねぷた村】も寄ってみましたが単にお土産屋という程度で、ねぷたを見ないと意味は無いと感じました。

 食事はリーズナブルな価格でお奨めと岩田家で教えられたのですが、イマイチその気になれませんでした。

武家屋敷 伊東家
保存地区の生垣と岩木山
津軽為信公像

 駐車場に戻って昼食を摂った後、目の前にある青森銀行記念館を見学しました。この建物は弘前が生んだ明治の名匠【堀江佐吉】が手がけたものです。佐吉には他にも素晴らしい作品が多く残っています。金木町にある太宰治の生家である【斜陽館】もその一つです。

 ルネッサンス風様式で左右の対象が均等(シンメトリー)に調和し、構造技術的にも高く評価されています。

 弘前には洋館が多く現存していますので、これを見て歩くのも楽しいと思います。

青森銀行記念館
展示物の刀銭

時間はたっぷりありますのでもう一つ欲張って黒石に向かいました。黒石というと特段何もない街と思い勝ちですが、国選定の建造物群保存地区に指定された地域があり、これが街並みフェチの私としては必見なのです。

 【こみせ】と呼ばれるそれは雪深い津軽ならではの独特なもので、近郷近在から地吹雪の中を買い物にやって来てくれる方々への【思い遣り】そのものだと思います。通路を確保するために張り出した軒は、さながら【和風アーケード】です。これによって買い物客は数段歩きやすく、また寒さも和らいだのかもしれません。遠来の客を少しでも暖かく安全にお迎えしようとする、おもてなしの心は現代にも求められる【心のあり様】なのではないでしょうか。
 
 昨今では失われてしまった日本人の優しさを、津軽の人々はこの【こみち】を残す事で後世に伝えようとしているのだと思います。価格競争のみで客を誘致しようとする現代の商いのあり方では理解する事が出来ない、本当の意味での商いのあり方が示されている気がします。津軽には途方もなく大きなものが残っている気がして、逆にこれを守っていけない津軽は、いや日本は大切なものを失うのだと感じています。

鳴海醸造
伝統的建造物群保存地区
こみせ通り

 黒石の面白いものの一つに火の見やぐらを兼ねた消防分団の屯所が数箇所残されています。大正時代に立てられたもので、木造としては珍しく十分楽しむ事が出来ますので是非散策をしてください。

津軽こみせ駅
第三分団屯所
横断させない横断歩道
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